『沖縄の不都合な真実』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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著者の大久保潤氏は、
日本経済新聞社元那覇支局長、現新潟支局長。
篠原章氏は、
大学教員を経て評論家。経済学博士。

構成は、

序 章 沖縄はこれからどうなるのか
第1章 普天間問題の何が問題なのか
第2章 高まる基地への依存
第3章 「基地がなくなれば豊かになる」という神話
第4章 広がる格差、深まる分断
第5章 「公」による「民」の支配
第6章 本土がつくったオキナワイメージ
第7章 「沖縄平和運動」の実態と本質
第8章 異論を封殺する沖縄のジャーナリズム
第9章 「構造的沖縄差別論」のあやうさ
あとがき

という内容。

各章の表題から分かるように、
現在の沖縄の現状には批判的だ。

たとえば、第6章では、冒頭にこう書く。

「戦争と基地のかわいそうな島」
というイメージをつくったのは
本土の新聞とテレビと出版社です。
この悲劇のイメージは
基地を減らすことに全く役に立っていません。
振興策を政府から引き出す道具としては
大いに役立っています。
「反戦・反基地」の主張は
本土のマスコミにとって大事でしょうが、
振興策によって
沖縄の生活が破壊されるとすれば犯罪的ですらあります。
「戦争と基地の島」「自然の楽園」というイメージは
沖縄の一面であり、
一種の幻想です。
この沖縄幻想を支えているのが
本土のマスコミや沖縄フリークの学者です。
この構図が沖縄問題をややこしくしています。

ここに「振興策を政府から引き出す道具」と書いてあるが、
沖縄問題を語る上で、
振興予算を抜きにして語ることはできない。

民主党も自民党も
「沖縄との信頼関係を築く」
という目的で振興予算を注ぎます。
信頼関係とは何でしょうか。
政府側は
「これだけ税金をかけているのだから
基地問題でも理解を示してくれるだろう」
と考えるのは当然です。
一方で沖縄側が
「予算は基地とは関係ない。
基地が減らない以上、
振興策をもらう権利がある」
と受け止めるのは当然です。
そもそも噛み合っていないので、
お互いが納得する着地点がないエンドレスゲームなのです。

沖縄と政府のトップ間で交わされる
この手のやりとりを「茶番」だと感じずに
やり過ごすことはとても難しいことです。

2013年末に仲井真知事は辺野古移設を認めました。
今でも県外移設を求める声は強くありますが、
「県外」となると、
5000億円の工事を失うことになります。
倒産が相次ぐ土建業界の現状を考えれば
「県外」とは口にできないはずです。
ところが大丈夫なのです。
なぜでしょうか。
基地の工事とは別の形で
お金が落ちるシステムが確立されているからです。
「基地反対」の声に政府が配慮して
振興策を投じる手法は暗黙の了解になっています。
「振興策」のかなりの部分は公共工事ですから、
建設業者は潤います。
振興策の一部は
献金を通じて政治家にも戻ります。
普天間問題は
この「税金の還流装置」を動かすカードとして機能しています。

要するに沖縄に基地がある限り、
振興予算の形で
沖縄に資金が投下される仕組みが出来上がっている。
それに使われる税金とは、
沖縄県外の国民が納めたものだ。
納税者としては複雑な気持ちになるのではないのだろうか。

こんな例も紹介されている。

2011年末に名護市に返還される予定だった
海兵隊キャンプ内の土地を
継続使用してほしいと
名護市議会が首相や防衛相に要請したという。
それは、この軍用地が名護市の市有地で、
年1億3千万円の借地料収入が市に入るからだった。
防衛省は「返させてほしい」と言い、
沖縄側が「基地を使い続けてほしい」
という世評と反対の出来事は、事実である。
市の求めるとおり、基地は使い続けることになったという。

このように、
「基地があること」
「基地に反対すること」
沖縄が潤うシステムだ。

だからといって、沖縄全体が潤うわけではないことが
第4章で語られる。

基地の見返りの振興策が
40年以上も続いたにもかかわらず、
沖縄は全国一の格差社会になってしまいました。
振興策で公務員と大企業は潤いますが、
貧困層にはなかなか行き渡らないからです。

沖縄の貧困はかなり深刻だ。
一人当たり県民所得は全国最低、
失業率も全国最高、
それ以外に離婚率全国一、
父子家庭率・母子家庭率全国一、
待機児童数比率全国一、
DV発生比率全国一、
高校進学率・大学進学率全国最低、
学力水準は全国最低、
給食費滞納率全国一、
一人当たり納税額、国民年金納付率、
NHK受信料納付率、自動車保険加入率が全国最低、
と目を覆うばかりの指標が続く。

こうした問題の解決のために、
筆者は基地を材料とした振興策の要求という
被害者意識、被差別意識に基づく
メンタリティの払拭
を訴えるのである。
そう、まさにメンタリティの問題である。

そのことを次の言葉がよく表現している。

「基地が返ってこないことを前提とした基地反対運動」

これは沖縄県の、
とある首長が筆者に語った言葉だという。

筆者はこのように書く。

日本政府と基地反対派は
敵対しているように見えますが、
振興策については同じ方向を向いています。
つまり結果的には
共犯関係にあるのです。
政府と基地反対派が共犯関係にあるという
この視点はなかなか持ちにくいのですが、
この共犯者による被害者は納税者だ、
つまり自分だということに気づくと、
誰もが沖縄問題の当事者になれます。

詳しく書けば、
全編引写しになってしまうが、
あとは、読んでもらうしかない。
沖縄の人には耳の痛い話だろうが、
この本で実態はよく分かった。

最後に筆者はこのようにしめくくる。

大事なのは被害者沖縄に寄り添うことではありません。
沖縄の基地を減らし、
見返りの振興策と減税措置をなくすことです。
沖縄に基地があることは、
膨大な税金を消費するのですから
本土にとっては経済的にはマイナスなのです。
このことが理解されれば、
「沖縄の基地を減らせ」という声は
沖縄よりもむしろ本土で強まると思います。

基地縮小のための具体的なプランもなし。
独立の志もなし。
米軍基地削減後の沖縄についての展望もなし。
「日本人は基地を持ち帰れ」
ということばだけが先走っている「構造的沖縄差別論」。
これが実体だとすれば、
たんなる心情的・被害者感情論にすぎません。
被害者の立場を強調して
加害者に「お前が責任を取れ」と求めるだけでは、
被害者は被害者に留まり続けます。
「被害者の加害者に対する依存」の構造は、
いつまでたっても解消されません。




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