ノンフィクション『エンド・オブ・ライフ』  書籍関係

[書籍紹介]

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ベストセラー「エンジェルフライト」「紙つなげ! 」に続く、
佐々涼子のライフワーク三部作の最終章。
「エンジェルフライト」は、
外国で命を落とした人たちを
日本に搬送し、顔に修復をほどこして
遺族に届ける仕事に携わる人々を紹介したが、
本作は、終末医療に携わる人々、
中でも在宅医療に従事する人々の姿を描く。

当然、沢山の死に際の描写があり、
読むのが相当辛い本だった。

本書は二つの部分で成り立っている。
2013年の、在宅医療取材時の出来事。
2018年の、
在宅医療に従事していた森山文則(ふみのり)の
癌との闘病と死に至る経過。

2013年の方は、
取材はしたけれど、
本としてまとめきれずにいたものを、
森山の発病と共に、
森山の依頼でその死をみつめる中で、
改めて書いたもの。
その2013年と2018年を交互に描く。

昔、人は家で亡くなっていた。
病院で死ぬ人の方が少なかった。
しかし、いつの間にか逆転し、
今は病院で最後を迎える方がはるかに多い。
それは、医療技術が進歩したことと無縁ではないが、
「家で死にたい」という人は数多くいる。

そのためには、在宅医療体制が整っていなければならないのだが、
その施設、京都の渡辺西加茂診療所
この本の舞台だ。
そして、訪問看護師の一人、森山が主人公。

在宅医療とは、
病気やけがで通院が困難な人や、
退院後も継続して治療が必要な人、
自宅での終末医療を望む人などのために、
彼らの自宅を医師や看護師が訪問して行う医療だ。


渡辺西加茂診療所の方針は、
「患者の希望をできるだけ叶えよう」ということ。
従って、ほとんど余命がない人の希望で、
家族で潮干狩りに行ったり、
東京ディズニーリゾートに行ったりするのに付き合う。
その費用は請求しない。ボランティアだ。

この診療所はこういう時、
交通費も人件費も患者さんからは取りません。
不思議な行為でしょう?
どうしてそこまでやるのだろうと思われますよね。
それは一見なんの利益もない行為だと思うかもしれません。
でも、この渡辺西賀茂診療所は、
それ以上の見えない何かを、
患者さんからいっぱいもらってきたんです。


普通の病院なら、
万一のことを考えて(責任取りたくないから)禁止するような行事を認める。
余命いくばくもない人の希望を奪って、
命を長らえても仕方ないからだ。

ある分類では、痛みには大きく分けて4つの種類があるという。
身体的な痛み、精神的な痛み、社会的な痛み、
そしてスピリチュアル・ペイン
スピリチャアル・ペインとは、
直訳すると、「魂の痛み」「霊的な痛み」で、
「自分の人生の意味はいったい何だったんだろう」と考えたり、
自分の存在が無に帰することを想像して絶望してしまうことなどを意味するという。

そういう意味で、ある一人の患者の葛藤はすさまじい。

「妻には離婚を切り出しました。
妻も子もいなくなって、僕の身体は年中痛い。
こんな自分が生きている意味がありますか?
教えてください。
僕はまだ50代です。
あと、20年、30年、痛いまま、
何もできずに生きていくんですよ。
地獄ですよ。
それでも死ねないなんておかしくありませんか。
なぜ生き続けなければならないんでしょう。」


この患者は、妻と別れ、子供も拒絶して、
数年後首をくくったという。

治療についての意見の相違で別れる例も多い。
配偶者がドナーになることを拒否したので、
「くれないなら別れるわ」と離婚を選択した夫婦。
筋萎縮性側素硬化症で人工呼吸器をつけてでも生きたい本人と、
それならこれ以上看護できないから離婚するという妻。
年間1千万円以上かかる治療のため、住んでいる家を売ろうとする夫と、
それに反対する妻。

医療の現場はすさまじく、
それぞれにそれぞれの言い分がある。
きれいごとではない。
まして、外部の人間がその正否を言えるわけもない。

筆者本人の父母の
父による母の介護は素晴らしく、
お母さんは幸せだと思う。

森山は200名の患者を看取ってきた看護師。
いわば、「看取りのプロフェッショナル」 。
2018年編では、
その森山の死へ向かう姿勢を克明に描く。

しかし、森山の日常は、意外なものだった。
森山は、病状が進むと医療に従事せず、
自分の好きな人と好きなように過ごし、
好きなものを食べて好きな場所にでかける
在宅医療生活を実践。
そして、がんとの対話を望み、
自然治癒を信奉し、治ると信ずれば癌はと消えると言う。

しかし、急な宗旨替えに家族も同僚もついていけない。

佐々はそんな森山に寄り添い、
最後まで見守る。

森山はよくこう語っていた。
「死を遠ざけられて、
子どもたちが死を学ぶ機会を逃している。
亡くなる人が教えてくれる
豊かなものがいっぱいあるのに、
すごく残念なことだと思うんです」
死にゆく人は、ただ世話をされるだけ、
助けてもらうだけの、無力な存在ではない。
彼らが教えてくれることはたくさんあるのだ。


森山の死は、在宅で、
家族全員に見守られ、
最後は拍手で送られるものだった。

生き方が千差万別であるように、
死に方も一つではない。
本書で描かれる様々な死も、
その人にとってはそうだった、というだけだ。

最後に佐々が行き着く結論は、次のようだ。

七年の間、原稿に書かれなかったものも含めて、
少なくない死を見てきたが、
ひとつだけわかったことがある。
それは、私たちは、だれも「死」について
本当にわからないということだ。
これだけ問い続けてもわからないのだ。


あまりにも当たり前の結論か。

私自身は、死ぬ覚悟はとうにできている。
世界中を旅して、沢山のものを見たし、
おいしいものを沢山食べた。
もう十分だ。
私は癌になったら、抗がん剤治療はしないし、
モルヒネで痛みを取ってもらって、
眠ったまま死ぬことを望んでいる。
理不尽だと思っても、
死ぬのは私が初めてではない
今までの歴史の中で、
何千万、何千億の人が等しく死んできたし、
その悲しみを家族は負ってきた。
やがてそれは癒され、
忘れ去られていく。
人類はそうやって生きてきた。
悲しみも苦しみも、
私が初めて味わう悲しみではない、
と考えれば、楽になる。

と、いっても、いざとなったら、
じたばたしてしまったりして。

本書に、次のような印象的な記述がある。
医師の早川と筆者の会話。

「みなさん、告知を受け入れるものですか?」
「こればかりはいろいろですが、
今まで生きてきた人生そのものが大きく影響しますね。
絶対に死を受け入れない、
最後まであきらめずに闘うという人もいれば、
柔軟に受け入れる人もいます」
「私はあまり人生に未練がないから、
簡単に『ああ、そうですか』とあきらめちゃいそうですけど」
早川は、私の顔を見つめると、ややあって苦笑した。
「ええ、ええ。みんな元気な時にはそうおっしゃいます。
でも、いざそうなってみると違うようですよ」

やっばり違うのだろうか。

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