クマのプーさん展  身辺雑記

渋谷に出掛け、

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Bunkamuraの

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ザ・ミュージアムで、

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「クマのプーさん展」を観て来ました。

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今更紹介するまでもありませんが、
「クマのプーさん」は、
1926年に英国の作家、
A.A.ミルン
によって書かれた児童文学です。
挿絵を描いたのはE.H.シェパード
文章と挿絵が一体となっています。
ちなみに、二人のフルネームは、
アラン・アレキサンダー・ミルンと
アーネスト・ハワード・シェパード。

「ぼくたちがとてもちいさかったころ」の出版に先立ち、
そのうちの数編が雑誌「パンチ」に掲載されたとき、
シェパードが挿絵画家として抜擢されることになりました。
ミルン自身はもっと名のある画家に頼みたいと思っていたため、
当初はこの決定に不満を持っていましたが、
出来上がった挿絵を見て、
自分の作品に挿絵を描くのは
シェパードをおいて他にないと確信したといいます。

今回の展覧会は、
シェパードがロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館に寄贈した
270点以上にもおよぶ原画や資料を中心にして企画された
初めての「クマのプーさん展」です。
(以前、デパートで似たような展示会はされたことがあります)
母国イギリス(ロンドン)とアメリカ(アトランタ、ボストン)を巡回し、
日本にやってきました。

入り口の展示。
ここは撮影が出来ます。

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というか、エリアによって撮影可能な場所があり、
↓のような表示があります。

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これが撮影OKの白線。

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ここは撮影不可の表示。

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そういうわけで、
こういう写真が撮れました。

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中でも嬉しいのが、これ↓。

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本の中の1シーン。

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これがこんな形で観れるとは。

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展示は、シェパードの原画スケッチが主です。

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↓がスケッチ。

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↓が本になったもの。

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「クマのプーさん」(原題: Winnie-the-Pooh)は、
クマのぬいぐるみでハチミツ好きの「プー」と、
森の仲間たちとの日常が10のエピソードによって描かれています。

1928年には同様の構成をもつ続編「プー横丁にたった家」も発表されました。

プーさんのシリーズはこの二つの物語集と、
その前後に発表された二つの童謡集
「ぼくたちがとてもちいさかったころ」「ぼくたちは六歳」の
計4冊からなっています。

↓日本では、石井桃子さんの訳が有名。

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↓はロンドンのハロッズで買い求めたペーパーバック版。

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ミルンはこの作品を
自身の息子クリストファー・ロビン・ミルンが持っていた
テディ・ベアから着想しました。
そして、息子の持っている
ぬいぐるみたちを登場させる物語を作り上げたのです。
子豚のピグレット、
カンガルー親子のカンガとルー、
ロバのイーヨー、
子トラのティガーなどなど。

そのぬいぐるみたち↓。

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プーの印象だけ違いますが、
「クマのプーさん」出版の際に、
シェパードはミルンの家に招かれ、
キャラクターのモデルとなったぬいぐるみたちを
様々な角度から丁寧にスケッチして挿絵の準備をしましたが、
プーだけは、ミルン家のテディベアのスケッチも取ったものの、
結局描きなれていた自分の息子グレアム所有の
よりずんぐりした体型のテディベアのほうをモデルにして
描くことになったのです。

1960年代からはディズニーによって
一連のくまのプーさんシリーズのアニメーションが作られ、
原作の知名度に大きく貢献しました。

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ディズニー版では「Winnie the Pooh」とハイフンが脱落した表記が使われており、
日本では「くまのプーさん」の表記が
作品・キャラクター双方で用いられています。

ぬいぐるみ以外にも、
モデルとなった重要人物がいます。
それがクリストファー・ロビン
↓がミルンと息子。

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なにしろ、童話の中に実名で登場したのですから、
その影響は大きく、

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しかも、この可愛らしい容貌。

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世界中からファンレターが舞い込み、
様々な行事に招待され、
レコードも吹き込むなど、
プライバシーもなくなってしまいました。
愛していた保母と切り離されるなど、
心の傷も大きかったようです。

ミルンが児童文学との訣別を宣言したのは、
一つには新たな分野に挑戦し続けたいという冒険心であり、
一つには息子クリストファーのプライバシーが
マスコミによって侵害されはじめたことに
危惧を抱いたためであったといわれています。

プーさんは作者のミルンと息子クリストファーの
以後の人生に暗い影を落とすことにもなりました。

ミルンは児童文学との決別を宣言して以降、
大人向けの戯曲や様々なジャンルの小説を手がけていきますが、
「プー」シリーズに匹敵するような成功を収めることは二度となく、
その後半生は失意の連続でした。
1955年にミルンが死去すると、
いくつもの長い追悼文が発表されましたが、
「プーさん」以外の業績を中心にして彼を讃えたのは
古巣の「パンチ」一誌のみでした。

息子クリストファーは、
大学時代に苛めに遭ったり、
兵役についたりした後、
父と同じようにユーモア作家を目指して
雑誌に持ち込んだりしたものの
ほとんど断られ、
就職した家具買い付けの見習いもすぐに解雇されてしまうなど、
実社会において苦労と挫折を重ねていくことになり、
そうした経験を積むうちに、
次第に父に対する嫉妬や怒りを感じるようになっていきます。

クリストファーは両親の反対を押し切って、
親戚の娘と結婚し、
書店の経営を始めて自立しますが、
ミルンとクリストファーとは
ミルンの死まで絶縁状態が続きました。
4冊の本の巨額の印税を一切受け取らなかったといいます。

クリストファーが父との精神的な和解を果たしたのは、
1974年に出版された自伝執筆を通してで、
後年のクリストファーは、父の記念碑の除幕式など、
「プー」関連のさまざまな企画に参加しています。
その後も、彼は執筆活動を続け、
1996年に75歳でその生涯の幕を閉じています。

などということは、
この展覧会では紹介されていません。

子供時代の苦悩を描いたのが
映画「グッバイ・クリストファー・ロビン」(2017)で、
これは、日本では劇場公開されず、
DVDのみの発売だけでした。
私は幸運にも、
機内映画で観ることが出来ました。

現在、GYAO!ストアで視聴することが出来ます。


なお、私が「クマのプーさん」と出会ったのは、
高校時代で、
すぐ魂を奪われました。
前にも書きましたが、
大学受験の当日、
お守りとして服の中に忍ばせたほどです。
当時の愛読書は、
「クマのプーさん」と
「星の王子さま」と
「風に乗ってきたメアリー・ポピンズ」でした。

ハンドルネームとして「浦安のプーさん」を使っています。
体形的にも似ています。
ただ、自分で「プーさん」と呼ぶのは平気ですが、
他人から「プーさん」と呼ばれると、ムッとするのが複雑なところ。

↓はおみやげコーナーで売っていたものの一つ。

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↓購入したパンフレット。税抜き2700円。

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「クマのプーさん展」は、
4月14日まで、渋谷のBunkamura ザ・ミュージアム

4月27日〜6月30日
大阪のあべのハルカス美術館で。


プーさんよ永遠に。

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