1965(昭和40)年「川柳平安」2月号
毛糸着て妥協の多い冬の天 坂根寛哉
資本家にならぬときめて市電待つ
灯を消していつから狂う日となるか
朝ごとの鏡へおんな何を見し
妻ねむり冬の童話は一人のもの
さざえに誘惑されし父と娘の夕餉 所ゆきら
おみおつけのほかにさざえありあたたまる
さてやくほどにさざえのふた生きて動くや
火の上のさざえはげしく蜃気楼ころがる
海に帰るなきかたくなな貝がらよ
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またさざえに呼びかけられた初春某日
夫婦の穴白蟻育ちゆく時間 堀 豊次
内蔵に火薬密造して夫婦
月光に雪降り夫婦離れ住む
年輪を彫るほかはなし冬の夫婦
所ゆきらが小さなカコミ記事を書いおり、当時の川柳界と平安川柳社の一端が抽出されているので、全文引いておきたい。
39年度をざっとふりかえってみると、時実新子の活躍、今井鴨平の死去。各誌で対談が往行したこと。川柳岡山社全国大会の印象など。川柳界の十大ニュースとしていろいろなことが数えられる。40年度は?といまから何かありそうな期待がふくらむ。
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評論が、表現の巧拙などから基礎的なものへ追求されていることは、よい傾向であろう。定型論なども漠然とした論でなく、「定型でよろしい」という以前の、なぜ定型でよいのかという根底の解明へ向かっていると信じたい。
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1月15日夜句会終了後、岡山よりの冬二、英子、操、三氏を迎えて放談する。そして平安同人がお互いの作品のつるしあげとなる。冬二曰く「岡山でこんな酷評をやったら、翌日からはだれもこない」と、心配やら感心をしてくれる。一同呆然。
新撰苑上位
針葉樹憎い女がいるんだよ 定金冬二
お座敷小唄でまたもはじまる華麗な値上げ
どうせ死ぬときは独りの堅いパンめ
愛の喪に黒いリボンの鴉彫る 坪井枯川
幸福の仮想を孕む駅の夜景
地球を休ませるスイッチがない 乾ふたよ
夜の手が心のチャンネルを回す
つめたいおとたててゆくなきがらのごとききみ 徳永 操
心の起伏にうずくまってる黒点よ
弱者はほろびよと高らかにファンファーレ 鶴本むねお
カーテンをひけば不貞の音がする
パワーショベルに運び去られる地下足袋よ 田中博造
自己批判を固いコメカミといる
引きずった影をみられそうになる 川村富造
カーテンの向こうの貌を考える
電飾の下にネクタイをつけた鴉ども 山本ひよこ
あすもアナクロニズムのレールは光っている
血縁という地獄の回転椅子である 白神英子
軍艦とヨット海の果つる日はなし
川柳界で「新撰苑」は革新派の投句欄であり、厳選で知られていたが当時は「心」という句語が活字になっていた。川柳界で「心」という句語が書かれずに表現化される過程があったはずだが、いつ頃だったか。所ゆきらが短文で「時実新子の活躍」と書いているように、女性の情念の表出が始まった頃を「心」という句語の変遷のスタートとする表現史を思う――。
句会
饅頭をもろうたころの君が代は強し 二山
君が代を唱わず二十年は過ぎ 豊次
君が代を歌うてる窓に冬の蝿 麗水
君が代へ魔女と意われし顔顔顔 ゆきら
ここに神おわす幼稚園の天 紫蘭
水煙の天女も霧の中で奈良の元日 白史
天に帰った天女に松の匂いする 豊次
雨天決行酒飲むだけのことだから 泰典
年玉をいわぬ子といる風の中 博造
電車を降りる時刑事だなあとわかる ゆきら
新生吸っている指の黄色い刑事さん 白史
罠をかけてからを刑事の自己嫌悪 冬二
追えば議事堂に逃げられた刑事 宏
線路ゆく影が刑事になっている 豊次
枕二つ揃えてあらし待っている 冬二
金持ちが一人焚火に残される 豊次
例えば冬二の「あらしを待っている」の表現は「心」という句語が表現化されている。つまり、近代的自我の表出が作者自身の「心」という句語を必要とし、それが使われずに表現化されてゆく過程に、川柳が近代から現代化する変化があったと思われるのだ。ここから見れば、一般的な日常性のなかで近代化と現代化が混在していた時代と、その時代の人間の様態の川柳への抽出が、堀豊次が精魂込めた新撰苑であったとも言えるのだ。川柳界で言われていた本格と革新という用語の内実がこの辺に有ったのであり、本格や革新と言われなくなったときに、社会的に均等化された日常が定着したと見てよいだろう。とすれば、この「川柳平安」誌の1965年1月の句会報は、東京オリンピックの翌年であったことと合わせて、川柳史的にいろいろ思わせるものがある。

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