すんません。これも無断てんsaiです。
不幸にも日本史の時間に左翼教師によって脳にウニをINPUTされた方はどうかこれで正気をとりもどしてくださいまし。
連載 自蔑自虐の日本の歴史教科書を告発する!
第15回 戦争と文明
欧米の白人諸国は世界陸地の80%を植民地とし、植民地からの収奪の上に自分達は安逸の生活をおくり、さらにその利権拡張と権益保護に狂奔しました。それが彼等の正体であり、彼等の文明と称するものの正体でした。
アフリカの貧困と飢餓と騒乱は、白人が彼等だけの論理(と言うべきほどのものではありませんが)で地図上に線を引いて国境を定めたところに起因します。これによって多くの部族が分断され、あるいは異なる部族が同一の囲いの中に押し込められました。宗教・慣習・言語などの相違なる人々が同一の囲いの中で生活を余儀なくされ、この永い忍従と恨みと屈辱が蓄積され、爆発し騒乱が始まったのです。そして旧宗主国がその責任を放棄したところに、問題の根深さがあったのです。
その他、オーストラリアのアボリジニ、南北アメリカのインディアン、インカ・マヤなどの諸民族はすべて彼等なりに平和で豊かに暮らしていたところに、突如としてヨーロッパからの侵入者が襲いかかり、金と財宝目当ての侵略と殺戮を行っただけでなく、彼等が持ち込んだ伝染病が免疫力のない先住民に広がり、大流行して苦しめました。侵入者たちは新大陸発見という乱暴な言葉を振りかざしたのです。
大陸には、彼等が侵入する遥か以前から先住民たちが住んでいて、豊かで平和な社会が形成されていました。新大陸発見という言葉は、自分達のみが人間で他は人間と見なさない傲岸な言語と言わざるをえません。彼等はこの言葉を正義と称し、彼等だけの正義を振りかざし異教徒教化などと自分勝手な論理を展開したのです。
特におぞましく許し難いのは、アフリカからの奴隷制度の罪でしょう。金目当てに人を騙したり攫ったりして集めた人間を買い集めて、劣悪な環境の奴隷船に押し込めて海を渡り、上陸してからは鞭打ちながら酷使するなど、人間が人間に対して行える行為だったのでしょうか。
奴隷貿易でアフリカから南北アメリカに連れ去られた人は1億人にも上るといわれています。神の前で最初に裁かれ謝罪すべきは、彼等であるとあえて断言する次第です。日本はその彼等の前に敢然と立ち上がり、当時眠れる獅子と恐れられていた清(中国)に勝ち、10年後には世界中から絶対勝つ筈がないと信じられていたロシアに勝ちました。そして、非白人で唯一立憲政治体制を確立し、短い年月で近代化を成し遂げ、否決はされましたが最初の国際連盟の壇上で皮膚の色による差別撤回を訴えた勇気ある国だったのです。
日本はアジアの先覚者として、欧米諸国からの経済的搾取と軍事的侵略からアジアを開放し、植民地の独立を唱えました。欧米諸国が暴力と謀略によって獲得した権益擁護の為に、ABCDの日本包囲網を形成し、さらにアメリカにある日本の在外資産を凍結して、日本を経済封鎖し屈服させようとした時、日本は彼らの前にひれ伏して哀願することを潔よしとせず、自国の命運を賭け戦争に突入したのでした。力及ばず負けはしましたが、自存自衛のために立ち上がった日本に戦争犯罪の責任はなく、まして戦争に誘導した側の責任を追及せず、一方的に彼等に日本人を裁く資格も正義もないと断言して憚ることはありません。
国際法上の通念によれば、国家間の紛争を武力によって解決することは、ヨーロッパにおける騎士の決闘や、日本の武士の意地による果し合いにその源があり、どちらも立会人をたて、後に遺恨を残さず善悪は問はないことになっています。特に東京軍事裁判は人類史上最悪の偽善であったと言えます。敗戦の結果、発言力も言論の自由も奪われた日本は彼等の為すがままに断罪されました。
「法無きところに罪なし」これが人類社会の普遍の法則であり、事後につくられた法律で裁くことは出来ないのが文明なのです。彼等は自らの振りかざした文明で自らをも裁かなければ、法の上の平等はあり得ないし、他を裁く資格はないのです。それを文明に対する罪という、彼等自身がいつの日にか俎上に挙げられるべき論理を展開して裁判を強行しました。
繰り返しますが、文明に対する罪無きところに、後から法をつくって断罪した罪は彼等自身にも適用されなければ法を口にする資格はなかったのです。自分たちの国益や繁栄のみを求め、自分たちの安楽と豪奢な生活を追及するあまり、他国の貧困や騒乱の原因をつくりながら自らの責任を認めず、日本に責任を転嫁し文明という美名を掲げて、日本を裁いたことはそれ自体が文明に対する明らかな罪であったのです。
東京軍事裁判は明らかに復讐のために計画され、如何にそれを正義の名にするかが修辞法に優れた連合国側の作文だったのです。非白人国で彼等と肩を並べ得るまでに急成長を遂げたことへの苛立ちと不安が昂じての恐怖心と、せっかく形成したABCD包囲網を突き破って戦いを宣言し、緒戦の段階では連戦連勝を続け、さらには虎の子の植民地を解放させるまでに至った、憎むべき末恐ろしい国、何とかして抹殺してしまいたかったのですが、それが出来ないので二度と立ち上がれない様に、民族の誇りを踏みにじり、歴史を塗り替えてしまおう、それが連合国側の統一した見解であり、それに基づいた法廷だったのです。
東京軍事裁判のなかで開戦時の責任者をA級戦犯として処刑しましたが、開戦の責任はアメリカのルーズベルと大統領やソビエト・ロシアのスターリン首相も同じ壇上で裁かれるべきであり、ましてBC級に至っては、確かな証拠もなく単に現地人の指差しと証言だけで断罪した責任は、厳密に調査し、厳格に裁かなければなりません。異民族の人間を、時日が経ってから正確に指摘することが可能で、しかも死刑にする確実な証拠となり得るのでしょうか。すべては非白人に権益を奪われた憎しみと、かって君臨していた現地人の前で、日本軍の一撃により惨めに敗北した屈辱と、復讐の怨念からの所業であり、法や文明の名に値しない茶番劇だったのですが、処刑された命は戻りません。せめて受難者の名誉を回復し、護国の英霊として、靖国神社に合祀しなければ、我々後に残されたものの責任は終わりません。
かって日清・日露戦争や第一次世界大戦のロシア・ドイツなどの捕虜を、日本は国家のために戦った勇士として温かくもてなし、捕虜となった士官・将官もそれなりに礼遇しました。まして犯罪人として処刑したことはありませんでした。第二次世界大戦後に行われた戦争犯罪裁判は、人類史上の問題として世界史の壇上に挙げるべき重要課題ではないでしょうか。
さらに日ソ不可侵条約を一方的に破り、満州(現中国の東北地方)に進入して乱暴狼藉の限りをつくし、60万人以上の日本軍人や民間人を自国内に連れ去って、劣悪な環境と乏しい食料のなかで重労働をさせ、数万人を死なせた、国際法と人道上の犯罪。それに対する責任の追及と弁償も厳格に求めるべきでしょう。
英国の歴史家、ノーベル賞受賞者のH・G・ウェルズは、「この大戦は植民地主義に終止符をうち、白人と有色人種の平等をもたらし、世界連邦の土台をつくった」と言っています。
同じく英国の歴史学者であるアーノルド・トインビーも、「第二次世界大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために偉大な歴史を残したと言わねばならない。その国々とは日本の掲げた短命な理想である大東亜共栄圏に含まれた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前で、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去200年の間考えていたような不敗の半神ではないということを示した点である」と。
日本占領軍司令官のダグラス・マッカーサーは上院議員での演説で「狭小な国土で繊維産業しかない国が、アメリカから移民と製品の輸入を禁止され、さらに包囲網をつくり石油を止められた時、戦争に突入したのは自衛のためであった」と証言しています。
最後に、戦争中は軍国主義を謳歌して軍の太鼓持ちに全力を投入しながら、敗戦後はその唇を拭い、平和の守護神、民主主義の旗手の如く振る舞い、甚だしきは中国や韓国など隣国の提灯持ちとご注進を仕事の重要部分としている、日本のマスコミは如何に断罪すべきでありましょうか。

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