昭和33年(1958年)「川柳平安」7月号に河野春三の十句が大きく載っている。
轍 河野春三
鮮血の苺を垂らし生きんとす
脳底には〈近代〉の深いするどい轍
風の日の履歴書ならばみんな飛べ
饒舌の鞄から人生をとり出す
運河の灯流離の性は父に享く
泥濘をつぶやきあゆむこのなきがら
猫の顔のまん中にあるユートピア
枯葉一まい十字架の股間かなしや
左へ左へ有棘鉄線はねじれる
復讐と書き降参と書き直す
乱暴なことで申し訳ないが、この十句と、堀豊次が番傘秀吟抄(当ブログの前回で紹介)で取り上げた十四句が、当時の川柳シーンの両端を象徴していると思われる。
この7月号には
民族の落差貧なる未来の瞳 山本礫
青銅の鉄扉とざされ斗志うすれる
触れてはならぬことのみ多し子よ妻よ
道化師よたるんだ皮膚を伸ばすのか
いつまでも牛は昨日を歩いている 堀豊次
夫という道化師になりきれず
君も吹いてる玩具のハーモニカ
今日が終りかけているのにネクタイが結べず
が載っている。「川柳平安」誌は一党一派に偏らないことを標榜していたので、河野春三の句は革新川柳の方から取り上げられたと思われ、次頁には
原稿の世に出る頃を咳続け 池田可宵
失恋の賜となる出世作
船長の写真の下で子が育ち
などの「近詠」十句が並んでいる。
なお、同号からの孫引になるが、前号の句評(伊藤露松)のなかに
追いつめられたアンブレラーと私 堀豊次
がある。
「アンブレラー」という措辞の使用は、社会の近代的合理主義化、科学的な近代化などをいう<モダニズム>とはやや離れたところの、ひとむかし前に言ったハイカラという庶民的な言葉の延長、もしくはハイカラというひびきより新しい庶民的な言葉として<モダン>という言葉があったことを含んでいる。革新派が現代詩に興味を持ったのは、社会性とともに庶民的な<モダン>な感じであったのだろう。しかし「アンブレラー」という措辞はそれが露わに出過ぎているきらいがあり、むしろ礫・豊次が「道化師」という比喩をそろって書いているところに、<モダン>な感覚、モダンな書き方を引寄せているのが感じられる。
(それから30年も過ぎて、庶民という言葉がほとんど使われなくなったころに、豊次さんと川柳の話をしていたとき、「みんなもう、中産階級になって」という感懐を聞いた。
昭和30年代の前半、右肩上がりの経済に巻き込まれて、そのおこぼれをわずかに享受していった〔庶民〕の身近な文芸≪川柳≫。その急激な変転のなかで、堀豊次は世界と人間を対象化する自分の位置を、啓蒙化を含むところに求めようとしていた)

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