評論『定年後―50歳からの生き方、終わり方』  書籍関係

[書籍紹介]

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最近はやりの「定年本」の一つ。
ベストセラーで10万部出ているという。

著者の楠木新(くすのき・あらた)氏は、
1954年(昭和29年)生まれだから、今年64歳。
京都大学法学部卒で、大手生命保険会社に勤務し、
人事・労務関係を中心に、経営企画、支社長等を経験。
勤務と並行して、大阪府立大学大学院でMBAを取得。
関西大学商学部非常勤講師を務め、
「働く意味」をテーマに取材・執筆・講演に取り組む。
2015年、定年退職。
現在、楠木ライフ&キャリア研究所代表、
神戸松蔭女子学院大学非常勤講師。

つまり、定年後の「勝ち組」で、
定年前から定年後の準備は万端。
まさに「生き生きとした」定年後の生活を送っている人だから、
それを素晴らしいとして参考にするか、
高い視点での定年後の分析に、
裁かれたような気になるかは、
読者の読み方の分岐点のようだ。

目次

プロローグ 人生は後半戦が勝負
第1章 全員が合格点
第2章 イキイキした人は2割未満?
第3章 亭主元気で留守がいい
第4章 「黄金の15年」を輝かせるために
第5章 社会とどうつながるか
第6章 居場所を探す
第7章 「死」から逆算してみる

自営業には、基本的に定年はないから、
定年のある職種、
つまり、サラリーマンの定年後の生き方
に焦点が当たるのは当然だ。
「組織」につながることで存在していた人間が
その存在の基礎から離れるのだから、
当惑するのは当たり前で、
そうした「孤独」の状況が
様々な例で示されている。

○退職して毎日家にいることに
 妻が耐えられないというそぶりを見せている
○家にいても行くところは図書館か書店くらいなので、
 会社に勤めている方が
 まだ健康にいい
○定年になって初めの1カ月程度は解放感に満たされたが、
 それ以降はやることがなくて本当に辛かった。
 家に引きこもりがちになって半年もすると
 テレビの前から立ち上がれなくなった
○とにかく朝起きて夜寝るまで
 何もやることがない。
 友達もいない。
 電話をかける相手もいない。
 これでは生きていることがむなしくて仕方がなくなる。
 それはある意味、死ぬほどつらいことだ

趣味に走る、という手があるが、
次のような実例もある。

○(ゴルフが趣味の人が)月に何回もコースに出ているが、
 勤務の時のような楽しさは感じなくて、
 「ちょっと難行のようだ」と感じた
○「定年になったら釣り三昧」と話していた先輩が
 在職中よりも行かなくなった

釣りもゴルフも、
勤務のかたわらの息抜きだったから
楽しく感じたのであって、
自由な時間が与えられたら、
そうでもなくなった、
というのは、厳しい現実だ。

統計によれば、
「世界で一番孤独」なのが
日本人の男性
なのだという。

カルチャースクールやスポーツクラブでも、
女性はわいわいと楽しそうにしているが、
男性は一人で話を聞いている人が多い。
ちなみに、スポーツクラブは午前中、高齢者ばかりで、
「社会的な一つの施設だといっていいだろう」と書く。

ある同期会の人は、
イキイキした生活を送っている人の割合は
全体の1割5分くらいだという。

その「イキイキした生活」の実例として、
提灯職人に転身した人、
蕎麦打ち職人になった人、
農業で独立した人、
楽器の演奏活動に従事した人、
などが挙げられるが、
そういう人はまれな幸運な人といえるだろう。

地域活動に活路を見出す人もいる。

労働組合のセミナーでの内容は、大体次の4点だという。

@受け取る年金額をきちんと計算して老後の資産を管理すること
A今後長く暮らすことになる配偶者と良好な関係を築くこと
Bこれから老年期に入るので、自分の体調面、
 健康にも十分留意すること
C退職後は自由な時間が生まれるので趣味を持たないといけない

以前、あるところで、
「老後を豊かにする2K2Y」というのを聞いたことがある。

2つのKとは、「健康」「経済」
健康でなければ生活を豊かにすごせないし、
老後も生活のために働かなければならないのは悲惨だ。
2つのYとは、「友人」「役割」
特に同じ趣味の友人は必要で、
配偶者が、たとえばテニスなど同じ趣味を持てれば最高だ。
そして、社会とのつながりを持つための「役割」。
やはり、「世の中の役に立っている」という感覚は重要だという。

この話、セミナーでの内容と通じるものだが、
どのKもどのYも、
一朝一夕で出来るものではなく、
それまでの人生の積み重ねの結果なのだ。

特に、会社人間が会社から離れた時、
友人といえるものがなく、
すべて仕事上のつき合いだったことに愕然とするという。
60歳を越えて、新たな友人を作るなど、至難のわざだ。
そして、妻は既に地域で人間関係を築いており、
その中には入れない。
地域社会に入るのも今更面倒だ。
で、孤独になる。
定年退職者で犬を飼い始める人が多いそうだ。
犬は忠実だし、自分の存在を頼ってくれる。
散歩に連れていかなければならないので、
健康にもいい。
なにより、日課として、一日の張り合いになる。

著者は、

60歳からの人生における自由時間は8万時間もある。
これは20歳から働いて60歳まで
40年間勤めた総労働時間よりも多いのである。


と指摘し、
8万時間を使いこなすのは苦痛と感じる人
がおり、一方で
イキイキしている人を見ると、
定年後の特権とは、
何と言っても時間を豊富に使えることだと実感する、
8万時間を持て余すか、
有効に使うかの差は大きく、
8万時間は人生を輝かせるためにあるのだと考えれば、
人生の後半戦が勝負だといい、
次のように言う。

本当の黄金の期間は
60歳から74歳までの15年なのである。

大会社の役員であっても、
会社を辞めれば“ただの人”である。
一方で、若い時には注目されず、
中高年になっても
不遇な会社人生を送った人でも、
定年後が輝けば
過去の人生の色彩は一変する。
そういう意味では、
「人生は後半戦が勝負」なのである。


他に注目する言葉。

退職してからはグループ保険の継続可否のことで
同僚から一本の電話があったきりだ。
会社にいた頃の思い出を抱いているのは自分だけで、
会社から見れば
何の関係もない人間になっているわけだ。

(イキイキと働いている人たちを取材して)
そこで感じていたのは、
小さい頃のことが大切だということだ。
定年前後についても同様で、
子どもの頃の自分を呼び戻すことは、
「レールを乗り換える」または
「複線化する」際のポイントになるというのが実感である。

「高校時代に勉強ができた、
スポーツができたと言っても、
還暦になれば
みんなチョボチョボやな」(高校の同窓会での友人の言葉)

「生が終って死がはじまるのではない。
生が終れば死もまた終ってしまうのである」(寺山修司の言葉)


全編、「老後をどうやって輝かせるか」で貫かれているが、
根本的な疑問が頭を持ち上げる。
どうして、そんなに老後を輝かせなければならないのだろうか?
定年後を豊かにしようとあくせくするからそうなるので、
悩みも葛藤も課題もそこから出て来る。
一定の期間、働いて社会に貢献して、
家族を養い、子供を育てあげ、
歳を取ったからリタイアして、
老後をのんびりと過ごす、
では、なぜいけないのだろう。
東南アジアの高齢者は、
一日ぶらぶらして過ごしても、
そんな苦痛など感じないに違いない。
日本のような高度情報社会で、
老後の時間の過ごし方を問題にし過ぎるから
かえって不要な苦悩が乗ずるのではないか、
そう思えてならない本だった。


さて、私は既に「定年後」真っ只中
だから、こんな本を読む必要もないのだが、
どんなことが書いてあるかと思って読んだら、
ごく普通の内容だった。

で、私の定年後の生活だが、
時間を持て余すわけではなく、
虚しさを感じるわけでもなく、
毎日、あっという間に時間が過ぎる。

退職後、職場という基盤を失って困ることもなかった。
28年間勤め挙げて、それなりに貢献し、
任期をまっとうして退職したのだから、
未練もこだわりもなかった。
後は後任者がやってくれると信じていた。
だから、「半年間は分からないことがあれば、
問い合わせてくれてもいいが、
半年たったら、自分たちで判断してくれ」
と宣言し、
そのとおりになった。
問い合わせは数本。
ちゃんと引き継ぎしたからだし、
引き継ぎ文書も残した。
自分が去った後、
自分が作った仕組みのいくつかは放棄されるだろう、
と思っていたから、
旧職場を訪ねること全く想定していなかった。
既に5年半たったが、一度も行っていない。

友人は少ない方。
長い間つき合っている心の友が
数人いるだけで、
十分だ。
毎週スポーツクラブに通っているが、
一緒になっても誰とも口はきかない。
「孤独」というが、
人生は孤独なものだ。
生きて、死んで、忘れられていく。
それは何千年、何万年もの間、
何億人の人が繰り返してきたことで、
自分が特殊とは思わない。

退職後、すぐ取りかかったのは、
月1度の海外旅行
まずハワイで骨休めをし、
モロッコに出かけ、チベットに行き、
勤めていた間は
あまり長い休みを取れないところを中心に、
ツアーで出かけた。
念願のマチュピチュにも行った。
その間、ニューヨークやロンドンやソウルで
ミュージカルを見まくることもやった。
訪問先の各地の美術館で、
沢山の美術品を目にして楽しんだ。
5年半で42回。
定年前から通算で160回。
訪れた世界遺産も150を越えた。
これは、子供時代に切手少年で
世界に目が開かれたことに遠因があり、
海外旅行は歴史や文化に興味がなければ
続かない。

そして、を沢山読んだ。
勤めの間は通勤電車の往復でしか読めなかったが、
今では書斎の椅子に座って一日中読書できる。
図書館が歩いて5分のところにあり、
常時上限の20冊予約しており、
メールで「用意できました」という連絡を待っている。
さいわい、目は元気で、
裸眼で新聞が読める。

それと、映画
ほぼ1日置きに出かけて映画を観る。
なにしろ、世界中の有能な人が集まって、
何億円もかけて作った作品を
わずか1100円で観ることが出来るのだ。
こんな贅沢はないではないか。
だから、1年には150本を越える。
ビデオを合わせれば、昨年は192本観た。

映画も本も世界旅行も
実は、子どもの時代の反映だと分かる。
本書に書いてあるとおりだ。
子どもの頃から、
映画と本は大好きで、
未知の世界への憧れは激しかった。

そして、ブログの存在が大きい。
旅行も書籍も映画も
ブログで発信できる。
記録にもなる。
旅行の写真は、ブログの中の財産だ。
良い時代になったものだ。

体は健康
週一回、エアロビクスで汗をかく。
時々肩が上がらなくなったり、
腰が痛んだりするが、
3〜4カ月すると、
いつの間にか痛みは消えている。

地域の活動には参加しなかった。
というのは、まだ勤めていた頃、
団地の管理組合の役員になったことがあり、
最初の理事会に出た後、すぐ辞退した過去がある。
いろいろな人の思惑を調整していく仕事は、
勤め先で十分と思ったからだ。
ようやく定年で自由になったのに、
同じことをしようとは思わなかった。

正直に告白すると、
定年後の初期、
すこしだけ時間を持て余したことがあった。
自転車で出かけた土手のベンチで、
こんなことをしていていいのか、と自問した。
書斎に座っていて、
「この6畳間が自分の牢獄か」
と思ったこともある。
しかし、それは全く一瞬の間に通りすぎ、
あとは、旅行と映画と本で
毎日は埋まっている。

勤めて、子どもを育て上げ、
あとは夫婦で一緒に年老いていくだけだ。
これ以上のことを何を望む必要があるだろうか。

先日、ある人から
「定年後の人をいろいろ見てきましたが、
あなたが一番充実している」
と言われて、嬉しかった。





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