『利休にたずねよ』  映画関係

おせちが届きました。

クリックすると元のサイズで表示します

これ、いただきもの。

クリックすると元のサイズで表示します

「壱の重」「弐の重」の二段重ね

クリックすると元のサイズで表示します

壱の重には、
サーロインステーキと和牛の柔らか煮。

クリックすると元のサイズで表示します

弐の重には、
17種類のおせち料理が。

クリックすると元のサイズで表示します

ありがたい贈り物でした。

クリックすると元のサイズで表示します


〔映画紹介〕

クリックすると元のサイズで表示します

山本兼一による直木賞受賞作の映画化。

このブログでも小説を絶賛したので、
期待して観た。

小説の感想は、↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20090623/archive

何とも言えない違和感に満たされた。

その原因が何であるかを探るために、
改めて原作を読み直してみた。
そして、映画を再び観た。

大きな、そして決定的な改変部分
小説が利休切腹の日から始めて、
その前日、その15日前、その16日前・・・と
時間をさかのぼり、
最後に50年前の出来事に及ぶ形式なのに対して、
映画は利休切腹の日から始めて、
一挙に21年前に飛び、
そこから時間の経過に従って進んで来る。
そして、最後に50年前に飛び、
元に戻って、切腹に至る。

時系列をさかのぼる形が
映画の表現としてどうか、
ということだったのかもしれないが、
時間をさかのぼって、
利休の美学の謎をちりばめ、
最後に利休19歳の時の恋に至り、
狭い茶室、低いにじり口、
そのままの土壁、
活けられた一輪の花などの
利休の「わび茶」の本質
囲い者にさせられようとしていた
高麗の身分の高い女と逃走した際、
潜んだ塩浜の苫屋にあったことを
明らかにする小説世界では、
時間を遡及する方法が必然であったのだ。

小説としても挑戦的な内容だ。
なのに、映画はその挑戦をあっさりと回避した。
この原作のキモであるにもかかわらずである。
私は「日本の映画監督は小説が読めない」という持論を持っているが、
まさにそのとおりの改変だ。

なのに、最後の部分で50年前に話が飛ぶ。
その際には「利休切腹から50年前」の字幕も出ない。

確かに小説と映画は別物だが、
一人の創作者の書いたものを原作とする以上、
その仕掛けや挑戦は尊重すべきではないのか。

ただ、秀吉が信長の家臣になる時から始めて、
秀吉の台頭をからめるのはアイデアだと思った。

なお、時間をさかのぼる描写は、
「くじけないで」で、
主人公の生涯の原点の貧困時代に至る、
という形で成功させている。

本作でも、緑釉(りょくゆう)の香合を上手に使い、
映像処理で利休の心象風景を出すなど、
いくらでも方法はあった気がする。

第2の違和感。
天下人となった秀吉が
何もかも自分の思い通りになりながら、
ただ一人、
「美」の世界に君臨する利休を意のままに出来ない、
という苛立ちが十分表れていない。
秀吉が何を恐れて、あれほどの所業をしたかが明らかでない。
「美意識」の世界を巡っての秀吉対利休の対立が描かれていないのだ。
秀吉を演ずる大森南朋は高笑いをするだけ。

第3の違和感。
市川海老蔵の起用は正しかったか。
利休の切腹は69歳の時。
36歳の海老蔵では無理でなかったか。
とても「わび茶」の完成者に見えず、
あれでは野心満々の若者に見えてしまう。
19歳の時から50歳までの年輪が感じられないのだ。
では、誰が演ずることが出来るかと言えば、
名前を上げることは出来ないが、
この起用は失敗だったとしか思えない。

瓦職人のあめや長次郎に対して茶碗を依頼する話も中途半端。
弟子の山上宗二が秀吉の勘気を受け、
とりなした利休の前で斬殺される場面も、
宗二がなぜ秀吉から遠ざけられたかが省略されているので、
不完全燃焼。
なお、この時、秀吉が「斬れ」と言って宗二は殺されるが、
小説のセリフは「首を刎ねよ」
「斬れ」と「首を刎ねよ」では、天地のほどの開きがある。
「首を刎ねよ」という言葉には、
天下人になった秀吉の驕りがある。
このセリフを変えた脚本家の心理は如何。
また、ラストの緑釉の香合は、
小説では宗恩の手によって粉々に砕けるが、
映画は残す。
利休の命の終わりと共に、
執着の象徴であった緑釉の香合も砕けて、
全ては幻と帰す、
というのが原作の意図と思うが、
この改変もセンスを疑う。

利休の美意識の世界に的を絞り、
それに秀吉の嫉妬をからませ、
時間の遡及の中にその謎をちりばめ、
最後に真相を明らかにする、
という小説本来の形というか
小説の本質を
才能のない脚本家と
平凡な監督が台無しにした失敗作

利休の妻・宋恩を演じた中谷美紀は役どころをとらえて好演。
伊勢谷友介はめざましい織田信長役となった。
高麗の姫を演ずるクララ(イ・ソンミン)は、
利休の魂を奪うにふさわしい凛とした美しさがあった。

5段階評価の「3」




2013/12/31  10:23

投稿者:目黒区南

今年もブログ楽しませていただきました。今年後半仕事が忙しく、溜め読みになってしまい申し訳ありません。多くのの国に出かけられたくさんの現地の写真ありがとうございました。マレーシアも随分と都会になったと暫く行ってないので感心しました。東南アジアの発展はすごいです。ヨーロッパより活気があると感じてます。
来年も夢のある年となりますこと心かお祈り申しあげます。

コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL





AutoPage最新お知らせ