『日本人はとても素敵だった』  書籍関係

今日、午前、
平昌冬季五輪の帰国報告会
東京ミッドタウンで行われました。

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実は、今、娘は東京ミッドタウンの中にある会社に勤めており、
ほぼ会社公認で会場へ。
朝、ゲットした整理券で「2」のエリアで、
ナマ羽生選手を見ることが出来、
幸せだったようです。

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日本中を幸せにした男・羽生結弦

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いや、羽生結弦様

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我が家では、「羽生」などと呼び捨てにすると
娘とカミさんから叱られます。

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[書籍紹介]

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桜の花出版の「日本人の誇り」シリーズの一冊。
前に紹介した「朝鮮総督府官吏最後の証言」↓はその「10」にあたり、

「朝鮮総督府官吏最後の証言」

本書は、その「1」に当たる。

台湾は日清戦争勝利を受けて結ばれた
明治28年(1895年)の下関条約(日清講和条約)によって
清国から日本へ割譲された島で、
これより50年の間日本による統治が行われた。

その日本統治時代の自身の体験をもとに
楊素秋(よう そしゅう)さんが
日本人に接した様を語っている。
といっても、楊さんは昭和7年(1932年)生まれで、
日本の台湾統治が既に安定した時代の人だから、
本人は「自分は日本人である」という自覚が強い。

日本の敗戦で台湾が日本から離れ、
その後、中国本土から国民党が移住してきて、
悲惨な体験をしたことから、
日本の統治がいかにうまくいっていたかを語る。

著者が生まれたのは、台南市。
電気店を経営する父のもとに次女として生まれた。
日本人を愛した父の影響で
日本人としての自覚を持って育った。

目次は、次のとおり。

はじめに

第一章 命の恩人は日本人
大東亜戦争末期の台南
心細かった受験旅行
空襲で遅れた汽車
日本人将校さんとの出逢い
鉄橋上の汽車から落下
名も告げずに去っていった将校さん

第二章 日本統治時代
古き良き日本時代
日本統治の功績
父母のこと
日本を愛してやまなかった父
台湾人意識が強かった父
日本時代の日常
日本時代は治安が良かった
近所の日本人とのお付き合い
日台人一体の隣組
町中に日の丸がはためいて
台湾で「日本」は褒め言葉

第三章 素晴らしかった日本教育
台南師範学校付属国民小学校に入学
日の丸は心の中の国旗
愛情に溢れた先生たち
涙で学徒兵を見送った日本人教師
学童を国の財産と思っていた日本
小谷先生の思い出
先生への信頼と敬愛
ラジオで私の声が全国に流れる
日本時代の教育内容
教育勅語
戦争の影が忍び寄る
大東亜戦争勃発の日
「国のため」と思うとエネルギーが湧く
疎開

第四章 優しい日本の兵隊さん
日本の兵隊さんは我々の誇り
兵隊さんのために一生懸命食事を作る母
日常的だった兵隊さんとの触れ合い
軍刀をなくした兵隊さん
子供に優しかった兵隊さん
学徒兵として出陣した兄
兵隊さんと一緒に星を見る
戦争という日常の中で
国民学校を卒業
敗戦と別れ
女学校生活
兵隊さんのトラックをヒッチハイク

第五章 戦後、中国人がやって来た
国軍を出迎えに
呆れた中国兵
終戦後さっそく自転車を盗まれた
中国兵の横暴
日本時代の終焉とともに家が傾く
言葉が変わって
日本鬼子と呼ばれて
督学
中国人は台湾の学童を抹殺しようとした
血塗られた二・二八事件
拉致されていった台湾人の学生さん
脱獄を企てた唐さん
白色テロ
女学校を卒業し神学院で働く
台湾人の運命
小児麻痺の子供たちと共に刺繍の仕事
助けてくれた日本人将校さんが私の仕事の原動力

第六章 日本人よ、しっかりしてください
失声
弁償という名のゆすりに屈する日本人
靖国神社に参拝してなぜ悪い?
台湾で親日感が揺らぐわけ
日本人に自信を植え付ける教育が必要
上に立つ人間がしっかりしなければいけない
日本人の素晴らしさ
昔の日本人には宗教心があった
日本人は日本人らしく
国難に面した時、日本人は必ず団結する
日本人であることに感謝すべき
日本人の使命

第七章 思い出は永遠に・・・
日本を心から愛していた父との別れ
日本は私の故郷

戦後、「台湾は日本の植民地だった」と
日本人はアジアの悪人で極悪非道な事をしてきた、と
学校教育やマスコミによって刷り込みが行われたが、
実際は内地延長主義であり、同化主義だった。
その同化主義も強硬なものではなく、
その土地の民族の文化や性格の研究を基礎とした
合理的なものであり、
寛容性を持って接したものだった。

本書では日本統治時代のことを延べていきますが、
ひと言で言うと、
日本時代は、
私にとってパラダイスでした。
良いことだらけで
何から話してよいか分からない、
と言って信じてもらえるでしょうか。


こうして、著者は日本統治時代には町が清潔であったこと、
治安が良かったこと、教育が充実していたことなど、
次々とあげる。

実際、日本の統治は、
植民地から搾取する欧州の方策とは違い、
「内地延長主義」だった。
台湾を日本国内と差別することなく、
同じ政策でいくべきだというのである。

徹底した人口調査土地調査を行い、
上下水道、道路、鉄道、港湾、利水施設、郵便通信網などの
産業基盤を整備。
医学校を設立し、医者を養成し、
伝染病の予防接種を行うなど、
各衛生事業を押し進めた。
そして、教育に力を入れ、
内地から優秀な教師を送り込み、
寺子屋のようだった台湾の教育施設を整備、
明治32年(1899年)にはわずか3%だった就学率は、
敗戦直前の昭和19年には、
92.5%にまで達している。

まさに、朝鮮半島で日本がした施策と同じで、
その時のことは、台湾人と今でも感謝している。
朝鮮との違いを筆者は、こう書く。

韓国でも日本は台湾と同様の統治をしたと思いますが、
韓国は日本にありがとうと言ったことはないようですね。
良いことをしてもらって
どうして感謝しないのでしょうか。
私にはそれが不思議で仕方がありません。


それは、終戦の時のことを
次のように書いているのに秘密があるようだ。

終戦前までは、
日本人も台湾人も朝鮮人も
分け隔てなく仲良くやっていました。
しかし、終戦で戦勝国になった途端に、
朝鮮人が威張り出すようになったのです。
台湾人はそんなことがなく、
むしろ逆に日本人に同情を感じていました。
自分も日本人であったという気持ちから
完璧に抜けられなかったし、
台湾人というのはもともと情が厚い民族なのです。
だから、急に威張りだす人たちを見てから、
なんとはなしに朝鮮人の兵隊、
朝鮮人が嫌いになってしまいました。


まさに、国民性、民族性の違いと言えよう。

日本人がした教育の象徴的な事例が、次に書かれている。

国民学校の四年生の時、
先生が、黒板に「公」という字を大きく書いて、
「私」という字を小さく書きました。
そして、公の事は大きくし、
私の事は小さくするのが
国民の誉れであり、
それが国家と国民のあるべき精神だと
教えてくれました。


そういう教育を受けた台湾人にとって、
戦後大陸から渡って支配した中国人の
身勝手さは目にあまったようだ。

戦後やって来た中国人は、
大声で喋り言葉が乱暴で、
まるで喧嘩を売られているように聞こえました。
その点、日本語は、
相手を傷つけないような言い回しをし、
他人の気を殺ぐことがないように話す言葉でした。
私は改めて思いました。
日本語というのは本当に綺麗な言葉だと。
私はこの言葉を忘れてはいけない、
いつの日か役に立つことがあるだろうと。


本書には沢山の「コラム」があり、
そこに編集部の注釈が加えられている。
たとえば、

日本の台湾統治で何より特筆すべきことは、
結果が現れるのに20年も30年もかかるといわれる
教育や衛生事業などに
莫大な資金と優秀な人材をつぎ込んだことである。
西欧列強は植民地で
教育や衛生事業をまともに行ってはいなかった。
これらのことを植民地に於いて
真剣に行ったのは日本だけである。
日本統治によって、
清国統治時代は人の住めない所として恐れられていた台湾が、
人々が安心して生活出来る所に変貌していった。


そして、こうも書く。

台湾発展の素晴らしい成果の陰には、
日本と台湾を「一視同仁」「内台一如」とみなす考え方のもとに、
台湾を命がけで良くしようと願い、
台湾そして台湾人を
心から愛した人々の努力があったからに他ならない。
当時の技術者や研究者、警察官や軍人、
教師たちには皆一様に情熱があり、
何よりも日本人としての誇りがあったのである。


なぜ日本人はそうしたか、
それは日本人独特の律儀さ、真面目さがあったから、
としかいいようがない。
あるいは民族的な気質といえようか。
日本人は、そういう公的なことを重んじる気風
骨の底からあったのである。

台湾には「日本精神」という言葉があります。
日本精神というのは立派なものです。
桜の花のようです。
非常に綺麗に咲いてサッと散るのです。
だから、日本精神を宿す人は
自分の間違いは「ごめんなさい」と謝れます。
ところが、シナ人は謝れません。
そして、理屈を言うのです。
百も二百も自己弁護の言葉を並べ立てます。
そして、出来るだけ相手が悪いと言います。
たくさんの言い訳で自分を守るのです。

また、「日本精神」といったら、
義理堅いということ、
それと約束を絶対に守ること、
嘘は言わないことで、
私にとっては正に父のようなことです。
そう、私の父は日本精神の塊でした。


このように戦前の台湾という環境の中で
日本人の精神に触れた著者だからこそ、
今の日本の現状は残念なものに映るようだ。

「日本人よ、しっかりしてください」

という著者の声に、どのように答えていったらいいのだろうか。

最後に台湾統治に対する、
明治天皇の御製。

新高の山のふもとの民草も
茂りまさると聞くぞうれしき


新高とは、新高山、正式には玉山(ぎょくざん)のことで、
台湾の代名詞である。




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