神々の山嶺  書籍関係

〔書籍紹介〕

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夢枕獏という作家は、「陰陽師」の印象が強く、
視野になかったのだが、
こんなに壮大な作品を書く人だったとは。
面白い。
というより、素晴らしい
読み出しから止まらず、時間を忘れた

かつてはクライマーであったカメラマン・深町は、
昔の登山仲間と計画して挑戦したエヴェレスト登山に失敗し、
仲間の二人を失った帰路、
一人残ったカトマンドゥで立ち寄った登山用具店で、
古いカメラを買い求める。
調べてみると、
それは1924年、ジョージ・マロリーがエレベストに登った時に持参したカメラだった。
マロリーはついに帰ってこず、
その消息は不明で、
マロリーが頂上まで登った後で遭難したのか、
登山途中で遭難したのかは不明のままだ。
エレベストが征服されたのは、
1953年、イギリス隊のヒラリーとシェルパのテンジンとされているが、
もしカメラの中に入っていたはずのフィルムが発見され、
現像して、
エヴェレスト頂上に立つヒラリーの姿が写っていたら、
世界の登山史が一変してしまう。

カメラを盗まれた深町はカトマンドゥの市内を探し求めるが、
その途中で、ピカール・サン(毒蛇)という男と出会う。
その男こそ、
伝説のクライマー・羽生丈二(はぶじょうじ)であると確信した深町は、
羽生の生涯を探り、
その生き方に引かれ、
再びネパールに旅立つ・・・。

ジョージ・マロリーというのは、
「そこに山があるからだ」という言葉を残した、有名な登山家。
この小説はマロリーのカメラという謎を追いながら、
伝説のクライマーの人生を辿り、
登山という行為、中でも世界の最高峰に挑戦する羽生の姿を通して、
人間にとって生きるとは何かを問う壮大な山岳小説だ。
1700枚の大作。
以下、青字は本文からの引用。

 どうせ、生きていく。
 生きてゆくことはわかっている。
 そのことがわかっているのなら、死ぬまでの時間は、何かで埋めなければならない。どうせ、何かでは、埋めることになる。
 それがわかっているのなら───
 どうせその時間を埋めるのなら、たどりつけないかもしれない納得、何だかはわからないがあるかもしれない答え、踏めないかもしれない頂に向かって足を踏み出してゆくこと、そのようなもので埋めるのが、自分のやり方だろう。
 蒼い天の虚空に吹きさらしになっている、点───
 この地上にただひとつしかない場所。
 地の頂。
 そこにこだわりたい。

 羽生丈二という男が十代の頃に山と出会い、そして、山にのめりこんだ。世間的な見方から言えば、山で身を持ち崩したと、そういうことになるのかもしれない。

 羽生には、山しかなかった。

 ああ──
 おれにはわかる。
 深町はそう思った。
 おれにも、そういう時期は、間違いなくあったのだ。
 山にのめりこみ、それしかないと思い込んだ時期が。
 きりきりと山に登った。すがるものが山しかなかった。噛みつくようにして山に登った。
 学生のうちは、それでいい。しかし、卒業して社会に出れば、いつまで山に登ってるんだという声が周囲からおこる。山と仕事とどっちが大切なんだ。いいかげんに大人になれ。山にゆくのなら、仕事を持って、休みの日にゆけばいいではないか──と。
 そうではない。
 そうではない。
 仕事をして、金をもらって、休みの日に山へゆく。
 おれがやりたい山はそういう山ではなかった。

 多くの山屋が、そういうことから脱落てゆく。
 家庭を持ち、歳をとり、体力が落ちたといっては、そういう場所へゆくための切符をポケットから出して、リタイアしてゆく。


このような描写に胸をつかれる。
人間の中で、
命を懸けてもいい
と思えるものに出会うのは、ほんの一握りの人だろう。
その幸運な人の中でも、
ほんのわずかな、更に幸運な人が、
それをなしとげる

最後に羽生は人類未踏の
「エヴェレスト南西壁冬期無酸素単独登頂」に挑戦するのだが、
このあたりの描写は息がつまるよう。
寒さ、酸素の薄さ、孤独。
事務局長は、最後の一つは何とかなっても、
前の二つは、まず無理だ。
第一、高いところが苦手だ。

 人には権利がある。
 何を奪われようが、何を失おうが、最後に唯一残された権利だ。
 それは、自分の選んだ生き方に、生命をかけてもいいという権利である。


登山や探検というのは、
人類が持っている未知の憧れの体現であることが、
次のような文章にもうかがえた。

 しかし、忘れてならないのは、1800年代の後半から、1900年代の初めにかけて、イギリス──というよりは、ヨーロッパを中心にして、世界全体に流れていた時代的な気運であろう。
 その頃の世界は、地球表面の、地図上の空白部分を埋め、さらには、地上の世界をヨーロッパ、エメリカ、ロシア、日本等の列強で、区画しようとする動きの中にあった。
(中略)
 どの国が、一番最初に世界の頂上を踏むか── 
 この闘いは、1953年、ヒラリーとテンジンによってエヴェレストの頂上が踏まれてからは、アメリカとソビエトという二大大国による、どちらが先に月に人間を送り込むかという競争に移っていったのではないか、と深町は思っている。
 アポロ計画というのは、あれは、大がかりな登山であったのだと、深町は理解している。
 月は、地球に残された最後の最高峰であったのだ。


どうも人類は、未知の世界がなくなり、
先が見えてしまったことから、
人類全体の大きな夢を忘れてしまったような気がする。
新大陸への憧れを持った時代は、
人類にとって、夢を抱いた幸福な時代だったのだろう。
今、人類の知らない辺境など、
探しても見つからない。

登山家の姿に託して、
夢を追い求める人間の姿を描いて感動的な小説だった。

舞台はネパール
昨年、ネパールに行っておいてよかった。

カトマンドゥのダルバール広場の写真は、↓

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20090531/archive
          
パタンは、↓
http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20090712/archive
                                        
事務局長定年後の最初の旅行はチベットにしようかと思い始めている。





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