対談『死という最後の未来』  書籍関係

[書籍紹介]

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曽野綾子さんと石原慎太郎氏の対談。
テーマは「死」と「老い」について。
これは、読まねばなりません。

曽野綾子さんは、私が秘かに「賢人」と読んでいる、
文学者であり、人生の達人。
曽野さんの著作で目を開かれたことが何度もある。

石原慎太郎氏は、小説家であると共に、腕力のある政治家。
その群を抜く知性と博識は舌を巻く。
高圧的態度を嫌う人も多いが、
あまりに周囲の議員や記者たちのレベルが低いので、
苛立ちがそうさせるのだろう。

他人の追随を許さぬ、特別な二人。

ご両人共に90歳近い高齢で、
(曽野さん88歳石原氏87歳
病気もし、近親者の死も見ているから、
その死生観は深い。

ただ、お二人は対極にあり、
石原氏は、死んだら何もない、虚無だという見解。
対する曽野さんは、敬虔なキリスト教徒だから、
霊魂の不滅を信じる姿勢。

[曽野]私は霊魂というものはあって、不滅かなと思っています。
信じる人たちは、「永遠の前の一瞬」という言い方をします。
この世に生きて、たくさんのことを考え、
喜び、悲しんできたことが、
死によって終る。
パタリとその働きをやめてしまうということはないと思いますね。

[石原]そうですか。
僕は息を引き取ったら、
一瞬で魂もなくなると思いますけどね。
瞬時にチリ芥になる。

[曽野]私は、そうは思わないんです。
それだけに地上で肉体と霊魂とが
一致して生きるということは、
このうえなく貴重な時間だと思えます。
たかが十数年の命を、
自分に与えられた貴重な状態の中で
生き抜かなければならないような気がする。

死についても老いについても、
対照的で、
「動」の石原氏に対し、曽野さんは「静」。

年齢も近く、家も近所の二人で、
古くからの友人だが、
それほど会う機会は多くなく、
幻冬社の企画で対談が成立した。
普通の言葉での、普通の会話だから、
読みやすく、分かりやすい。
高度な知性の人が対談すると、
このような化学変化が起こるのだという経験が味わえる。

[石原](来世いについて)そういった考えは、仏教にはないですな。
お釈迦様はまったくそのようなことは言っていない。
仏教での来世は平安時代末期に浄土宗の法然が、
人々の恐怖を救うために言い出したんです。
釈迦自身は、来世とか輪廻転生とか、
天国とか地獄などとはひとことも言っていないんです。

[曽野](自殺について)せめて死ぬ時に、
残された者たちが気持ちがいいほうが私はいいです。
自殺されたら、残る者たちはずっといやな気持ちでしょう。
死ぬのも務めなら、
その日が来るまで生きるのも務めなんです。

[曽野]私自身は、自然な命を大切にし、
それ以上は望まないほうがよいのではと思います。
やはり何か偉大なものが、
死を含めて采配していると感じるんです。
できれば死というものを、
他人であれ自分自身であれ、
この世から去るべき時が来た、
と淡々と捉えたい。
                                        
[曽野]人間の一生は「永遠の前の一瞬」という言葉が、
いつも胸にあるんですよ。
よくても悪くてもたいしたことはない。
よくても喜ぶな、
悪くても深く悲しむな。
生きていても有頂天になるな、
自分の一生は失敗だと思うな、
「永遠の前の一瞬」なんだから、と。

曽野さんはご自分の書いた生原稿を全部焼いた。
本になっているからよいのだという。
「文学記念館」など建てるのはいやで、
自分のことは忘れてほしいという。
その潔さが素晴らしい。

[曽野]私は自分が逝ったあとは、
できるだけ早く世の中から忘れてもらっていいと思っています。

[曽野]わかっているのは、
人には最後に果たすべき任務、
つまり死ぬという使命があるということだけ。

二人の「賢人」の対話は示唆に富んでいる。





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