人権のある社会  様々な話題

北朝鮮における人権侵害の調査を行っている
韓国のNGO、北韓人権情報センターが、
2017年1月1日以降に北朝鮮から脱北した人を対象に
意識調査を行ったところ、
回答者の42%が
「北朝鮮で『人権』という言葉を全く聞いたことがない」と答え
62%が「人権に関する教育を聞いたことがない」と答えた。
「北朝鮮で法律に関する教育を受けたことがあるか」という問いには
「ない」と答えた人が90%に達したという。

よく、金正恩の独裁に対して、
「どうして、北朝鮮の人民が声をあげないのか」
という意見があるが、
人権意識のないところに、
そんなものを要求しても
ないものねだりというものだ。

北朝鮮の人々にとっては、
今の現状が当たり前なのだ。
なにしろ、「人権」という言葉を聞いたことのない人が
大半というのだから。

考えてみれば、北朝鮮の人民のうち、
ほぼ全員が、今の体制下で生まれた人だ。
第2次世界大戦が終わって、
朝鮮半島が日本の治世下から離れて、
南と北に別れてから、
既に75年たっている。
75歳以上の人は、
既に淘汰されているはずだから、
そういう勘定になる。

その間、繰り返し社会主義の正しさ、
主体思想の素晴らしさを刷り込まれ、
アメリカは敵、南の人民は圧政に苦しめられている、
今自分たちが飢餓に苦しんでいるのも、
アメリカの陰謀だ、
そして、金正恩に従うべき、
との教育をされていれば、
血肉がそうなっているに違いない。

しかし、よく考えてみれば、
「人権」思想が広く世界に行き渡ったのは、
戦後75年間のことだ。
それまでは戦争は当たり前、
権力者の人民への抑圧は当然、
植民地支配も許され、
人民への圧政もそのまま受け入れられていた。
国際連合が世界人権宣言を出したのは、
1948年12月10日のことである。

ヨーロッパではフランス革命やイギリス革命などで
一部に人権思想が広がっていたが、
(イギリスの権利章典は1689年、
フランスの人権宣言は1789年、
アメリカの独立宣言は1776年)
それでも階級はあり、
男女差別はあり、
「平等」も「自由」も
全ての国民に保証されてものではなかった。
アメリカに至っては、
19世紀半ばまで奴隷制度は続いていた。
その後も黒人差別は続き、
公民権運動が起こったのは1950年代である。

わが日本でも、
江戸時代まで、
庶民や農民の暮らしに「人権」などありはしなかった。
それこそ、「人権」という言葉のあることさえ知らなかったのだ。
その前の戦国時代には、
農民は戦さに駆り出され、
命など、刀の一本より軽く、
領主の一存で、
裁判にかけられることもなく、
首をはねられた。

明治時代になって、法治国家としての体裁は整ったが、
国家権力への反抗は許されず、
思想統制はあり、
治安維持法によって、
思想犯は検挙、投獄された。

それは、今中国が共産党一党独裁で
政治的自由は許されず、
インターネットの情報管理をはじめ、
反国家的言辞で逮捕交流されている。
中国の人民に人権はない
まして、国家安全法の香港への適用で、
反国家的発言をしただけで、
逮捕されるなど、
香港の人々には、
とんでもない抑圧と感じられるだろう。
一度でも自由の味を知ってしまった人々から
それを奪うことは出来ない。

このように、隣国にさえ、
人権は存在しない。

回教圏の宗教の強い国では、
女性は今だに人前に顔をさらすことが禁じられ、
眼だけ四角く開いたブルカを着用させられている。
女性の人権侵害だが、
もともと宗教が人々の生活を支配し、
人権思想などないところだから、
不思議でも何でもないのだ。

社会主義の国、共産主義の国で
人権を抑圧せざるを得なかったのは、
あの主義が人間の本性に反しているからであって、
抑圧しないと社会体制が維持できなかったからに他ならない。
だから、思想統制をし、秘密警察が力を持った。

東欧の「鉄のカーテン」が崩壊したのは、
テレビの普及で、
国境を越えた電波が
西側の自由と繁栄を東側に伝えたからに他ならない。

北朝鮮では、テレビのチャンネルは固定式で、
外国の放送を見ることはできない。
ラジオでさえ、ダイヤルを固定して、
外国の放送は聞けなくなっている。
しかし、フマホとインターネットの普及は
阻止できず、
北の人民も世界の情報を知るようになっている。
そういう意味で、北の崩壊は近い。

中国は、一党独裁の政治的不自由さを
経済の繁栄でカバーしているうちはいいが、
内陸部と沿岸部の経済的格差を
うまく処理できなければ、
内部の暴動にさらされる。
既に1年間で1万件の暴動が起こり、
人民軍がその鎮圧に駆り出されているという情報もある。
1年に1万件。
毎日30件の暴動が起こっている計算になる。

日本では、戦前の思想統制への反省から、
思想的自由、政治的自由は保証されている。
国民の権利は守られ、
コロナのような時でさえ、
国民に「自粛」は呼びかけても、
「強制」は出来ないという
人権への配慮。
どんなに政権を批判しても、
それで逮捕されることはない。
新聞やテレビが政権批判をしても、
それで新聞が休刊に追い込まれることも、
局が封鎖されることもない。

このように、日本人には、
水と空気のように当たり前の「人権」も、
まだまだ世界には行き渡っていないことを知らなければならない。

よくこのブログで書いたことだが、
生まれる時、親と国は選べない
日本に生まれたことは、
どれほど幸運か。
もう一つ選べないことは、
生まれる時代

もし私が戦国時代に生まれていたら、
出世を夢見て、足軽になり、
最初の戦闘であっけなく斬り殺されていたかもしれない。
江戸時代に生まれていたら、
農民で、年貢に苦しみ、
一揆の指導者として処刑されていただろう。
仮に侍に生まれていたとしても、
無能な上役を糾弾し、
藩主に諫言して陰腹で切腹して果てていたに違いない。
戦前に生まれていたら、
一生小作人として貧困に耐えるか、
思想運動に走って逮捕され、
拷問の果てに死んでいた。

それだけではない。
今の時代に生まれた人は、
歴史に類のない技術革新の時代に遭遇したから、
安楽で便利な生活を謳歌している。
電気も水道もガスも当たり前のように安定供給され、
蛇口をひねれば、温かい湯が出る生活。
整備された下水道で、
衛生も確保されている。
そして、インターネットという未曾有のシステムの発展で、
世界の情報は一瞬にして手に入り、
欲しいものを注文すれば、
翌日には配達される。

便利さと交換して、
大切なものも失ったかもしれないが、
それは心の持ちようというものだろう。

今の時代に生まれたこと、
この日本に生まれたこと、
それは感謝しすぎても足りない


人権については、
世界は少しずつ良くなっている。

私には、世界について、
「見果てぬ夢」が3つあった。
一つは、ベルリンの壁の崩壊
もう一つは、北朝鮮の解放
最後は、中国の民主化

そのうち、一つ目は実現した。
残る二つの実現は、
死ぬまでに果たされるだろうか。




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