『脊梁山脈』  書籍関係

〔書籍紹介〕

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脊梁山脈」(せきりょうさんみゃく)とは、
大辞林によれば、
ある地域を分断して長く連なり、
主要な分水嶺となる山脈
のこと。

乙川優三郎初の現代小説である。

上海で勉学中、地元召集を受けた谷田部信幸は、
復員して故郷へ帰る列車の中で小椋康造と知り合い、
強い印象を受ける。
生活が安定した信幸は
小椋の故郷と目される長野県下伊那郡の村を訪ねたが、
小椋の消息は分からなかった。
しかし小椋が木地師であることを知り、
木地物の図録を作成することを思いつく。
こうして、平安の初め頃の惟喬(これたか)親王に始まる
木地師の足跡を辿ることになる。

木地師(きじし)・・・轆轤(ろくろ)を用いて
           椀や盆等の木工品を加工、製造する職人。
           轆轤師とも呼ばれる。

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制作過程は↓をクリック。

https://www.youtube.com/watch?v=C5dKJgE_A5U&feature=player_embedded

彼らは人の入らない深山に小さな農地を拓いて暮らし、
広葉樹の良材が尽きると
尾根伝いに次の山へ移動するので、
およそ人目に触れず、
去ったあとには天然の杉や檜の美林が残る。
たやすく植林などできない深山に
単一種族の美林が広がるわけを知る人は少ないだろう。
町や村の人々は毎日碗や盆を使いながら、
それらがどこで造られたものかは知らず、
関心も抱かなかったようである。
木地師は木地師で自尊の念が強く、
血と技術を守るために同族婚を繰り返していたから、
下界との接点は限られてしまう。
そんな特異な暮らしが
明治になって漂泊の民では通らなくなくなるまで続いた。

一方、上野駅で知り合った画家の娘で絵を描く堀佳江との交流、
東北の温泉宿で出逢った木地師の娘・小倉多希子との交流、
佳江の店で知り合った工芸雑誌の編集者で民俗学にも詳しい高村久志との交流も描く。
また、フィリピンで死んだとされる信幸の弟修の帰還を待ち望む母との生活、
伯父の経営していた石材店の行く末も見守る。
それらは全て信幸にとっては
内面で引きずる戦争の傷跡であった。

信幸は高村と共に出かけた法隆寺で
百万塔を調査している時、
木地師と帰化人・秦氏との関連を発見する。
また、木地師の行方を探るうちに
古代史の矛盾にも気づき、
大化の改新で起こった様々な出来事の中に
万世一系の天皇の歴史にも疑問を抱くようになる。

こうして、小椋と知り合ったことで
信幸の旅路は、
帰化人からつながる木地師の漂泊の行方
辿る旅をすることになるのである。

そして、そのことが
信幸にとって戦争が終わることを意味する。

乙川氏は1953年生まれ。
この年にして広い意味の戦争小説、
中でも戦争直後の日常が描かれた小説を書くとは。
しかも、話は木地師の歴史を通じて
古代史までも分け入っていく。

描写は静謐で一点の揺るぎもない。
数々の美しい描写、
特に木地師の後をたどって山路を行く描写は
どういう実体験をしたのだろうと
想像が及ばない。

前に「トワイライト・シャッフル」の書評でも書いたが、
時代小説の名手が
現代小説でも
骨太の作品を書ける、
いや視野がより広がっていくことを感じて歓迎である。

伯父の言葉。
「何をして生きるにしろ、
男は自分の境遇や才量と相談しながら、
正しいと思うことをするしかない、
良心が騒ぐなら従えばいい、
百人は無理でも一人なら助けられるということもある、
自分や家族を養うことすらむずかしいときに
人の心配をしてもはじまらないと思うなら、
やめておくことだ、
貧困や差別がなくなることはないだろうから、
良心を鍛えておけば
いずれ使う機会を訪れる、
死ぬまでに一人でも救うことができたら上出来だよ」

「お国に服装から生き方まで指図される時代は終わった。
性根を据えて人生を愉しめ」

信幸の感想。
「山里の自然は厳しいが、
人は豊かだと思った、
はじめて木地師の生活を見て、
あれこそ日本人が放置してきた
貴重な落とし物ではないかと、
そんな気がした、
はじめて会う人なのにどこか懐かしく、
新しさとは無縁の道具や仕事場が新鮮に映った、
我々が木の匂いや
美しい木目を好きになるのは
遺伝としか思えない」

佳江の台詞。
「でも戦争で人生が変わってしまったのは
兵隊ばかりじゃない、
焼跡に取り残された子どもや女が
死体の山を見て、
命の使い道を考えるのは当然でしょう」

高村の台詞。
「酒を酌みながら
こういうことを話せるようになっただけでも
日本は負けてよかったのかもしれない」
「これからは変わりますよ、
どんどん変わらなければ
戦争に負けた意味がありません」

工芸や民芸という大きな枠の中へ
飛び込むつもりはなかったし、
共通の利益のために団結したり、
組織に組み込まれたりすることが
苦手になっていた。
個人も自由もない軍隊というところで
若さを使い果たしたせいだろう。

信幸の台詞。
「自分では何も造れないくせに
批評することは許される。
幸せといえば幸せですが、
本当に充たされるのは
造る人でしょう」

三弦を聞いた後の信幸の感想。
「わたしは邦楽の上等なのは
新橋で観たくらいで、
深いところまでは分からないが、
中々いいものだと思った。
意識して親しんできたわけでもないのに
心地よくなるのは
日本人の感覚としか言いようがない」

佳江の台詞。
「たしかに生きてゆくだけでもつらい人からみれば
芸術は贅沢よ、
でも成功する人は少ない、
生身の人間が生活を完全に消し去ることはできないし、
大抵は二流で終わる世界だけど、
ただの女が絵を描いて一生を台無しにしたとしても、
それを不幸と思う人こそ
つまらない人だわ、
人生の意味すら考えずに
どんなにうまく生活したところで、
空っぽのまま終わる人間の正体は悲惨だと思う」

山脈の上で木地師たちの墓石群を見た時の信幸の思い。
いつか葉風の音も絶えて、
彼は墓地の主たちが
脊梁山脈を越えてゆく姿を見ていた。
想念の中の木地師たちは
蓬頭垢衣(ほうとうこうい)の一団で、
老人もいれば子供もいる。
年頃の娘だけが肌を汚しながらも美しく、
振り返る顔がどれも多希子であった。
罪深い夢から解放されて、
純真な娘に還った持統天皇の化身のようでもあった。
すると天智、蘇我の一族も後に続きはじめた。
黙々と深山に道をつけてゆく彼らに
貴賤尊卑の別はない、
あるのはひたぶるに脊梁を目指す気力と、
そこから先はどうなるか知れない
それぞれの運命であった。
ある者は震える足で脊梁に立ち、
ある者は白鳥となって飛び立ってゆく。

最後に小椋と再会した時の会話。
「小椋さんの終戦はまだですか」
「ええ、残念ながら」
彼は目を伏せて黙った。
恐らく一生をかけて考え、
ささやかな答えを得て終わるか、
日本人のひとりとしてあの世へ持ち去るのだろう。
自ら作り得なかった民主国家を謳い、
発展に酔い、
戦争を忘れてゆくのは国で、
その実体は権力欲と利己心に冒された
野心家の群れであろう。
時代を演出し、
国家を操る彼らこそ俗物ではないかと思う。
康造のような人は大勢いて、
彼らは戦地の惨劇を
自身の過ちとして悩み続ける。
その重さを思うと、
たまらない気がした。


木地師という日本独特の文化継承者の歴史の中に
日本人の感性を探ろうとするこの本。
堪能した。





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