小説『風神雷神』上・下  書籍関係

[書籍紹介]

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原田マハによる、
俵屋宗達「風神雷神図屏風」」↓と

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天正遣欧少年使節団を巡る、
「歴史のif」の話。

まず、エピローグとして、
京都国立博物館研究員の望月彩を巡る話。
彩は、子供の時、
宗達の象の絵↓に魅せられてから、

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宗達の研究に没頭してきた。
その彩をマカオ博物館の学芸員、レイモンド・ウォンが訪ねて来る。
あるものを見てもらいたい、と要請を受けた彩は
マカオを訪ね、ある絵を見せられる。
遺跡調査の際に作業員が発掘して秘匿していた絵だという。
それは、ギリシャ神話の「ユピテルとアイオロス」すなわち、
風神と雷神を描いた西洋画だった。
しかも、宗達の描く風神雷神と共通点があった。
それは、通常赤鬼と青鬼で描かれる風神雷神が
風神が青い肌、雷神が白い肌に描かれていたのだ。
その上、絵には古文書が添えられており、
それは遣欧使節団の一人、原マルティノによって書かれたとされ、
日本語の文章の中に、「俵屋宗達」という文字が見出された。
原マルティノは、日本を追われて、
その生涯をマカオで送っている。

その絵画は何か。
何故俵屋宗達の名が記されているのか。
こうした謎を投げかけて、
物語は一挙に天正8年(1580年)に跳ぶ。

原マルティノはキリシタンの父親の影響で
幼くして洗礼を受け、
備前・有馬のセミナリオ(神学校)に入る。
そこで聖母マリアを描いた絵画を見て、心を奪われる。

ある日、一人の少年がマルティノの前に現れ、
絵師だといい、名前の宗達は
織田信長によって与えられたのだと言う。

ここで、話は宗達の話に移る。
扇屋の息子として生まれた宗達は、
子供ながら絵がうまく、
宗達の描いた扇子はよく売れた。
その扇子を見た一人の武士により、
信長の前に召し出された少年は、
「見たことのないものを描け」という信長の命令に従い、
象の姿を杉板の上に描く。
それは、キリシタンの南蛮寺で見たものだった。
感心した信長によって「宗達」という名前をもらう。

その後、信長の要請で「洛中洛外図屏風」↓を描かされる

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狩野永徳の作画を手伝った宗達は、
その見事な手腕を見た信長により、
ある特命を与えられる。
それは、ローマに派遣される
4人の少年たちと共にローマに随行するように、という命令だった。
狩野永徳の描く「洛中洛外図屏風」は、
ローマ教皇への贈り物で、
それを届ける役割、
それと西欧の活版印刷の技術を習得する、
という表の役割と共に、
宗達は信長から、ある使命を与えられる
それは、ローマの隅々まで見聞し、
ローマの洛中洛外図を描くように、というものだった。
それは、ローマ全図を見渡して、
この都を攻め入るか否かを検討するためだという。

こうして、1582年(天正10年)2月20日、
伊東マンショ
千々石ミゲル
中浦ジュリアン
原マルティノ
の4人の少年使節団と
アゴスティーノという洗礼名風に名付けられた宗達は、
長崎を出発し、
マカオ、ゴヤを経由し、
喜望峰を周り、ポルトガルを通過して、
ローマへ向かう旅に向かった・・・

実際、天正遣欧使節には、
日本人が3名同行しており、
うち、アゴスティーノという名の日本人少年が同行したのは事実らしい。
詳細は不明だが、
この人物を俵屋宗達だったのでは、
というところがアイデアだろう。
俵屋宗達は、生年も没年も不明の謎の人物。
だからこそ、こんな「if」が考えられたのだろうが、
小説家の想像力はすごい。
しかも、日本画と西洋画の遭遇という大きなテーマも内包している。
原田マハの面目躍如。

航海での苦しみや
ポルトガルで西洋文化と接触しての少年たちの驚きなどは、やや平凡。

宗達は西洋画のある作品に接触する。
一人はレオナルド・ダ・ヴィンチ
フィレンツェのメディチ家の礼拝堂で
未完の聖母像を見た時、宗達は涙を流す。
そして、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂
教皇に謁見した時、

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その天井画や正面の最後の審判の絵を見て仰天する。
これを描いた絵師に会いたいと、宗達は切望するが、
作者は既に亡くなっていると告げられる。
作者とは、もちろんミケランジェロ

教皇に「洛中洛外図屏風」 を披露し、
教皇に感銘を与える。
そして、帰路、ミラノで、あの名画に出会う。
ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」である。

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そして、そこで、今は無名の少年画家に出会う。
それが後のカラヴァッジョ↓だった。

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カラヴァッジョ「エジプトへの逃避途上の休憩」

カラヴァッジョは、宗達が挙げた扇子に描かれた風神雷神の絵から、
独自の西洋画を宗達に贈る。
それが、プロローグに出て来た風神雷神の絵らしい。

と、物語は壮大で、
すさまじい「ホラ話」で、
面白かったが、
原田マハの文章は味がなく、
物語を読む喜びは感じられなかった。

そして、日本に帰国後の4人+1人の運命も描かれず仕舞い。
8年後の1590年7月1日に帰国した
彼らがローマに行っている間、
本能寺の変で信長は死んで、
秀吉の時代になっており、
やがて起こる禁教令で、
日本のキリシタンは弾圧を受け、
4人の少年使節のうち1人は病死し、
1人は殉教し、
1人は棄教(そうでないという資料もある)、
1人はマカオで死を迎える。
その「ローマを見て来た」少年たちのその後こそ、
本当のドラマがあるはずだが、
どうも原田マハは、それには関心がなかったようである。
まして、その後の宗達、
西洋画と日本画の両方を見た絵師の生涯こそ、
読者の興味であるはずなのだが。
西洋画が宗達のその後の作画に
どのような影響を及ぼしたかを
書かないのは、作者の手落ちと言えよう。


なお、エルサレム経由でローマに行った
ペトロ岐部については、↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20180120/archive




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