中欧旅行記・10 ベルリン  旅行関係

いよいよ、最終目的地・ベルリンへ。

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市内に入ってすぐ目に付くのは、
わずかに残されている壁。
壁画のギャラリーにもなっており、

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日本人の作品もあります。

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大聖堂

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高さ114mの天蓋を持ちます。

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正面入口左右には、
宗教改革者・ルターのレリーフがあります。

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旧博物館
ベルリンの建物は、とにかく巨大です。

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噴水に、私の旅で恒例の虹が出ました。

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大聖堂の近所には、
博物館が集まったところがあり、
世界遺産に指定されています。
前にペルガモン博物館で、
ゼウスの祭壇を見て、
度肝を抜かれた記憶があります。

テレビ塔

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ベルリンの旧市街地の建物は、
景観を保つために、
17世紀に定められた高さ制限(25m)があったのですが、
東ドイツは、制限を無視して、こんな高いものを作りました。

ある場所に行くと、道にこんなものが。

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辿っていくと、

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ここにつながります。

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東西対立の象徴、ベルリンの壁

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1961年8月13日0時、
東ドイツ政府は、
東西ベルリン間68の道全てを遮断し、
有刺鉄線で、最初の「壁」の建設を開始しました。
6時までに東西間の通行はほとんど不可能になり、
午後1時までにほぼ建設が完了し、
2日後には石造りの壁の建設が開始されました。

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東ドイツは当時、
この壁は西側からの軍事的な攻撃を防ぐためのものであると主張しましたが、
これは名目で、
実際には東ドイツ国民が西ベルリンを経由して
西ドイツへ流出するのを防ぐためのものでした。

壁は、後に数度作り変えられ、
1975年に完成した最終期のものは
コンクリートでできており、
壁の総延長は155kmに達しました。

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こうして、ベルリンの壁は、
東西冷戦対立の象徴となり、
引き裂かれた家族の悲劇を生んみます。
壁を突破して西ベルリンに逃れる人も多くありました。

やがて、雪解けが起こり、
1989年になると、
東ヨーロッパ諸国が相次いで民主化されます。
同年5月、
ハンガリー政府がオーストリアとの国境を開放。
ハンガリー経由での亡命に希望を持った
東ドイツ国民が夏期休暇の名目でハンガリーを訪れました。
ハンガリー経由での出国が可能になった以上、
もはやベルリンの壁は有名無実化しつつあり、
11月9日、
東ドイツは、旅行自由化の政令案を作成、
政令の発表は翌日の11月10日の朝を予定していたのですが、
手違いにより国境警備隊への連絡の前に
生放送で記者会見が行われ、
東ドイツ政府のスポークスマンが
「東ドイツ国民はベルリンの壁を含めて、
すべての国境通過点から出国が認められる」
と誤って発表してしまいます。
テレビがこれを報道し、
同日夜、多数の東ベルリン市民が
ベルリンの壁周辺の検問所に多数詰めかけます。
国境警備隊員は市民の暴動と思い込んで
とっさに検問所のゲートを開けてしまい、
壁は意味を失ってしまいます。
日付が変わった11月10日未明、
興奮した東西両ベルリン市民によって
壁が破壊され、
のちに東ドイツによってほぼすべてが撤去されました。
ただし歴史的な意味のある建造物のため、
一部は記念碑として残されています。
ベルリンの壁崩壊により
東西両ドイツの国境は事実上なくなり、
東西ドイツの融合を加速し、
1990年10月3日の
東西ドイツの統一につながります。

その年号が地面の帯には刻まれています。

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しかし、壁の崩壊から既に24年たつとは。
あの頃は永遠に壁が続くかと思えたのに。

壁自体は意外と薄い。
上には、乗り越えにくいように、
蒲鉾型の瓦のようなものが乗っています。

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ここの保存された壁は、
展示場にもなっており、

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ナチスの狂気とユダヤ人弾圧の歴史を教えています。

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主に写真です。

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説得力があります。

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ナチスの台頭。

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反対者への弾圧。

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焚書。

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「本を焼く国は、やがて人を焼くようになる」
と言ったのは、どなたでしたっけ。

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ユダヤ人の烙印。

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それにしても、
こんな目つきの悪い小男に、何故
ドイツ国民は熱狂したのでしょうか。

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まあ、もじゃもじゃ髪の風采のあがらない
太った男を「将軍さま」と呼んで敬愛した隣国の例もありますし。

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若者たちもとりこに。

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身の毛もよだつ大集会。

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トイレはどうしたのでしょう。

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人類の教訓としていきましょう。

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ベルリンは今、建設ラッシュのようです。

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窓から見えるこれは何?

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ユダヤ人犠牲者記念館でした。

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このコンクリート製石碑は、

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全部で2711本あり、

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どこへとも分からず連れて行かれた

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ユダヤ人たちの恐怖と不安を表しているのだとか。

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地下に展示室があります。

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戦勝記念塔

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1864年から1871年までの
3つの戦争に勝利を記念して建てられました。
高さ67mの上に、
金色の勝利の女神ヴィクトリアが。

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シャルロッテンブルク宮殿

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初代プロイセン国王フリードリヒ一世の妃、
ゾフィー・シャルロッテの夏の別荘。

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屋根の上の像は、
風向きによって方向を変えます。

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その他、

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あれこれ建物を見ましたが、

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やはり、ここを見なければ終わりません。

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ブランデンブルク門です。

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ベルリンにはかつて18の市門がありましたが、
現存しているのは、
ブランデンブルク門だけ。

ここにも壁の跡があります。

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古い写真で、このとおり。

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崩壊した壁の上に乗る人々。
このあたりの壁は厚かったようです。

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1788〜91年に、
プロイセン国王の凱旋門として、
アテネの神殿の門を手本にして建てられました。
門の上には、勝利の女神と4頭立ての馬車。

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1806年にプロイセンを破ったナポレオンが
パリに持って行ってしまいましたが、
1814年に返されました。

↓は、元のグランド・ホテル

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ここの窓からマイケル・ジャクソンが子供を見せ、
「幼児虐待」と言われた所です。

テレビ塔の丸い部分に光が当ると
十字架に見えるのは、
「ローマ法皇の復讐だ」という話もあったとか。

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壁があった時代は通れませんでしたが、
今は誰もが通行可能。

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今は自由を謳歌しています。
↓は、足こぎ自転車。
ビールを飲みながらこぐので、
酔いが回るのが早いとか。

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冷戦時代を知らず、

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おどける人たち。

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平和です。

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ゆるキャラ?

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ブランデンブルク門の見納めです。

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翌朝はベルリン空港から出発。

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アムステルダム空港内にはカジノがあります。

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絶好の暇つぶしですが、
あっという間に20ユーロ吸い上げられました。

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空港内のラーメン屋。

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一番安い野菜ラーメンを注文。

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9ユーロ50。(1250円位)味は微妙。

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再び機上の人となって成田まで。

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ずっと天気に恵まれて、
素晴らしい旅が出来ました。
バスによる走行距離は2017q
モロッコの時より長く、
日本列島より長い距離を走ったことになります。

これで中欧旅行記は終わりです。

すぐまたシルクロード旅行記が始まります。





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