『希望の国のエクソダス』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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1998年から2000年にかけて「文藝春秋」で連載され、
2000年7月に刊行された村上龍近未来小説
先週紹介した「オールド・テロリスト」の前日譚に当たるが、
関口という雑誌記者が同じなだけで、
両作品に関連性はない。

パキスタンとアフガニスタンの国境付近で
地雷処理をしていた少年が負傷し、
その仲間の一人、16歳の日本人の少年がCNNの取材を受ける。
「日本が恋しくはないか?」
という質問に、少年は
「日本のことはもう忘れた」と答え、
「あの国には何もない。もはや死んだ国だ」
と言ってのける。
日本のマスコミは沸き立ち、
現地に殺到する。
フリーの取材記者をしている関口は現地に取材に向かうが、
パキスタンに入国できなくなり、
バンコクから引き返す。
その時、関口は中村秀樹という中学生と知り合い、
バンコクで行動を共にする。

中学生の大規模な不登校が明らかになり、
関口は、中村から連絡を受けて彼らの実態に触れる。
そこで出会った「ポンちゃん」こと楠田譲一。
彼らは「ASUNARO」という中学生のネットワークを立ち上げ。
大人の作った日本社会からのエクソダス(脱出)を目指す。

ASUNAROは、
ネットビジネスで急成長し、
ポンちゃんは参考人招致として国会で話をすることとなる。
丁度その時、
円が投機筋によるアタックを受け、
立ち上げたばかりの「アジア通貨基金」がらみで、
日本は国家破産の危機に瀕する。
関口はその背後にASUNAROの計画があったのではないかと疑惑を抱く。

数年後、ASUNAROのメンバーは北海道に移住し、
風力発電によってエネルギーを獲得、
地域通貨イクスを作り、
将来的には日本からの独立を目指すように見えるが・・・

この小説が書かれた2000年当時は、
バブルがはじけて後の「失われた10年」の最中で、
政治経済共に閉塞感が日本全土を覆っていた時代だと記憶する。
その突破口となるのが、中学生による大規模な不登校、
というのが大変ユニーク。
大学生でもなく、高校生でもなく、中学生だ。
確かにしがらみもなく、
過去の成功例にこだわるわけでもなく、
清新な感覚で物事を捕らえられる世代ではあるが、
決定的に欠けている「経験」をどう補うか。
などというのは、
やはり過去の経験則から離れられない、おじさんの発想だろうか。

国会での参考人発言は、
逮捕を逃れるためにネット経由の映像での出演となる。
その冒頭のポンちゃんの発言は強烈だ。
「この国には何でもある。
本当にいろいろなものがあります。
だが、希望だけがない」


この発言の意味するものは深い。

何でもあるが、希望だけがない日本という国が
再建できるのか、
それともこのまま沈没してしまうのか。
2000年という時代に抱いた村上龍の危機意識がめざましい。
そういう意味で、村上龍の矛先は
政治や経済やメディアにもおよぶ。

しかし、近未来小説の宿命で、
小説が描いた2001年6月から2008年9月までを
現実の時間が追いついてしまった。
その間、2009年の政権交代があり、
2011年の東日本大震災があり、
2012年の安倍政権の樹立とアベノミクスがある。
2007年から2012年までは記録的円高が続いた。
村上氏が想定していない状況である。

村上氏はポンちゃんたちの作った
北海道の街を
やや理想郷的に描いているが、
本当なら経験の少ない中学生たちの
仲間割れや抗争があったはず。
そういうところも描いてほしかったところだ。

本筋ではないが、
関口が恋人の由美子と懐石料理を食べるシーンの描写が面白い。

「ちょっと味が薄いんだよ」
おれがそう言うと、由美子は笑った。
「がーっとカルビを食べて、
がーっとビールを飲むとか、
そういうのとは対極にあるのかも知れないよね。
みんなで騒ぎながら食べるものでもないよね。
きっと懐石料理って、
わたしはひどく憂鬱な人が作り上げたもんだと思うんだけど」
海老の団子を口に運びながら由美子はそんな話をした。
憂鬱な人?
おれは由美子の言葉を反芻した。
「うん。何て言うのかな。
喪失感だけがあって、
大勢ではしゃぐような気分には
もう永遠になることはないってわかっているような人だけどね。
わたしが取材した投資銀行のCEOで
懐石料理のファンがいるのよ。
その人は、銀座とか京都のすごい店に週に一度は通うの。
九谷焼とか清水焼の国宝級の器で料理を出してきて、
一人千ドルするような店らしいんだけど」
「金持ちなんだな」
「一年前に奥さんをなくしたんだって。
それで、ずっと喪失感が消えなくて、
食事も喉を通らなかったんだって。
ステーキにナイフを入れるエネルギーのようなものが
なかったって言ってたけど、
わたし、何となくそういうのわかるの」

「その人、一人か、ごく親しい人と二人で
最高級の懐石料理を食べるんだって言ってたな。
最高級の懐石は、
喪失感を和らげてくれるんだって」
「かけがえのない大切な人を失ったときの悲しみというのは、
他の人では埋められなくて、
何か美しいものだけが
その時間を埋めてくれるものだ、
みたいなことをその人は言ってたんだけどね」
「でもフランス料理だって、
中華だってすごい料理ってあるんじゃないのかな。
あるいは美しいものだったら
別に料理に限らず
音楽でも絵画でもいいわけだろう」
「懐石はパッシブにしてくれる、みたいなことを言ってたね」
「パッシブ?」
「懐石料理がアグレッシブだという意味じゃなくて、
他の料理は、
まず一つの料理を食べるのに
まとまった時間がかかるそうなの。
フランス料理でも、
メインディッシュを食べるには
それなりの時間がかかるでしょう。
同じ味付けの料理をずっと食べていると、
それがどんなにおいしくても、
ふっと何かを思いだしてしまったりするんだって。
それと中華は器にバリエーションが少ないとか言ってた。
懐石はひとつひとつの料理を短い時間に食べられて、
料理が出てくる順序にしても考え抜かれていて、
盛りつけだけを見ても
非常に洗練されているんだって。
それと懐石にはクライマックスというものがなくて、
音楽にしても絵画にしても
本当に美しいものを鑑賞すると
どこか疲れるものだけど、
懐石料理は
食べる人を決して疲れさせることがない、
みたいなことを言ってたけど」

なるほど。
懐石料理も、奥が深い。




2016/2/7  15:52

投稿者:佐藤 真一

あまりにも幼稚だった安倍首相の施政方針演説
http://www.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/100463/012700048/?P=2

安倍さんは、民主党の質問に対してやたらにヤジを飛ばす。非常に幼稚で、言ってみれば国会をまるで子どもの喧嘩のように捉えているということだ。彼は質問されるのが嫌いなのだろう。しかし、これではみっともない。僕は長らく政治家たちを見てきたが、こういう人はあまりいなかった。

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