ロシア旅行記E サンクトペテルブルク 旅行関係
サンクトペテルブルクの位置は、ここ。↓

ロシア西部、バルト海のフィンランド湾最東端、
ネヴァ川河口デルタに位置します。
モスクワに次ぐロシア第二の都市です。
人口は市域で500万人。
人口が100万を超える都市としては世界で最も北に位置します。
都市の名は「聖ペテロの街」を意味します。
これは、建都を命じたピョートル大帝が
自分と同名の聖人ペテロの名にちなんで付けたもの。
当初はオランダ語風にサンクト・ピーテルブールフと呼ばれていましたが、
後にドイツ語風にサンクト・ペテルブルクと呼ばれるようになりました。
1914年、第一次世界大戦が始まりロシアがドイツと交戦状態に入ると、
ロシア語風にペトログラードと改められ、
更にロシア革命によりソビエト連邦が成立すると、
1924年よりレーニンにちなんでレニングラードと改称され、
この名称が半世紀続きました。
そして、ソ連の崩壊により、
市民投票により、
昔の名前、サンクトペテルブルクに戻ったのです。
都市の名前一つで、これだけの歴史があります。
ピョートル大帝による建都以来ロシア最大の文化都市として発展してきたため、
特に帝政時代にはこの都市を舞台に多くの文化人が活動し、
詩や小説などの題材としても扱われてきました。
詩人で作家のアレクサンドル・プーシキン、
いわゆる「ペテルブルクもの」を著したニコライ・ゴーゴリ、
『罪と罰』を書いたたフョードル・ドストエフスキーなど。
イワン・ツルゲーネフの作品にも描かれるように
帝政時代のモスクワはひどい「田舎」扱いされており、
ペテルブルクで活躍することこそが
エリートの絶対条件であるとみなされていました。
音楽家や画家もペテルブルクで活動するのが基本でした。
空港からの道は、このように、モダンです。

運河の町であり、

そのため、「北のヴェネチァ」とも呼ばれています。



岸には、

銅像や

オベリスクが。

夜になると、跳ね橋があがり、
大きな船を通します。

その様子。

これを観に行く、夜中のツァーもあるようです。
町を東西に貫くネフスキー大通り。

モスクワ駅。

ロシアの駅名は、その終点の名前が付けられます。
従って、モスクワ〜サンクトペテルベルク線の
モスクワにある駅名は、サンクトペテルベルク駅。
(レニングラード駅とも)
ヴァスターニエ広場の塔。

聖イサク寺院。

正面からの写真が撮れなかったので、
写真集から。

世界遺産です。
これから沢山の世界遺産が登場しますが、
単独ではなく、
「サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群」
という一くくりです。
今は、このように修復中。。

1858年に建ったこの教会、

クーポラをいただく教会としては、
世界で4番目の規模を誇ります。

これをしのぐのは、
ローマのサン・ピエトロ大聖堂、
ロンドンのセント・ポール大聖堂、
フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ聖堂だけ。
正面の公園には、
青銅の騎士像。

ピョートル大帝の騎馬像です。

足元に

蛇を踏んづけています。

ミハイロフスキー庭園。


向こうに見えるのは、ミハイロフスキー城。

出たところで花嫁に逢いました。

ここは、スパース・ナ・クラヴィー教会。

1881年、
皇帝アレクサンドル2世が暗殺された場所の上に建てられたので、
「血の上の救世主教会」と呼ばれています。

新たに即位した息子のアレクサンドル3世が、

父の死を惜しみ建てた、

純ロシア風の教会です。

ソ連時代は粗末に扱われ、
一時期と倉庫として使われました。

今は修復され、博物館として使われています。

ちょっと運河にはみ出ています。

ここでも、花嫁発見。

ロシア美術館の前の芸術広場には、

プーシキンの像が立っています。

何でしょう、このポーズ。

またお土産物屋に連れて行かれましたが、
マトリョーシカ人形は、もう一生分見たので、
写真は載せません。
一つだけ、面白いマトリョーシカ人形を紹介。
プーチンの中からエリツィンが、
その次はゴルバチョフが、
そして、ブレジネフ、フルシチョフと
歴代のロシア(ソ連)の指導者が現れます。

クリントンの中から
ヒラリーやモニカが出て来るのもあるそうです。
お土産物屋から抜け出して、ちょっと散策。
↓はグランドホテル・ヨーロッパ。これも世界遺産の一つ。

ネフスキー大通り。

地下鉄がありました。

サンクトペテルブルク、
地下鉄は5路線あります。

長い通路を歩くと、

チケット売り場に。

こちらでは、このトークンを使います。

料金は28ルーブル。
モスクワより2ルーブル安い。

ICカードにも対応。


深い。

千代田線のお茶の水駅より深い。

電車が来ました。



中の写真。

撮っただけ。時間がないので、乗りませんでした。

コンサートも盛んなようです。


というわけで、
オプショナルでバレエを観に行きました。

演し物は、「白鳥の湖」。

劇場の名前は、オーロラ・パレス劇場。

階段の壁に

このような絵が。

プログラム。

日本語のあらすじもあります。

チケット。

座席表。

入場開始。

中に入って驚いた。
オーケストラピットがない!

1列目と舞台の間にオーケストラ。

人数は30名と、そこそこいますが、
寄せ集めであることは明らか。
思うに、観光客相手の公演。
期待は急速にしぼんでいきます。
しかも、観客に中国人が多い。
きっと観光コースに入っているのでしょう。
というわけで、演奏が始まると、
前から3列目(実質最前列)と
近すぎるせいもあって、
オケの音が一つにならない。
まあ、それもじきに慣れました。
バレエの方は、
腐ってもペテルブルク、という感じで、
そこそこの出来でした。
撮影禁止なので、
パンフレットからの写真。

オデット姫を踊ったタチヤーナ・フロロヴァさん。

さすがプリマを張るだけあって、
確かな技量。
彼女が出ると、舞台が引き締まります。
ただ、感動するには至りませんでした。
休憩時間、オーケストラのメンバーは談笑。
この人は、きれいなヴァイオリニストの女性。

美しいソロを奏でたコンサートマスターの人。

後ろの席の中国人がしゃべるので、
しばしば注意。
生まれて初めてバレエを観るのでしょう。
料金は1万7千円と高かったですが、
まあ、ロシアに来てバレエを観る、
という経験料。
終演後の舞台の様子。

サンクトペテルブルクは3連泊で、このホテル。

世界の時計が、東京でなく、ソウルになっています。

部屋は、こんな感じ。
バスタブはなし。

ついにロシアでの6泊は、全部バスタブなし。
これが普通なのでしょうか。
普通、ツァーでは、最後のホテルはいいのですが。
とにもかくにも、
サンクトペテルブルクの夜は更けていきます。

対岸のスモーリヌイ修道院のシルエットも美しく。

夜中の2時半頃、廊下が騒がしくなりました。

スピーカーから、なにやらロシア語のテープの音声が流れています。

廊下があわただしくなり、

中には荷物を持っている人も。

添乗員さんを通じてフロントに問い合わせると、
「システム・トラブル。問題なし」
とのこと。
でも、様子を見るために、
階段を降りてみました。
エレベーターは止まっていますので。

ロビーには、意外や10人程と少ない。
ロシアの人にとっては、
日常茶飯事なのか、反応なし。

結局問題ないので、
今度は階段を8階まで登って帰りました。

それでも、係が来るまでの間、
2時間位、テープの音声はずっと流れていました。
ロシアのホテルの実情を知って、
良い経験になりました。
次は、いよいよエルミタージュ美術館です。

ロシア西部、バルト海のフィンランド湾最東端、
ネヴァ川河口デルタに位置します。
モスクワに次ぐロシア第二の都市です。
人口は市域で500万人。
人口が100万を超える都市としては世界で最も北に位置します。
都市の名は「聖ペテロの街」を意味します。
これは、建都を命じたピョートル大帝が
自分と同名の聖人ペテロの名にちなんで付けたもの。
当初はオランダ語風にサンクト・ピーテルブールフと呼ばれていましたが、
後にドイツ語風にサンクト・ペテルブルクと呼ばれるようになりました。
1914年、第一次世界大戦が始まりロシアがドイツと交戦状態に入ると、
ロシア語風にペトログラードと改められ、
更にロシア革命によりソビエト連邦が成立すると、
1924年よりレーニンにちなんでレニングラードと改称され、
この名称が半世紀続きました。
そして、ソ連の崩壊により、
市民投票により、
昔の名前、サンクトペテルブルクに戻ったのです。
都市の名前一つで、これだけの歴史があります。
ピョートル大帝による建都以来ロシア最大の文化都市として発展してきたため、
特に帝政時代にはこの都市を舞台に多くの文化人が活動し、
詩や小説などの題材としても扱われてきました。
詩人で作家のアレクサンドル・プーシキン、
いわゆる「ペテルブルクもの」を著したニコライ・ゴーゴリ、
『罪と罰』を書いたたフョードル・ドストエフスキーなど。
イワン・ツルゲーネフの作品にも描かれるように
帝政時代のモスクワはひどい「田舎」扱いされており、
ペテルブルクで活躍することこそが
エリートの絶対条件であるとみなされていました。
音楽家や画家もペテルブルクで活動するのが基本でした。
空港からの道は、このように、モダンです。

運河の町であり、

そのため、「北のヴェネチァ」とも呼ばれています。



岸には、

銅像や

オベリスクが。

夜になると、跳ね橋があがり、
大きな船を通します。

その様子。

これを観に行く、夜中のツァーもあるようです。
町を東西に貫くネフスキー大通り。

モスクワ駅。

ロシアの駅名は、その終点の名前が付けられます。
従って、モスクワ〜サンクトペテルベルク線の
モスクワにある駅名は、サンクトペテルベルク駅。
(レニングラード駅とも)
ヴァスターニエ広場の塔。

聖イサク寺院。

正面からの写真が撮れなかったので、
写真集から。

世界遺産です。
これから沢山の世界遺産が登場しますが、
単独ではなく、
「サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群」
という一くくりです。
今は、このように修復中。。

1858年に建ったこの教会、

クーポラをいただく教会としては、
世界で4番目の規模を誇ります。

これをしのぐのは、
ローマのサン・ピエトロ大聖堂、
ロンドンのセント・ポール大聖堂、
フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ聖堂だけ。
正面の公園には、
青銅の騎士像。

ピョートル大帝の騎馬像です。

足元に

蛇を踏んづけています。

ミハイロフスキー庭園。


向こうに見えるのは、ミハイロフスキー城。

出たところで花嫁に逢いました。

ここは、スパース・ナ・クラヴィー教会。

1881年、
皇帝アレクサンドル2世が暗殺された場所の上に建てられたので、
「血の上の救世主教会」と呼ばれています。

新たに即位した息子のアレクサンドル3世が、

父の死を惜しみ建てた、

純ロシア風の教会です。

ソ連時代は粗末に扱われ、
一時期と倉庫として使われました。

今は修復され、博物館として使われています。

ちょっと運河にはみ出ています。

ここでも、花嫁発見。

ロシア美術館の前の芸術広場には、

プーシキンの像が立っています。

何でしょう、このポーズ。

またお土産物屋に連れて行かれましたが、
マトリョーシカ人形は、もう一生分見たので、
写真は載せません。
一つだけ、面白いマトリョーシカ人形を紹介。
プーチンの中からエリツィンが、
その次はゴルバチョフが、
そして、ブレジネフ、フルシチョフと
歴代のロシア(ソ連)の指導者が現れます。

クリントンの中から
ヒラリーやモニカが出て来るのもあるそうです。
お土産物屋から抜け出して、ちょっと散策。
↓はグランドホテル・ヨーロッパ。これも世界遺産の一つ。

ネフスキー大通り。

地下鉄がありました。

サンクトペテルブルク、
地下鉄は5路線あります。

長い通路を歩くと、

チケット売り場に。

こちらでは、このトークンを使います。

料金は28ルーブル。
モスクワより2ルーブル安い。

ICカードにも対応。


深い。

千代田線のお茶の水駅より深い。

電車が来ました。



中の写真。

撮っただけ。時間がないので、乗りませんでした。

コンサートも盛んなようです。


というわけで、
オプショナルでバレエを観に行きました。

演し物は、「白鳥の湖」。

劇場の名前は、オーロラ・パレス劇場。

階段の壁に

このような絵が。

プログラム。

日本語のあらすじもあります。

チケット。

座席表。

入場開始。

中に入って驚いた。
オーケストラピットがない!

1列目と舞台の間にオーケストラ。

人数は30名と、そこそこいますが、
寄せ集めであることは明らか。
思うに、観光客相手の公演。
期待は急速にしぼんでいきます。
しかも、観客に中国人が多い。
きっと観光コースに入っているのでしょう。
というわけで、演奏が始まると、
前から3列目(実質最前列)と
近すぎるせいもあって、
オケの音が一つにならない。
まあ、それもじきに慣れました。
バレエの方は、
腐ってもペテルブルク、という感じで、
そこそこの出来でした。
撮影禁止なので、
パンフレットからの写真。

オデット姫を踊ったタチヤーナ・フロロヴァさん。

さすがプリマを張るだけあって、
確かな技量。
彼女が出ると、舞台が引き締まります。
ただ、感動するには至りませんでした。
休憩時間、オーケストラのメンバーは談笑。
この人は、きれいなヴァイオリニストの女性。

美しいソロを奏でたコンサートマスターの人。

後ろの席の中国人がしゃべるので、
しばしば注意。
生まれて初めてバレエを観るのでしょう。
料金は1万7千円と高かったですが、
まあ、ロシアに来てバレエを観る、
という経験料。
終演後の舞台の様子。

サンクトペテルブルクは3連泊で、このホテル。

世界の時計が、東京でなく、ソウルになっています。

部屋は、こんな感じ。
バスタブはなし。

ついにロシアでの6泊は、全部バスタブなし。
これが普通なのでしょうか。
普通、ツァーでは、最後のホテルはいいのですが。
とにもかくにも、
サンクトペテルブルクの夜は更けていきます。

対岸のスモーリヌイ修道院のシルエットも美しく。

夜中の2時半頃、廊下が騒がしくなりました。

スピーカーから、なにやらロシア語のテープの音声が流れています。

廊下があわただしくなり、

中には荷物を持っている人も。

添乗員さんを通じてフロントに問い合わせると、
「システム・トラブル。問題なし」
とのこと。
でも、様子を見るために、
階段を降りてみました。
エレベーターは止まっていますので。

ロビーには、意外や10人程と少ない。
ロシアの人にとっては、
日常茶飯事なのか、反応なし。

結局問題ないので、
今度は階段を8階まで登って帰りました。

それでも、係が来るまでの間、
2時間位、テープの音声はずっと流れていました。
ロシアのホテルの実情を知って、
良い経験になりました。
次は、いよいよエルミタージュ美術館です。
平素より楽しくブログを拝見させていただいております。 弊社はTrip-Partner(https://trip-partner.jp/ )という新しい海外情報メディアの立ち上げを行っております。 是非、貴ブログのような、海外旅行者にとって内容に富んだ記事を弊社サイトでも投稿して頂きたいと思いまして、ご連絡差し上げました。 報酬としては2000文字程度で2500円を考えております。 もしご興味御座いましたら範國(ノリクニ)宛(director@trip-partner.jp)にメールを頂くことは叶いますでしょうか?(その際メールにブログのURLを記載いただければ幸いです。 )具体的な依頼内容等について相談させていただきます。
何卒宜しくお願い致します。