世界のニナガワ死す  演劇関係

蜷川幸雄さんが亡くなった。

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若い頃演劇青年だった私にとっては、
憧れでもあり、目標でもあり、神サマでもあった。
一時期、その演出作品は必ず観ていた時がある。

蜷川さんは最初俳優として出発。
「劇団青俳」に所属。
古い映画やテレビドラマを観ると、
時々顔を見ることが出来る。
その後、演出に向いていると気付いて演出家に転身。
蟹江敬三、石橋蓮司らと結成した劇団「現代人劇場」で、
1969年、「真情あふるる軽薄さ」で演出家デビュー。
1972年、劇結社「櫻社」結成、
明治通り沿いにあった映画館「新宿文化」で
映画をはねた後、
演劇公演を打ち、これが評判を呼んだ。

1974年、「櫻社」を解散し、
東宝に招かれ、「ロミオとジュリエット」で商業演劇に進出。
(東宝は金脈を探し当てたわけだ。)
帝国劇場や日生劇場を舞台に
シェイクスピアやギリシャ悲劇の斬新な演出で話題を呼んだ。
「演出家の名前で客が呼べる芝居」で、
演劇青年の憧憬の的となった。

1980年代から世界に進出。
「世界のニナガワ」と呼ばれるようになり、
数々の模倣を生んだ。
(たとえばマクベスを戦国時代に移した「NINAGAWA マクベス」を真似て、
戦国武将の衣裳で演ずる「アイーダ」など。
有名な凱旋行進の場面で、
よろいかぶと姿の人々が日本刀で戦う姿など、
苦笑ものだった。)
日本人戯曲家による作品、
清水邦夫唐十郎秋元松代の作品上演でも
大きな成果を上げた。

私が初めて蜷川演出に触れたのは、
1973年の「泣かないのか? 泣かないのか1973年のために?」
「櫻社」の最終公演で、
新宿文化の通路に坐って観た。
(今なら消防が許さない)
舞台を覆っていた幕が切って落とされると、
そこは大衆浴場。
湯船とカランが設置されており、
そこで蟹江敬三石橋蓮司が珍妙なやりとりを全裸でし、
観客の笑いを誘う。

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そこへ、機動隊に駆逐された演劇集団が逃げ込んで来て、
その二人を巻き込んで、凄惨な演劇が演じ、
かつて上演した作品を否定してみせる。
最後は二人がタンゴを踊るのを
周囲の役者たちが刃物で切り刻み、
二人は湯船に顔を突っ込んで果てる。
一瞬の暗転の後、
湯船は船となり、
御詠歌を歌う一堂を乗せたまま、
暗闇に船出していく。

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それは全共闘運動が終焉を迎える頃、
アングラ演劇も先細りし、
若者たちの全ての抵抗が無力と化していく時代で、
それを反映させた舞台だった。

わずか1時間少々の芝居だが、
重量感たっぷりで、
一週間は頭の中がその舞台が一杯になった。

そして、蜷川さんは東宝に移り、
その2作目「リア王」(1975)を鑑賞。

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今の松本幸四郎、当時の市川染五郎がリア王で、
狂気の場で、
リア王が真っ正面を向いたまま倒れると、
背景にあったドームが真っ二つに裂け、
そこから真っ黒い宇宙が顔を出す。
(本当はそこから本水を注ぎ落としたかったらしい)
エネルギーと猥雑さにあふれた「リア王」で、
それまで観たどの「リア王」より斬新で視覚的だった。

蜷川演出、染五郎主演の「リア王」は、
今でも私の演劇体験のベストワンだ。

その後も数限りないコロスが舞台を占拠する「オイディプス王」(1976)、
新宿花園神社でクレーンで高いところに吊り上げた
平幹二郎のメディアが天空から呼びかける演出の「王女メディア」(1978)、
階段に立つハムレットを
バッハの「ロ短調ミサ曲」と共に照明が浮きだす「ハムレット」(1978)。
近松の戯曲を現代に蘇らせた秋元松代の「近松心中物語」(1979)。
(この作品は、明治座の再演では
劇場中に吹雪を吹き荒らせた)

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同じ秋元松代のオリジナル「元禄港歌」(1980)、
そして、シェイクスピアを戦国時代に移した、
世界初の斬新な、「NINAGAWA マクベス」(1980)
と、毎回あっと言わせる演出を見せた。
「NINAGAWA マクベス」では、
フォーレの「レクイエム」が効果的に使われ、
蜷川さんの音楽的感性が際立っていた。

西武パルコ劇場では、
「下谷万年町物語」(1981)、
「黒いチューリップ」(1983)、
「タンゴ・冬の終わりに」(1984)などを観た。
特に、「タンゴ・冬の終わりに」は、
古びた映画館の観客席を舞台に
狂った俳優とその妻の記憶を巡る葛藤が
ごく演劇的で、
最後の孔雀の登場も意表をついた。

しかし「恐怖時代」(1985)、「95kgと97kgのあいだ」(1985)、
「欲望という名の市電」(1988)
「ペール・ギュント」(1990)
などと共に再演が増えると、
2本に1本が「ん?」と言う出来ばえになり、
やがて3本に2本が「?」となった。
初めてオペラ演出に挑戦した「さまよえるオランダ人」(1992)も
ピンと来ず、
やがて私と蜷川さんの蜜月時代は終わりを告げる。

映画監督としては、
「魔性の夏」(1981)
「青の炎」(2003)
「嗤う伊右衛門」(2004)
などがあるが、
芳しい成果は上げられなかったようだ。

2008年、「リア王」の再演があり、
遠く埼玉県まででかけて観劇したが、
感想は「観るんじゃなかった」。
その時のことは、↓のブログを参照。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20080127/archive

この時のブログを読むと、
今をときめく吉田鋼太郎をほめているので、びっくり。

人生のある一時期、
本当に惚れ込んで追跡した演劇人
その感謝をこめて、
冥福を祈りたい。




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