小説『Iの悲劇』  

[書籍紹介]

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南はかま市は、9年前に4つの自治体が合併してできた。
市の出張所の一つである間野出張所に「甦り課」がある。
妙な名前だが、「甦り」とは、
6年前に無人になった蓑石地区に
移住希望者を募って蓑石を復活させようという目論見だ。
名付けて「南はかま市Iターン支援推進プロジェクト」
一度死んだ村に、人を呼び戻す。
前市長を破って当選した現市長の肝入りで作られた。

課の職員は3人
課長の西野と用地課から異動になった万願寺邦和(まんがんじ・くにかず)と
新人の観山遊香(かんざん・ゆか)。
西野は何もせず、定時きっかりに帰宅し、
面倒なことは万願寺に押しつける。
遊香は学生気分が抜けない感じだ。

意外にも移住希望者が集まり、
12世帯が入居してきた。
問題は定住するかどうかで、
万願寺の心配はつきない。
そして、次々とトラブルが起こる。

開村前に入居した久野から苦情が来る。
隣家(といっても離れているのだが)の久野が
大音声で音楽をかけて、
野外バーベキューをするというのだ。
しかも、火の不始末で小火騒ぎを起こす。
その報告書を読んだ西野課長は大胆な推理をして・・・
が第1章の「軽い雨」
無能かと思った西野が意外な才能を発揮するのに驚く。
この2世帯は早々に村から出て行った。

第2章「浅い池」では、
開村式後に移住した10世帯のうち、
地域再興をもくろむ牧野が養鯉事業を始めるが、
その稚鯉の数が減っていて、
誰かが盗んだのだという。
養殖のための休耕田に水を張りネットを張っているので、
逃げ出したのではないという。
数日の間に稚鯉は一匹もいなくなってしまった。
そのわけは・・・
10世帯のうち、牧野は最初の退村者となった。

第3章「重い本」は、
アマチュアの歴史研究家、久保寺の家は、
大量の本が持ち込まれ壁の四方に高く積まれていた。
近所に住む5歳の立石速人くんから
本の小父さんと呼ばれて懐かれていた。
ある日、速人の母親から
息子が行方不明になったと連絡が入る。
久保寺の家へ遊びに行ったままだという。
万願寺と由香は速人の行方を探すことになり、
やがて、ある場所から速人が発見されるが、
市の端にある蓑石では、
救急車が到着し速人を運び出すのに
1時間以上かかってしまう。
その結果、久保寺家と立石家の両方が村を去ることになる。

第4章「黒い網」は、
車の排気ガスが健康に悪いと苦情を言ってくる移住者、河崎由美子は、
近所に住む上谷が庭に建てた
アマチュア無線のアンテナについても抗議している。
病気を患い療養中の独身男性・滝山は、
由美子から夫がいない時に食事に招かれると困っていた。
移住者の一人・長塚の提案で
秋祭りが開催され、
由美子が毒キノコを食べて体調を崩す。
これについても、
西野が見事な推理で真相を突き止める。
その結果、上谷も河崎夫妻も出て行き、
10世帯中5世帯が蓑石から消えてしまう。

第5章「深い沼」では、
相次ぐトラブルで移住者が蓑石を去って行ったため、
課長と共に万願寺は市長に呼ばれ説明を求められた。
叱責を覚悟していたのだが、
甦り課は責任を問われることすらなかった。
同僚との雑談の中で、
万願寺は課長の西野が実は切れ者だという話を耳にする。
西野は火消し役として名を馳せているという。
そういえば、西野課長は
火事や毒キノコ事件など、
見事な推理で真相を究明したことを万願寺は思い出した。
万願寺は東京に住む弟と話し、
甦り課の仕事が消耗戦であり、
もっと有意義な仕事についたらどうかと示唆を受ける。

第6章「白い仏」は、
若田夫妻が住んでいる家に円空の作という仏像があり、
長塚は蓑石を「円空の里」として発展させたいと構想する。
しかし、若田夫妻は円空仏を誰にも見せたがらない。
なにか宗教的な呪縛を感じているようなのだ。
というのも、若田は移住前、
周囲で次々と不幸が降りかかった結果、
占い師の勧めで蓑石に移住してきた。
住み始めた家から仏像が見つかったことに
運命を感じているらしい。
家の貸主の日記を調べることを要請され、
万願寺と由香が手伝いに駆り出されることになった。
すると、円空仏の入っている離れのドアが開かなくなり・・・

この怪異現象で若田と長塚は村を去った。

終章「Iの喜劇」

ついに残った3世帯も村を去り、
そして誰もいなくなった。
プロジェクトは有名無実になる。
課長の西野、遊香、万願寺は蓑石地区が一望できる場所で話す。
万願寺はこれまでに起こった騒動によって
移住者らが次々に蓑石を去って行ったことは、
偶然ではなく何者かが裏で糸を引いていたのではないかと話し始める・・・

ちょっと風変わりなミステリーだが、
背景にあるのは、
限界集落の取り扱い。
蓑石は市の端にあり、
救急車が来るのは45分もかかる。
除雪も行き届かず、
子どもが学齢に達したら、
たった一人のためにスクールバスを回さなければならなくなる。
その負担が市にのしかかる。
過疎地域が行政の負担となる、
という過酷な状況に、
背筋が寒くなる思いがした。

職務に忠実で、精一杯仕事をする万願寺の姿には共感を覚える。
それだけに、最後に明かされる真相は過酷だ。
あの後、万願寺は、
弟の勧めるままに都会に出てしまうのではないか、
いや、それでも地方都市に留まって住民のために働くか、
と心配になる。

遊香と万願寺の間で、
「絵に描いたような本音。万願寺さんって大人ですよね」
「公務員だよ」
というような会話がしばしば出て来るのが笑える。

「何かあったら、またおっしゃってください。
なんでも相談に乗りますから」
何かあってからではばうしようもないと
わかっていながら、そんなことを言う。
そして、仮に本当に何かあったとしたら
警察の領分であって、
やっぱり甦り課は何も出来ない。
自分は何をしているんだろうと思う。


弟との会話。

「まわりとくっついて、
南はかま市なんて変な名前になって。
小さくても一つの町だったのに、
大きな市の辺境になっちまった。」
「たいした産業もないのに
税金を呑み込む深い沼だと思ったことはないか、兄貴」
南はかま市は広い。
市域を維持することは
老朽化や大雪や台風や地滑りと永遠に戦い続けることで、
その戦いは、市域が広ければ広いほど厳しいものになる。
南はかま市の税収では
到底その戦いを続けることは出来ず、
市の財政は地方交付税に頼りきりだ。
・・・南はかま市の歳入を倍にしても、
歳出には遠く及ばない。


市の行政の本音。

「われわれは、行政は、
そこに市民が一人でも住んでいるのなら
総力挙げて生活を支える。
インフラを整備し、ごみを収集し、
道路を直して住人が住んでいけるようにする。
行政はそのためにあるからだ。
・・・けれど、集落が無人になるなら、
これは夢のような出来事だよ。
その地域への支出をほぼすべて停められるんだからね」


遊香の本音。

「蓑石を維持するためにお金を使えば、
ほかの何かが後まわしになって、
このまちのどこかで誰かが苦しむんだって」

ますます進む、地方の過疎化。
ミステリーやコメディのように描きながら、
米澤穂信の提起する問題の奥は深い。




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