『リトル・ブッダ』  映画関係

〔旧作を観る〕

第2弾は、「リトル・ブッダ」

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「ラストエンペラー」(1987)でアカデミー賞を取った後、
「シェリタリング・スカイ」(1990)をへて、
1993年に公開したベルナルド・ベルトリッチの作品。

シアトルに住む9歳の少年ジェシー一家のもとに
ノルブ僧をはじめとする3人のラマ僧が訪ねて来る。
チベット仏教におけるブッダの化身ラマ(活仏)の一人であった
ドルジェ僧の生まれ変わりだというのである。

父親と共にブータンへと旅立ったジェシーは、
カトマンズで己の中にある仏性に目覚め、
ドルジェ僧の生まれ変わりであることを強く意識するようになっていく。

この話と並行して、
ノルブ僧から与えられた絵物語を読むことから
ゴーダマ・シッダールタの物語が描かれる。

王子として何不自由なく暮らしていたシッダールタ(キアヌ・リーブス)は、
外の世界に興味を持つ。
王の計らいで、若い健康な者だけが沿道に並び、
きれいなところしか見れないようにしてあったにもかかわらず、
シッダールタは行列を抜け出して
庶民の生活に触れ、
その生老病死の生きざまを見てしまう。
生きることがどう苦しいのか、
なぜ人は老いるのか、
病気の実相はどうか、
死とはいかなるものかを知ってしまったシッダールタは、
生老病死の呪いの解決のために
王家を離れ、修行の生活に入る・・・

このシッダールタの物語の部分は、
65ミリフィルムを使い、
美しく描かれる。
外の世界を観る行事のシーンは、
ネパールのパダンで撮影されたらしい。

カトマンズでジェシーは、
同様にドルジェ僧の生まれ変わり候補である少年と少女に出会う。
そして、三人は共に、
シッダールタが悟りを開いてブッダになる瞬間に立ち合うことになる。

ブータンに行った三人は、
最終審査を通り、
三人共にドルジェ僧の生まれ変わりだと認定される。
ノルブ僧の説明は、
「先例はあるが、
別々に生まれ変わったのだ。
肉体と言葉と精神が。
三者はお互いに必要としている。
共存しているんだよ。
世界と宇宙の関係のように。
最も大切なことは、
他者に対して憐れみを持つことだ。
自身を犠牲にして、
後生に知識を伝授しろ。
ブッダのように」

というものだった。

三人を活仏として認定する儀式は
秘儀に属するものだろうが、
映画はその描写をする。
そして、その最中に、
ノルブ僧が亡くなったことが伝えられる。
深い瞑想に入って、そのまま息絶えたのだ。
このノルブ僧の亡くなるあたりの描写は壮絶だ。

亡くなったノルブ僧は三人の前に現れ、
最後の言葉を語る。
「形は空(くう)で、
空は形である。
目も耳も鼻も
舌も肉体も心も
色も音も
匂いも味も感触も
存在しない」


そして、最後に仏教の奥義が語られる。
「老いもなく、死もない。
老いも死の終わりもない。
苦難も
苦難の原因も終わりもない。
道も知恵も
得るものもない。
得るものもなく、
よって菩薩は
邪念を持たず、
完全なる悟りの中にある。
邪念がないゆえ 恐怖もない。
邪念を超越したもの──
それが涅槃である」


最後、ノルブ僧の遺骨は三人に分けれられ、
一人はシアトルの海に流し、
一人は風船に付けて空に飛ばし、
一人はシッダールタが悟りを開いた木から撒く。


再見する気になったのは、
チベット旅行で
チベット仏教に触れたからだが、
公開当時劇場で観た時には感じられなかった奥行きが
随所に響いた。
やはりこういう映画は、
観る側の知識や経験がものを言うことになります。




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