刺身は箸で食べたい  

昨日はヒマみたいなことを書いてしまいましたが、
今日は常務会と新年賀詞懇親会の準備で大忙し。
仕事始め(1/5)の翌日(1/6)が新年賀詞懇親会ですから、
年内に準備を済ませておかないとなりません。
やっと出席者が出揃ったので、
受付名簿と席の割り振りをします。
今回の参加者は220名
昨年より少なくなったのは、
ハワイ旅行の奥様方の参加が意外と少なかったため。
やはり2月から10カ月の隔たりは大きいのかもしれません。

昨日、渡辺元行革大臣の造反が話題になっていました。
しかし、たった一人の反乱とは。
今の閉塞状況を打破するのは解散しかない、
というのは一本筋が通っているし、
国民は今の手練手管、党利党略の政治にはあきあきしており、
ねじれ国会で動きが取れないなら、
いっそのこと民主党に衆議院を取らせてしまった方が
ものごとが動くだろう、という思いが国民の中に醸成されていますので、
もう少し同調者がいてもいいとは思いますが、
たった一人。
国会議員の皆さん、勇気がないんですね。
よほど政権を失うのがこわいのに違いない。

昔、小沢一郎が新党の運営に失敗してしょぼくれていた時、
「小沢一郎よ、岩手に帰れ」
という論文を書いた人がいました。
誰だったか忘れましたが、
名前の通っている人です。
中国かどこかの故事をひきあいにし、
今小沢一郎にとって引くことも一つの姿勢だろう。
故郷に帰り、たった一人の政治家として静かにしていれば、
必ず君を必要とする時代が来るだろう、
そんな趣旨の内容でした。

その予言どおり、
今、小沢一郎は日本の政治の方向性を決めるキーマンとして復活しました。

自民党も同じです。
自民党よ、下野したらいい。
この数代に渡る総裁のていたらくを見て、
国民から見離されたのは身から出たさび。
ならば、ここで民意を問うて、
ボロ負けして、
小さな政党になって、
政権を失って、
その悲哀を味わうがいい。
その間に自分を磨いて、
もう一度国家国民が自民党を必要とする時を待てばいい。

とにかく選挙に負けることがいやで、
選挙に勝てそうな顔という動機で党首を選び、
その支持率が下がれば、
ただちにゴタゴタし始める、
そんなことではなく、
今の民意に謙虚に耳を傾けたらいいのです。
今国民は解散までもが政争の具となっている姿に
あきれかえっているのですから。

「潔さ」
そういう言葉の対極にある今の政治を、
サムライの子孫である日本国民は本当に嫌悪しているのです。

などと書いていると、
いろいろなことが次々と出て来ます。

たとえば、「ゆとり教育」の破綻。
当たり前ですよ。
人生には知識をつめこむのが必要な時期があるんです。
小学校から中学に至る
脳のネットワークが顕著に結ばれていく時期には
教育の真っ只中にいなければならないんです。

それを「ゆとり」だなんて、誰が言い出したのか。
世界の水準より下がっていることにやっと気付いて、
大慌てで直そうとしている。

我々のような世代になったら、
もはや学習しても脳味噌の中には残りませんが、
小学校、中学校のあの時期は
教え方さえ良ければ、
いくらでも知識は増えていきます。

そうか、きっと教え方に自信のない教師たちが
「ゆとり教育」なんて言い出した
んだな。

携帯電話の学校への持ち込み禁止、
なんて、議論するだけおかしい。
われわれが小学校の時、
勉強に関係ないものを持って来たら、とりあげられましたよ。

学校とは勉強するところだ
ということを明確に把握すれば、
授業を邪魔するものの排除など当たり前でしょう。

例のだらけた服装の生徒を入学させなかった校長も
当然すぎて、議論する方が不思議。
賢人・曽野綾子はこう言っています。

「多くの子供たちを良識の範囲で育てるためには、
意識的迷惑をかける人物は排除して当然だろう。
迷惑な生徒を育てる場所は他にあるはずだ」
と。

そして、こうも言っています。
「この校長は謝ったが、
その気の弱さが一番残念である」


曽野さんの「多くの子供たち〜」の文は、
教育評論家の村田栄一という人の言っている
「校長の更迭は妥当な処分。
更迭に反対する動きは、
迷惑な生徒さえいなければいいという、
ある意味で自分勝手な行動
だ」
という論理に対して書かれたもの。
村田氏はこうも書いています。
「『服装が乱れている場合は不合格とする』
ということを事前に受験生に通知せず、
独自判断で不合格にするのは問題だ」

こういう「ヘンチクリンな理屈」
非難もされずにまかり通るから困る。

ここでまた話は飛びますが、
最近読んだ記事で興味深いものがありました。

ある医師が介護・福祉系の大学で、
リハビリの講義をしていて、
最近のリハビリは、
医学的な所見だけでなく、
患者の満足度も重視しなければならないと話し、
その例として、
ある脳梗塞の患者が懸命のリハビリで
フォークで食事ができるようにまで回復した話をしました。
しかし、本人は箸で食事が出来るようになりたいという。
その理由を聞くと、
「フォークで刺身を食べてもうまくないんや。
刺身はやっぱり、箸で食べんと」

と。
だから、リハビリは医学的な判断だけで中止せず、
患者の希望を考えてプログラムする必要がある、
とつないだわけです。

すると、一部の学生が、こう言ったといいます。

「箸で食べてもフォークで食べても、刺身は刺身では」

こういう意見を言う学生は、
人類の文化というものが全く分かっていないのでしょうね。

そうそう、昔、こういう宗教説話を聞きました。

ある人が地獄に言ったら、
食べ物は山のようにあるのに、
住人たちはみんなガリガリに痩せて飢えていた。
どうしてだろうと見ると、
そこにはルールがあって、
自分の腕より長い箸を使わなければならない、
という決まりだった。

箸で食べ物をはさんでも、
自分の腕より長いので、
ちゃんと口にまで運べない。
だから、食べようとしても食べようとしても、
口に入らず、みんな飢えていた、という。

こんなひどい世界は見たくない、
とその人が天国に行くと、
そこは地獄と同じように食べ物があふれ、
腕より長い箸で食べなければならない、
というルールは同じなのに、
天国の人たちは栄養一杯で、
丸々と太って幸せそうだった。
どうやって食べているのだろう、と思って見ると、
天国の人たちは


お互いに与え合っていたのです

という話。

事務局長など、こういう話を聞いて、いたく感心した口だが、
それを聞いて、一人の学生が言った。

「いや、食べる方法はあります。
箸で食べ物を持ったら、
垂直に持ち上げて、
ぱっと離して、
落ちて来るのを受ければいいんです」

こうして話の趣旨はどんどん脇にそれ、
どう要領よくやるか、という話に変わっていきます。

共産党系の学生の言った意見は、いかにもそれらしい。
「腕より長い箸で食べなければならないなんて、
それは、その規則が悪いんだ

これらの「ヘンチクリンな理屈」、
みなさん、どう思います?





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