ロシア旅行記I エカテリーナ宮殿  旅行関係

6日目は、朝の光の中のサンクトペテルブルクを見ながら、

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南に25q走り、

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「ロシアのベルサイユ」と呼ばれる
ツァールスコエ・セローへ。
意味は「皇帝の村」です。

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1918年からヂェーツコエ・セロー、
1937年からプーシキンという名称に改められました。
楽団の演奏の出迎えを受け、

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途中のリツェイ庭園には、
プーシキンの記念碑があります。

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この町がどうして「ロシアのベルサイユ」と呼ばれるかというと、

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エカテリーナ宮殿があるからです。

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最初の宮殿は、1724年、
ピョートル大帝の妃、エカテリーナ1世のために建設されました。

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その後、女帝エリザベータの命により、
1752年からバロック様式による
大規模な改築が行われ、

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更にエカテリーナ2世の時代に、
クラシック様式での改装が行われました。

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ここでも楽団が迎えます。

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建物の長さは約300m、
青い塗装が涼やかなロシア・バロック様式。

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これは何かというと、

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靴の外側にはかされる覆い。

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正面玄関。

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美しい装飾が目を奪います。

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大広間

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広さ約1000u、長さ47m、幅は宮殿と同じ幅の17m。

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井上靖の小説「おろしや国酔夢譚」でも知られる
大黒屋光太夫が
エカテリーナ2世に拝謁し、
帰国の許可を得たのが、
この広間であると言われます。

頭上には、華麗な天井画が。

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入口には、金の装飾が。

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第一の控えの間

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ここの天井画はかわいい。

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あちらの宮殿は廊下はなく、
部屋から部屋が続きます。

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騎士の食堂の間

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白の主食堂

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木いちごの食堂

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緑の食堂

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肖像画の間

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琥珀の間は、撮影禁止なので、写真集から。

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琥珀の間の歴史は、
18世紀初頭にプロイセンで作られた
数枚の琥珀細工のパネルから始まります。
プロイセン王フリードリヒ1世は、
壁一面を琥珀で覆った部屋の建設を始めますが、
完成を見ずに亡くなりました。
息子のフリードリッヒ・ウィルヘルム1世は
この部屋に興味を示さず、
1716年、プロイセンを訪れたピョートル大帝に
これらのパネルを贈りました。

ところが持ち帰ったものの、
これらのパネルをどう組み立てていいか分からず、
そのまま放置されていました。

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これに初めて手をつけたのが、
エリザヴェータ女帝で、
1746年、
サンクトペテルブルクの冬の宮殿に
琥珀の間は一応完成。
1755年、女帝は
琥珀の書斎をツァールスコエ・セローに移設するよう命じました。

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琥珀の間は、
美術愛好家のエカテリーナ2世の時に
更に再構築されました。

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建築は1770年に終了し、
450sもの琥珀が使われ、
壁一面が琥珀で覆われた前代未聞の部屋となりました。

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しかし、第二次世界大戦時、
ナチス・ドイツによって
琥珀が全て分解して持ち去られ、
以来、行方知れずになり、
失われた偉大な美術品とされていました。

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1979年、内閣によって
琥珀の間復元の公式決定が下されました。

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復元は困難をきわめ、
特に、乏しい資料のほとんどが白黒写真だったため、
色彩の表現が難しかったといいます。

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2003年5月31日、

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サンクトペテルブルク建都300周年を記念して、

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琥珀の間の除幕式が盛大に行われました。
小泉首相(当時)も出席したそうです。

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60年の歳月を経て、

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一つの美術品が蘇る。

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何だか感動的な話ですね。

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絵画の間には、

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大小様々な絵画が

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組み合わせて展示されています。

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小・白の食堂

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調度品の側面に描かれたもの。

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アレクサンドル1世の客間

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緑の食堂

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ひととおり見終えて階段を降りると、

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途中にテレビが。

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おお、わがパナソニックだ。

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サムスンやLGに負けていなかったか。

下の通路には、

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様々な写真が展示されています。

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宮殿が放置されていた時代。
雪が屋内に積もっています。

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彫刻類の修復作業。

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床の修復作業。

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ゴルバチョフを案内しているのは、

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ここの館長。

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大変尊敬された人物だそうです。

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館内を出て、

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建物の装飾を見ながら、

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エカテリーナ公園へ。

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これは、グロットと呼ばれる建物。

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池に映るエカテリーナ宮殿。

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この建物は浴場です。

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フランス庭園は幾何学模様。

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イギリス式庭園は自然のままですが、
フランス式庭園は人工的です。

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こちらは裏側で、個人の観客の入場口。

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向こうに見える玉ねぎは、

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宮殿付属の教会。

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あと2、3週間すれば、

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黄葉の見頃になるでしょう。

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この後は、ピョートル大帝夏の宮殿の庭園です。




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