小説『波の上のキネマ』  書籍関係

[書籍紹介]

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尼崎にある「波の上キネマ」。
座席数100余りの小さな映画館だ。
館主の安室俊介は父から引き継いだのだが、
元々は戦後間もない時期に祖父が始めたものだ。
映画が隆盛の時は儲けも出たが、
今では存続も怪しくなっており、
不動産業者から、閉館と買収の話を持ちかけられている。
新聞には「年内に閉館する見通し」との記事が出た。

閉館するに当たり、映画館の歴史を調べ始めた俊介に、
創業者である祖父の名前を出した問い合わせが入る。
電話の主は台湾に住む男性で、
彼の祖父が俊介の祖父と知り合いだったという。

その人に連れられ、西の果ての島・西表島を訪れた俊介は、
ジャングルの中に映画館があったことを知り、驚く。
それと共に、祖父の俊英が
この島にあった炭鉱で働いていたことを知る。
牢獄のような劣悪な環境で強制的に働かされていた祖父。
その人生の秘密に俊介は思いを馳せる。

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物語は一転し、
祖父の俊英が、なぜ西表島にやってきたか、
そこでどのような生活だったか、
俊英が過酷な生活に耐えられたのはなぜか、
どうやってその島から脱出できたか、
が綴られる。
当然、密林の中にどうして映画館が作られたか、
どんな作品がかけられたかも描かれる。

各章には、
「七人の侍」「タクシードライバー」「君の名は」「伊豆の踊子」
「街の灯」「帰らざる河」「大いなる幻影」
などの
映画の題名が付けられている。

炭鉱労働者の生活の過酷さが綿密に描かれるが、
その救いとなるものが
ややウェットで安っぽい。
描写も荒っぽい。
人間像も希薄。

何よりも閉館を決めた俊介の苦衷から
西表島の俊英の描写が物語の大半を占め、
現代の俊介との交差がほとんどないので、
物語にうねりが生まれない。
また、日本に帰国してから俊英の
映画館経営の発端が描かれておらず、
物語に大きな欠落が生ずる。

そういう不満はあるが、
著者の映画愛は十分感じられた。

冒頭の方で、
日本の映画産業の歴史のようなものが出て来るが、
その部分は興味津々。

かつて娯楽の王様と呼ばれた映画館の危機は何回も訪れた。
一度目は、家庭へのテレビの設置。
次は、レンタルビデオの普及。
更に、シネコンの増加。
最後はデジタル化の波。

テレビの普及は、
家で手軽な娯楽が得られるので、
映画館の観客を減らした。

ビデオの普及は、
「名画座」の存続もあやういものにした。
見逃した映画、繰り返し観たい名画の鑑賞の場だった
名画座は、今、東京でも数えるほどしかなくなった。
それはそうだ、
映画館よりも安い料金で借りられるビデオで
また、ネットの配信で
手軽に家で名画を何度でも観られる。
画質も良くなった。

一時底を打った観客数はシネコンの普及で復活するが、
それは個人経営の映画館にとっては逆に痛手だった。
1960年には全国に7千以上あった映画館は、
シネコンが登場した1994年には4分の1まで落ちこむ。
今全国で3千5百ほどあるスクリーンのうち、
9割近くがシネコンだ。

そして、デジタル化の設備投資1千万円は、
個人経営の映画館に廃業か存続かの決定を迫る。
また、デジタル化は、
映画館から映写技師を追放することにもなった。
映画館を支えた人たちが大量に失業したのだ。

始めの方で、今の映画館の実情を次のように描写する。

配給会社から作品を借りる場合、
二種類の契約方法がある。
興行収入の基本50パーセントを配給会社に支払う方法がひとつ。
もうひとつはフラットといって、
観客動員数に関係なく
最初に配給会社に定額を払ってしまうやり方だ。
俊介のような小さな映画館で動員に不安がある場合、
配給会社はフラットを採りたがる。
作品によっても変わってくるが、
相場は2週間で10万円。
客が入っても入らなくても10万円を支払わなければならないが、
逆にいうと、多く入れば、その分、映画館の儲けは大きくなる。
興行収入で10万円を得てトントンとなるが、
人件費などを考えれば、
40万円を売り上げたいところだ。
これをクリアしようと思えば、
動員としては一週間で少なくとも140人は必要だ。
140人ということは、一日、20人。
1日3回、回したとして、一回の上映で7人。
それでなんとかギリギリ儲けが出る。
しかし小さな映画館で1回の上映の平均が7人というのも、
実はなかなか難しい数字なのだ。
実際のところ、今、
興行収入が20万円に満たない映画プログラムが半分以上ある。
つまり、赤字となる作品の方が多い。


昔、私の育った伊豆には、
三島に映画館があった。
記憶では、洋画の映画館が1軒、
邦画の映画館が3軒、
東映のチャンバラ専門館が1軒の計5軒。
ヒット作の上映の時は、通路に人が座り、
立ち見の客でドアが閉まらず、
狭い舞台にまで観客が乗っていた。
そういう時代を知っている者にとって、
今のシネコンは快適だが、
人間らしさが失われたように思える。
それも昔への回顧にすぎないのだが、

小学生の時、
一人で電車に乗って行く三島の映画館は、
冒険の旅路だった。
駅前の映画館で観た「第三の男」と「略奪された七人の花嫁」は、
今でも劇場の雰囲気を含めて思い出す。
狩野川を渡っていく古奈の
畳張りの映画館(芝居小屋兼用)で観た
「七人の侍」で、
満員の観客が笑いさざめいていたのも記憶に深い。
まさに、映画は娯楽の王様だったのだ。

数年前故郷を訪れると、
5軒の映画館は全て消滅していた。
三島の住人は、
また、私の故郷の人々は、
今、どこで映画を観るのだろうか。

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