小説『零の晩夏』  書籍関係

[書籍紹介]

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映画監督の岩井俊二による、
ミステリー風恋愛小説。

広告代理店に勤める八千草花音(かのん)は、
職場の後輩から、一枚の油絵を見せられる。
写真かと見間違うほど写実的に描かれたその絵は、
窓辺に佇む女性で、
後輩は、花音に似ているという。
という絵描きによる作品は「晩夏」と名付けられており、
花音の心に残った。
後輩によれば、作者の零の絵は、
これ一つだけしかないという。

上司のセクハラに遭って会社をやめた花音は、
季刊誌「絵と詩と歌」編集部に
トライアウトで雇われる。
花音は昔、油絵を描いており、大学も美大だったが、
才能の不足に気付き、もう描いていない。

花音は、ナユタという画家の特集記事を担当させられる。
取材拒否の謎の画家で、
「ナユタの死神伝説」という都市伝説の持ち主だ。
というのは、ナユタが描いた絵のモデルとなった人間は、
必ず死んでいるというのだ。
臨終間際の人や、誘拐されて殺された少女や、
解剖中の人体などと並び、
「花の街」と題された3点の女性画のモデルとなった3人の女性は
バス事故で共に亡くなっているという。
しかも、事故は3点の絵を含む展覧会の10日前。
事故を知ってから描いたというのは、時間的にあり得ない。
なぜなら、その絵は超写実絵画だったからだ。

ナユタとは、数の単位で、巨大な数を表す言葉。
無量大数、不可思議に継ぐ、巨大数の単位だ。

花音は、ギャラリーのオーナーである
根津の指導によって取材に取り組むが、
ナユタが男性なのか女性なのかも教えてもらえない。
花音は、ナユタゆかりの人物に会い、取材を続ける。
肝臓ガンで亡くなった女性の絵「伴侶」の夫の住職、
誘拐されて殺された少女の絵「カラス公園」の母親、
「伴侶」の終末期患者をナユタに紹介した医師。
花音はその医師からナユタの本名、
染井雄高(ゆたか)を聞き出すが、
驚いたことに、染井は既に死んでいるという。
焼身自殺だ。

花音は染井の父母や
染井が学生時代親しかったというボクサーの三兄弟にも取材し、
その次男と染井が一緒に遭った事故のことも聞き出す。
北海道に渡り、
「花の街」のモデルとなった3人のホステスについて取材し、
小樽では、染井が通った絵画教室にも行ってみる。
そして、事故に遭った一人の女性・夢カナエのブログも取材する。
その女性は、染井との接触があった!

というわけで、花音の取材を通じて、
ナユタという謎の画家の人物像を浮き上がらせる趣向。

それに並行して、
花音の学生時代の回想、
特に、高校の時、美術部に入ってきて、
花音に油絵の手ほどきを受けた加瀬真純(ますみ)との想い出に触れ、
根津の紹介で訪れたスペイン料理店で
塗装工になった加瀬と再会する。
加瀬は、高校時代に
県展で優秀賞を受賞する腕前の持ち主でもあったが、
今は絵は描いていないという。
やがて加瀬は花音の取材の運転手として同行することになったが、
取材には立ち会わなかった。

後半、ナユタがいたというアトリエ
「恒河沙」(ごうがしゃ)にまで取材が至り、
そこでナユタと一緒にいたという画家と人形作家の話を通じて、
謎の解明は頂点を究める。
というのは、ナユタというのは、
染井一人ではなく、
もう一人の画家とのユニットだったというのだ。
その人物とは?

という謎の画家を巡るミステリーだが、
その根底にあるのは、
少女時代、高校時代を通じての
ある種の純愛の物語

「死神伝説」の真実と、
画家の業なども織り込まれる。
夢カナエのコロボックルの話も、
謎を取り巻く一つとして、
ナユタの解明の重要なピースになる。

そして、物語は、冒頭の
零という画家の描いた「晩夏」に至る。
絵画を巡る、人間ドラマとしては、なかなかの趣向。
だが、話はかなり錯綜し、
今一つすっきりしないのは、なぜなのか。

映画化は、相当の力量がないと難しいだろう。

三重野慶の作品との出会いが
きっかけになり生まれた物語だという。

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三重野慶↑はハイパーリアリズム絵画の作者で、
↓のような作品を描く。

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これが油絵だとは・・・。
油絵でこのような作品をものにするというのは、
相当な技量の持ち主。

絵画は昔、現実を切り取る手段だった。
風景も画家の手によって永遠のものとなったし、
貴族たちは、画家に肖像画を描かせることで、
その人の生きた痕跡を残した。

しかし、写真の登場で、
現実の切り取りは写真で済み、
風景も肖像も写真で残せるようになった。
で、絵画も写実主義はすたれ、
印象派だの抽象画だのに、その主役の座を譲った。
しかし、今、写真と見間違うほどの
写実絵画が脚光を浴びているという。
それは、絵師がゆっくり時間をかけて描くという
大いなる手間の産物で、
そこに価値があるのだと。

「写真みたいな絵画」
それが「写真」を越えたものとなる。
時代は巡り、芸術は変わる。
なるほど。




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