2007/9/7

他人と自分  日常たわごと君
 
音楽屋に限らず、誰しも「認められたい」「受け入れられたい」という欲求があります。愛されたい願望というヤツですな。別に異常なことやありません。社会性のある動物なら、ごく自然なことやと思います。クリックすると元のサイズで表示しますうさこもそうですし(笑



それが「やる気の源」になることもありますし、行動を律することもあります。まぁ総じて欲求というヤツは、健全に機能してくれれば、エエ結果につながることが多いですわな



しかしながら、人間というのは弱いもので、どちらかといえば不健全にそれが機能してることの方が多いのです。また、健全なヒトであっても、時々そのバランスが崩れることもあります



先の「認めてもらいたい欲求」には、たいてい「自分を正しく理解してもらいたい欲求」がセットで付いてきます。これ自体は問題ないのですが、バランスが崩れると、とにかく自分を見てくれ!本当の自分を知ってくれ!というムチャな要求になってきたりもするのです




ほな「本当の自分」って何なのよ?




コミュニケーション心理学でよく登場するモデルに「ジョハリの窓」というのがあります。クリックすると元のサイズで表示しますこれは、自分を大きな1つの窓に例え、縦軸を「他人が自分のことを理解している程度」、横軸を「自分が自分のことを理解している程度」とし、4分割によって自己開示の度合いを分析しようというものです



4つの窓とは、画像(※Wikipediaより拝借)にもありますが、


1)自分も他人も知ってる「自分」
2)自分は知らないが他人は知ってる「自分」
3)他人は知らないが自分は知ってる「自分」
4)自分も他人も知らない「自分」



ってなモノです。これに習いますと、「本当の自分」なんて言葉が、いかに曖昧で主観的ななモノであるかがよくわかります



例えば、自分は知らないが他人は知ってる「自分」が「本当の自分」であった場合、そしてそれが本人は非常に受け入れ難かった場合、「本当の自分」なんて言葉は、あんまり意味のないものになってしまいます



だいたい、自分自身がよくわかってへんのに、他人に対して「わかれ」「理解しろ」というのは、ムチャも甚だしいわけで(笑





これのバリエーションに、「自分はこれだけやってるのやから、相手もやって当然」と要求するパターンがあります。義務を遂行したのやから権利も行使します。と一見スジが通ってるようですが、これもバランスが崩れるとワチャチャなことになります



「自分はこれだけやってる」というのは、あくまでも自分の主観の範囲内のことであって、他人はまた、違う主観を持って「これだけやってる」と思うてるかもしれません



それに、本人がいくら「やるべきことは完璧にやってる!」と主張しても、まずそんなことはありません。9割9分ザルです。ザルでなくとも、他人が本当に「してもらいたい」と考えてるコトについては、たいてい抜け落ちています



自分もまた、他人に見られています。自分の主観だけで話を進めると、まぁロクでもないことになります。そのあたりのバランスは、難しいけど大事なんやないかと思います






ま、結論を言いますと、過度に理解してもらおうとしないこと、期待しないこと、ですかね。かと言うて、心を閉ざしたり表面的な付き合いに終始するのやなく、なんというかね、他人は自分の主観の世界に生きてるわけやないことを認識しとく、そんな感じですね



…というようなことを、ちょうど10年前に気付きました。その頃に『花太郎』を書いたのです。依然として未熟さバリバリなままですが、他人には他人の考えがあり、それと折り合いをつけ、接点を見いだしながら生きていくしかないのやなぁと、日々思ってる次第です


2007/9/9  1:45

投稿者:anba
ははは。。まったくですねぇ orz

2007/9/8  16:48

投稿者:keibee
はずかしw
徹夜明けで読解力不足でした(汗;

自分のことはわかりまへんなぁ〜、、、どこへいくのか浮草雲ww

2007/9/8  12:47

投稿者:anba
というよりも「自分のことは案外わかってない」ってのが近いかもしれません(笑

2007/9/8  7:09

投稿者:keibee
他人を変えるのは難しいけど、
自分自身は変えられる。っですね。
ホンマこれ職場でも切実に思いますわorz

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