徳田虎雄の落日  政治関係

今、徳州会を巡る
公職選挙法違反事件が取り沙汰されている。
医療法人徳州会理事長・徳田虎雄氏の
息子・徳田毅衆議院議員の
選挙活動で
徳州会病院の職員に
日当を支給した上で選挙運動に従事させたことが
罪に問われているのだ。

公益法人の職員を
自分の身内の選挙戦に動員し、
本来の医療業務をおろそかにした。
法的な問題もさることながら、
その道義的責任は大きい。

しかも、資金作りのために、
徳州会グループの病院を建設するたびに
受注したゼネコンから
工事金額の一部をバックさせ、
しかも、そうした作った裏金
親族に分散し、
株などに投資させて増やしていたという。

医療器具の購入の際も、
業者から直接購入すれば安くつくものを、
親族が役員を務める会社を通じて購入させ、
親族に役員給与の形で還元していたという。
それは「徳田王朝」と呼ばれていた。
医療法人そのものが
地域医療のためではなく、
王朝の維持のために利用されていたのだ。

徳田虎雄氏は、
1938年2月17日生まれだから現在75歳
実弟が医師の治療を受けられなかったことにより
亡くなったのをきっかけに医師を志し、
大学受験のため鹿児島県立徳之島から
大阪に単身移り住んだ。
実家の家計は苦しかったが
父親が先祖伝来の農地を切り売りして仕送りをして学資を支えてくれた。

2浪して合格した大阪大学医学部医学科を卒業後の1973年(昭和48年)、
「失敗したら自殺してその保険金で返す」と説得して
銀行から金を借り、
「徳田病院」を大阪府松原市に設置し、
続く1975年(昭和50年)、
医療法人徳洲会を設立した。
24時間救急患者を受け入れる、
患者からの贈り物は一切受け取らない、
差額ベッドの廃止
など、
それまでの医療の常識を打ち破る特異な方針を打ち出して実行し、
全国の医療機関に大きな影響を与えた。
「生命(いのち)だけは平等だ!!」をスローガンに
安心して療育できる環境作りを目指し、
地方自治体や医師会とたびたび対立しながらも、
全国各地に病院や診療所を開設した。

この頃の徳田氏は格好良かった。
まさに「風雲児」現るで、
独特な風貌が革命家を感じさせた。
閉塞的な医療業界に風穴を開けることが期待された。

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徳州会の全国展開を進める一方で
医療制度の改革には政治改革が必要との認識に至り
政治家を志す。
1983年(昭和58年)、1986年(昭和61年)の衆議院総選挙に
続けて落選するも、
1990年(平成2年)、初当選し自由連合を結成する。
1993年、再選。
その後、1994年(平成6年)に自由連合を政党化し、代表に就任。
村山改造内閣では与党入りして沖縄開発政務次官を務めた。
1996年(平成8年)の衆議院選挙で落選したが、
2000年(平成12年)の総選挙で復活を果たし、
2003年(平成15年)の総選挙でも再選された。
2002年(平成14年)、
筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発病。
2004年(平成16年)2月ごろから病状が悪化し、
そのため国会に出席できず、療養していたが、
2005年(平成17年)8月8日の衆議院解散をうけ、
体調回復が十分でないとして政界を引退すると発表した。

後継者として2005年(平成17年)9月11日の衆議院総選挙に
次男の徳田毅氏が立候補、当選。
その背後に組織の動員と資金の流用があった。

かつて「子孫に美田を残さず」と言っていた徳田氏だが、
現実には自分の作り上げた組織を
息子のために私物化しているとしか思えない。

徳田氏は、現在、神奈川県鎌倉市の湘南鎌倉総合病院の特別室で治療を受けながら、
徳洲会の経営を掌握しており、
今もなお最高決定権を握っている。
体が動かない徳田氏は、
50音の文字盤を前に
まばたきで文字を指定し、
それで文章を作って指示を出しているという。

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選挙対策の会議の様子も
モニターで監視し、
指示を出す。
画面の中で、一幹部が会議に欠席していたことを把握し、
叱責したともいう。

何だか悲しい光景だ。

病に倒れたのも、
神様が「お前、休みなさい」と言ってくれているのかもしれないのに、
また、「初心に戻りなさい」と言っているのかもしれないのに、
果たされなかった政治の世界を
息子に託してしまった。

全国66の病院を傘下に収め、
関連会社・施設も多い、
この日本一の医療法人が、
組織ぐるみで選挙に従事し、
しかも選挙違反をしていたという事実の影響は大きく、
各地で職員が離職するなど、
医療に支障が出ている。
来年の研修医採用がゼロになりかねず、
病院の存続さえ危ぶまれている。

弟が満足な医療を受けられなかったとして、
理想的な病院を作ろうと志した徳田氏。
その志が狂ったのは、
やはり政治に関わったからだろう。
徳之島といえば、
現金での票の買収が有名なところ。
金で票が買えるということで
病院の金を投入した。
医療法人の利益は設備の充実などに再投資してこそ生きるのに、
別なことに金を使ってしまった。
それも政治のためであり、
はっきり言えば、当選のためだ。

一代の風雲児までも変節させてしまう政治の魔力

徳州会の幹部の会議で、
執行部の刷新と
徳田氏の退任を検討すべきだとの提案が出た。
別室で会議の様子をモニターしていた徳田氏が現れ、
この提案を覆したという。

今こそ徳田氏は政治から離れ、
初心に帰って理想的な病院の建設をめざすべきなのに、
そのチャンスも失われてしまった。

映画「市民ケーン」の主人公ケーンのつまづきも、
知事選挙に出馬し、
スキャンダルで敗北したことから来ている。

何年か後、徳田氏が亡くなってから
その一代記が映画化されるかもしれないが、
理想に燃える風雲児が
政治によって節を曲げていくあたりを
じっくり描いてもらいたいところだ。





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