小説『落花』  書籍関係

[書籍紹介]

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読売新聞(夕刊)に連載され、
単行本として出版。

時は平安時代中期
物語の主人公は仁和寺の僧・寛朝(かんちょう)。
仁和寺の開基である寛平法皇(宇多天皇)の孫にあたる。
敦実親王の長男であったが、
男女の双子で、後から生まれた妹が死産だったことから
不吉不浄として父に嫌われ、寺に入れられた。
いずれは寺を担う高僧と目されていたが、
22歳になった寛朝は思い立って東国へ旅立つ。
寛朝は、梵語や漢語で書かれた経典に
節をつけて唱詠する梵唄(ぼんばい)に優れており、
東国へ行ったままの幻の師と仰ぐ
豊原是緒(とよはらのこれお)を訪ね、
「至誠の声」の教えを受けるのが大きな目的だった。
従者として付いた千歳は密かに別な目的を持っており,
それは、豊原是緒の持つ、
琵琶の名器と言われる「有明」を得ることだった。

しかし、訪れた武蔵国は坂東(ばんどう)と呼ばれる秘境で、
何から何まで京とは違う。
そこで寛朝は平将門とめぐり合う。
部族の争いの中、将門は次第に力をつけ、
東国の新皇と祭り上げられ、
やがて寛朝は「将門の乱」と呼ばれる反乱に巻き込まれていく。

父から疎んじられた寛朝が梵唄を覚えるきっかけは、
幼くして聞いた朗詠、
 「朝(あした)には落花を踏んで、相伴って出づ
  暮(ゆうべ)には飛鳥に随って、一時に帰る」
で、この落花(らっか)が本作品の題名になっている。

物語は、再会した豊原是緒(僧・心慶)と寛朝の関わり、
千歳の「有明」を略奪する策略、
香取の海と呼ばれた霞ヶ浦を根城にする
傀儡女(遊女)たちとの交流などが描かれる。

本質は音楽の追及なのだが、
梵唄やもっと大衆的な催馬楽(さいばら)などの音楽が
具体的に分からない者としては、
イメージが沸かない。

平将門の戦を目撃した寛朝が、
命と命のやり取りを目のあたりにし、
その中に音楽の本質を捉えようとするのも、よく分からない。

戦場に散った兵たちの屍が
大地を赤く染め「落花」として広がり、
その中に寛朝が音楽の本質を捉えようとしても、
よく分からない。

そうだ。
だとすれば、
この世の音に優劣などありはしない。
あまねく声は至誠の声であり、
同時に乱世亡国の声。
我ら凡百が気付かぬだけで、
世の中はすべて尊ぶべき妙音に満ち満ちているのではあるまいか。
涼やかな葉擦れを聞かせる河辺の柳は、
美しき音を奏でんがために
風に向かって枝を伸ばしているわけではあるまい。
空行く雲雀が囀るのは、
その妙なる声を誇ってではあるまい。
すべての音と楽はただそのままに在り、
麗しき音色を奏でる、
至誠の声を求めるなぞ、
愚かな行為だった。
己の声を在るがままに受け止めることこそが、
楽を求めるたった一つの手立てだったのだ。


こんなことを、戦場を通じてでなければ悟れなかったのだろうか?

「ああ──」
世の一切を本来清浄であると説く
『理趣経』(りしきょう)の意味が、ようやく分かった。
そうだ。
この愛欲貪瞋(しん)いの相乱れたこの世においては、
忌むべきものなぞ何ひとつない。
今眼下で繰り広げられている戦が──
そして将門自身がそうであるように、
この世は常に身震いするほど醜く、同時に美しい。
ならばこの世には、
亡国の声も天魔障碍(しょうげ)の声も存在しない。
愚かしくも美しい此岸同様、
すべての音はみな尊く、美しい。
そしてこの愚かなる自分のただなかにも、
己にしか奏することの出来ぬ
至誠の声があるはずなのだ。


ということが
寛朝の到達した境地のようだが、
実感としては分からない。
                                           先の直木賞候補作
受賞は逃した。





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