台湾の体制  政治関係

緊急事態宣言が今夕発令され、
官報掲示によって、深夜から施行されるという。
出さなければ出さないで批判され、
出したら出したで批判される。
マスゴミの論調は、
まるで緊急事態宣言自体を目的とするような印象。
強制力がない施策の有効性が問題だが、
国のトップが決めたことだ。
ここは、国民が一致協力して、
コロナを封じ込めていくしかない。
潜伏期間2週間を段階的に抑えていくしかなく、
1カ月は我慢するべきだろう。

ちなみに、うちの娘は、先週から在宅だ。
休業補償がある企業でよかった。

団地のゴミ集積所に行くと、
いつもより雑誌やダンボールが多い。
みんな家ですることがなくて、
断捨離に着手しているのだろうか。


新型コロナウイルスへの対応の速さで、
台湾政府は世界的に評価を高めている。
事態の悪化に先んじる迅速な決定、
次々と打ち出される合理的できめ細やかな措置、
厳格な防疫態勢、マスクの配給システムや
国民への積極的な情報公開、
さらに中小企業やアーティストへの支援策まで、
台湾の新型コロナウイルス禍への対応は
スピード感にあふれている。

その秘密は、
担当政府高官の人材にある。

まず、陳時中氏(67)。
衛生福利部部長(厚労大臣に相当)として、
獅子奮迅の活躍をしている。

(台湾の内閣には、内政部、外交部、国防部、財政部、教育部、
法務部、経済部、交通部、文化部、衛生福利部、労働部、科技部の
12部(日本の省に相当)が存在する。
責任者(日本で言う大臣)は部長と呼ばれる。
また、国会議員は「立法委員」と呼ばれる。)

次に、沈栄津経済部部長(経産大臣に相当)。
マスクの増産体制などを整え、
マスク不足問題の解決に活躍した。
構築に3カ月から半年かかるといわれた
マスク製造ラインを、わずか1カ月で完成させた。

次に、唐鳳政務委員(無任所大臣、IT担当大臣)。
政府の情報を国民に効率よく伝えるために活躍した。

副総統の陳建仁。
公衆衛生学のアメリカの大学で博士号を取得している。

これらの各氏の共通点は何か。
国会議員(立法委員)でないという点だ。
というよりも、
台湾の内閣には国会議員がいない。
現在の第2次蘇貞昌内閣には、
行政院長(首相)を除くと
大臣クラスの閣僚が21名(部長12名、政務委員9名)いるが、
その中で国会議員経験者は3名だけ。
それ以外は、官僚及び地方公務員から9名、
学者専門家から6名、弁護士出身1名、医師出身1名、
そして中学中退の天才プログラマー1名(唐鳳IT担当大臣)。

台湾では国民の直接選挙で選ばれる総統が行政院長(首相に相当)を決め、
その行政院長が中心となって閣僚を任命する。
最大の特徴は、「大臣」に相当する人々が
誰ひとり「国会議員」ではないという点だ。
国会議員でなくても、
担当分野について完全なプロフェッショナルで、
有能で実力のある人材であれば、
学歴も性別も経歴も政治家としての経験も関係なく登用するのが、
台湾の政治だ。
従って、閣僚全員が担当分野の専門知識を有しており、
十分に能力と実力を吟味された上で
「大臣」のポストに就任するという仕組みが、
台湾の内閣なのだ。

対して日本はどうか。
大臣の過半数を国会議員から選ぶことが、
憲法で定められている。
半分以下を民間人から登用することが可能だが、
それは、むしろ特殊なケースだ。
そこで、次の現象が生ずる。
国会議員の目標は、
総理大臣になれないまでも、
何らかの大臣になること。
しかも任命にあたっては、
政権与党の派閥力学や論功行賞が重要な上、
年功序列も働く。
内閣改造の時期になると、
沢山の「順番待ち」の人が
期待して任命を待つのは、
よく知られている。
その結果、素人大臣が生まれる。
大臣になって、何をする、ではなく、
大臣になりたいだけなのだ。
それを「大臣病患者」と呼ぶ。

台湾の人に言わせると、こうだ。
「立法府の人間が行政府を兼任して、
どうして正しい監督監査ができるのか」

行政府(内閣)は、国家の行政運営をつかさどるところ。
一方の立法府(国会)は、
国家管理に必要な法律の制定と、
行政院がつくる予算の審議、
そして行政活動の監督と会計監査をするところ。

役割が違うのだ。
何も兼任しなければできないものではない。
いや、むしろ、国会議員でなく、
その道のプロフェッショナルがすればいい。

私は以前から、
「大臣はプロフェッショナルであるべきだ」
と主張しているが、
実情はそうならない。
年功序列、論功行賞、派閥力学で決められるからだ。
だから、パソコンを触ったことのないIT担当大臣が生まれる。
従う官僚も大臣を軽視し、
「どうせまた代わるんだ」と期待しない。

台湾では、まず名称から違う。
「部長」だ。
「大臣」ではない。
機能優先の名称で、地位ではない
この「大臣」という、律令制時代からの遺物について、
誰一人疑問を呈さないのが不思議だ。
「大臣」という名称に呪術的魅力があるのだろう。
むしろ、機能を重視して、
「省長」とでもしたらどうか。

担当省庁における指揮監督が本務であるはずの大臣が、
必要以上に国会への出席や答弁に縛られているのもおかしな話だ。
欠席すれば非難され、
自分とは関係のない議題を聞くために、ただ座っているばかり。
こんな非効率なことが許されているのもおかしい。
その上、野党議員の質問は、
スキャンダルやゴシップなどの揚げ足取りばかりで、
政権の印象を悪くすることだけに腐心する。
国を良くするための提案など皆無ではないか。

コロナ対策でも、
台湾では、一人の人を責任者に立てて、
全権委任して対処している。
だから、迅速な判断、決定ができる。
多数の人間が関わると、
決定が遅れ、
更に平凡な結論になる。
平時ならそれでいいが、
非常時には適さない。
(30万円の給付も、
制度の複雑さを見ると、
多数の人が関わって実効性のないものになった痕跡が伺える。
ああいうのは、「鶴の一声」でやればいいのに)

1995年の阪神・淡路大震災の発生の時、
小里貞利議員を閣内異動により
北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官の職を離れて
専任の震災対策担当大臣に任命し、
復旧・復興の陣頭指揮にあたらせた。
あの時は、その体制が機能した。

9年前の東日本大震災の時の失敗は、
そのシステムを取らなかったことにある。
あの時、東京から、被災地、たとえば仙台に陣頭指揮の拠点を作り、
そこに全権委任した人物を置き、
被災地の声を吸い上げ、
対応を命令すれば、随分事態は変わっていただろう。
そもそも、遠隔地の東京から指揮したのが間違いだった。

今回の新型コロナにしても、
台湾のように、一人の人物に全権委任し、
対処させていたら、
事態は変わっていただろう。

しかし、ここで、はた、と考える。
では、誰に?
人がいない
本来厚生労働大臣だが、任にあらず。

結局、安倍首相一人の肩に重圧がかかる。
総合的判断の立場にいる安倍総理が、
視野の低いマスコミの批判にさらされることになる。
安倍首相が嫌いな人、
足を引っ張りたい人の標的になる。

日本は今回の新型コロナウイルスへの対応を反省し、
現行の政治運営のあり方や、
「制度疲労」あるいは「制度崩壊」とさえ言いたくなる
今の政治制度の限界を、
今こそ冷静に見つめ直すべきではないだろうか。

(この稿は、
藤 重太(ふじ・じゅうた)アジア市場開発・富吉国際企業顧問有限公司 代表
の論文を参考に再構築しました。)





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