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映画『サウンド・オブ・メタル:聞こえるということ』  映画関係

[映画紹介]

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突然聴覚を失ってしまった音楽家の苦悩を描く。

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ルーベンは女性ボーカルのルーと共に、
ヘビメタバンドで演奏するドラマーだった。
しかし、ステージでの大音量がたたったのか、
聴覚に異変が起こり、音が聞こえなくなってしまう。
耳の機能が完全に失われたため、
あとは、インプラントを埋め込んで、
脳に直接音を伝えて聴覚を回復するしかなく、
しかし、手術代はかなりの高額だという。

自暴自棄になるルーベンを救うために、
ルーは、聴覚障害者の支援施設に連れていく。
そこは、治療はせず、心のケアだけをする所だった。
反発するルーベンに決断させるために、
ルーはルーベンを置き去りにしてしまう。

仕方なく施設で手話を学び、
子どもたちと交流して役割を果たすうち、
ルーベンは施設になくてはならない人材となっていくが、
秘かに計略をめぐらして金を作り、
手術を受けようとする・・・

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聴覚障害者を扱った映画は、
「奇跡の人」や「名もなく貧しく美しく」「息子」「聲の形」など、
多くあるが、
主人公が音楽を生業とするミュージシャンであることがミソ。
音楽は生活であり、生きがいであり、
仕事であり、収入の手段であり、
その全てを失う、
つまり、人生そのものを失うことになってしまうからだ。

舞台は聴覚障害者の支援施設。
キリスト教会の支援でつくられている施設だが、
信者でなくとも受け入れるのは、
「困っている人を助ける」という思想に基づくのだという。
また、「耳が聞こえないことは障害じゃない。
治すべきものではないと思っている」

とさえ施設長は言う。
「ここで解決すべき問題は、
ここ(頭)であり、ここ(耳)じゃない」
と。
映画はその施設でのルーベンの生活と、
心のケアだけでは満足出来ないルーベンが、
本格的な聴覚の回復を願って、
施設を抜け出して手術を受ける経過を描く。

視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の五感
どれを失っても大変だが、
やはり視覚を失うのが一番大変で、
次が聴覚だろう。
なにしろ、会話での意思疎通が出来ないだけでなく、
音楽という人生の大きな楽しみも奪われてしまうからだ。
しかも、ルーベンは音楽の送り手そのものだ。
その苦しみは倍加される。

ただ、手術後、ルーベンが得た音は、
「サウンド・オブ・メタル」という金属音で、
それで音楽活動は無理というものだろう。
また、装置を通じて送られて来る音は、
やはり自然音と比べて心の癒しには遠い。

そういった状況の中、
最後にルーベンが至った心境とは・・・

施設の所長は、手術を受けたルーベンに問う。

「君に訊くが、毎朝、ここで坐っていた時、
少しは静かな時間を過ごせたのか。
君の言うとおり、世界はどんどん進んでいくし、
残酷な場所にもなりうる。
でも、私にとっては、
あの静寂な時間が、あの場所が、あれこそ
『神の王国』だったんだ。
そして、その場所は決して君を見捨てない」


この「神の王国」という言葉は、
吹き替え版には出て来るが、
字幕版には出てこない。
「私にとっては、その静寂こそ、
心の平穏を得られる場所だ」
と字幕版は語る。
英語版セリフでははっきりと
「kingdom of God」と言っているのだが。
字幕制作者は、時々、こういう意訳をすることがある。

映画の背景には、
深い宗教的思索があり、
「音」のない「静寂」の中にこそ聞こえて来るものがある、
失って初めて分かることがある、という深い内容を含む。
宗教的になるのを避けたのかもしれないが、
勝手な変更は字幕制作者の領分を越えている。

音のない世界。
それを表現する音響設計が素晴らしい。
客観的な音と、ルーベンの耳に聞こえる音を
交錯させるその絶妙な手腕。
そして、無音の時間
音がないという最大限の効果。
是非、ヘッドホンで視聴することをお勧めする。

監督は、ダリウス・マーダー
ルーベン役のリズ・アーメッドの演技が素晴らしい。

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施設所長役のポール・レイシーの渋い演技も秀逸。

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この二人は、今度のアカデミー賞で、
主演男優賞、助演男優賞にそれぞれノミネート。
他に作品賞、オリジナル脚本賞、編集賞、音響賞にもノミネート。

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/hxrqsMpWnLY

Amazonプライムで配信中。

タグ: 映画

ラジオ番組『今週のベスト・テン』  音楽関係

娘に「また、昔話ですか」と笑われそうですが、
昔、ラジオで「今週のベスト・テン」という番組があったのを御存知だろうか。
1957年1月にラジオ東京(現TBS)で放送を開始した、
洋楽ヒットチャート番組

その前に文化放送で1955年10月から始まった
「ユア・ヒット・パレード」が日本におけるチャート番組の草分けとされているが、
それから遅れること1年あまり、
番組開始当初は水曜日の日中(午後2時から)の放送で、
後、月曜夜7時〜7時30分になった。

ハリー・ジェームスの「トランペット・ブールス」に乗せて始まる番組は、
当時中学生で、
ようやく日本の歌謡曲から洋楽に守備範囲を広げた私には、
その時のヒット曲が必ず聴ける番組で、
毎週、ラジオにかじりつくようにして聴いた。

「トランペット・ブルース」を聴きたい方は、↓をクリック。

https://youtu.be/12xTkNsd7KQ

(今でも、この曲を聴くと、当時のことが蘇ります。)

のみならず、毎週のベスト20を付けておいて、眺めていた。
折れ線グラフまで付けた。
修学旅行で聞けなかった時は、
往復ハガキを番組に送って、
その集のベスト20を記入して返送してもらうほどのファンぶりだった。

「今週のベスト・テン」は1969年に発展的解消し、
新番組「ホリデイ・イン・ポップス」に内包される形で、
新たに「TBSトップ10」として放送。
1970年10月に「ホリデイ・イン・ポップス」終了を機に、
チャートの発表は「全国ポップスホットテン」のタイトルで
再度独立番組となった。

ということを見ると、
洋楽をチャート形式で扱う番組に対する要望は
聴取者から強かったものと見える。

この番組名での放送は1972年3月まで続き、
1972年4月から、
邦楽(歌謡曲)チャートと洋楽(ポピュラー)チャートの発表が
一つの番組に内包され、「TBS今週のベストテン」としてリニューアル。
歌謡曲ベストテンとポピュラーベストテンの
それぞれのチャートを交互に発表する形であった。
1975年4月より歌謡曲とポピュラーは分割され、
ポピュラーベストテンは「TBS今週のポップスベストテン」と
番組名を改めた上で独立番組となり、
1984年3月まで続いた。

このような頻繁な番組改題・独立に際しても、
ランキングに関する記録集計は「今週のベスト・テン」時代から
連続・通算しての扱いとなっており、
後に、年間ベストテンが発表されている。
ランキングの決定方法は
週間ランキングの1位を20点、以下1点刻みで20位を1点として集計。

年間ランキング第1位獲得曲は、次のとおり。

 『今週のベスト・テン』時代
1956年 エデンの東(ヴィクター・ヤング楽団)
1957年 エデンの東( 〃 )2年連続年間第1位
1958年 真夜中のブルース(ベルト・ケンプフェルト楽団)
1959年 小さな花(可愛い花)(ボブ・クロスビーとボブ・キャッツ/クリス・バーバーズ・ジャズ・バンド
1960年 太陽がいっぱい(フィルム・シンフォニック楽団)
1961年 太陽がいっぱい( 〃 )2年連続年間第1位

私が聴き始めたのはこの頃で、
毎週1位が「太陽がいっぱい」なのは、妙に感じた。
レコード売り上げの資料などない時代だったので、
ハガキ投票で決めたようだ。
組織票があったのか?
ちなみに、ブラザーズ・フォアの「グリーンフィールズ」
毎週不動の2位を占めていた。
「ベン・ハー序曲」がベストテンに入っていたりで、
今考えると不思議な気がする。

「太陽がいっぱい」の音楽と映像を見たい方は、↓をクリック。

https://youtu.be/OaCaxiQcMDU?t=194

「グリーンフィールズ」を聴きたい方は、↓をクリック。

https://youtu.be/0Q1IF8To88I

1962年 禁じられた遊び(ナルシソ・イエペス/ヴィセンテ・ゴメス)
1963年 ヘイ・ポーラ(ポール&ポーラ)
1964年 ロシアより愛をこめて(マット・モンロー)
1965年 ゴールドフィンガー(シャーリー・バッシー)
1966年 夜のストレンジャー(フランク・シナトラ)
1967年 花のサンフランシスコ(スコット・マッケンジー)
1968年 サウンド・オブ・サイレンス(サイモン&ガーファンクル)

 『ホリデイ・イン・ポップス』/「TBSトップ40」時代
1969年 ラヴ・チャイルド(ダイアナ・ロス&シュープリームス)

 『全国ポップスホットテン』時代
1970年 コンドルは飛んでいく(サイモン&ガーファンクル)
1971年 恋のかけひき(ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ)

 『TBS今週のベストテン』/「TBS今週のポピュラーベストテン」時代
1972年 メタル・グゥルー( T. レックス)
1973年 イエスタデイ・ワンス・モア(カーペンターズ)
1974年 ジェット(ポール・マッカートニー&ウイングス)

 『TBS今週のポップスベストテン』時代
1975年 キラー・クイーン(クイーン)
1976年 ボヘミアン・ラプソディ(クイーン)
1977年 ハードラック・ウーマン(キッス)
1978年 ストレンジャー(ビリー・ジョエル)
1979年 ブレックファスト・イン・アメリカ(スーパートランプ)
1980年
ガラスのニューヨーク(ビリー・ジョエル)
1981年 愛のコリーダ(クインシー・ジョーンズ)
1982年 エボニー・アンド・アイボリー( ポール・マッカートニー&スティーヴィー・ワンダー
1983年 フラッシュダンス〜ホワット・ア・フィーリング(アイリーン・キャラ)
1984年 フットルース(ケニー・ロギンス)

ああ、あの曲は、そんなに前だったか、
と懐かしい想いにされませんか?


短編集「昨日みた夢」「日本橋本石町やさぐれ長屋」  書籍関係

実は、宇江佐真理という作家、初読み。
江戸の市井を描く作家は沢山いるので、
手が回らなかったのだ。
親戚筋が、この人の文庫本を沢山送ってくれたので、手に取った。
これが、なかなかいい。
物語の設定、人物造形、
起こる出来事、描写、どれを取っても一流。

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「昨日みた夢」は、
「口入れ屋おふく」と副題がついているように、
口入れ屋(人材斡旋業)の娘のおふく・25歳が
女中として派遣された相手先で見た事柄を描く。

おふくは、勇次という男と結婚していたが、
勇次が勤め先の金を着服して出奔、
その結果、離縁させられ、実家に出戻っていた。
おふくは、勇次への想いが断ち切れないでおり、
出奔の真相も知りたがったが、誰も教えてくれない。
口入れ屋では、斡旋した女中が途中で辞めてしまったり、
短期間だけのため応ずる人がいない時、
身軽なおふくが臨時に派遣されていた。
おふくも、父と双子の伯父が経営する
口入れ屋「きまり屋」への恩返しのつもりで応じていた。

派遣先も様々で、
人使いが荒く、金にしわい青物屋の
三日で逃げ出した女中の代わり。(慶長笹書大判
旦那と番頭が伊勢参りにでかける間、
お内儀が実家に帰るため、
隠居の世話で向かった箸屋。(粒々辛苦
お産で実家に戻った女房に代わり、
台所と身の回りの世話をするために訪れた座頭の家。(座頭の気持ち
母親が怪我をしたため、女中の手が必要になった
町医者の家。(名医
料理茶屋の内儀が病気で実家に帰ったため、
その身の回りの世話で行った我が儘娘の実家。(三日月
八丁堀の役人の家に行って見た、
女中あがりで妻となった女性への差別と精神的虐待。(昨日みた夢
提灯屋の近江屋の主人が亡くなったため、
元吉原勤めの内儀が微妙な立場に立たされる。
というのは分家の弟が店を継ぐと言い出したからだ。
主人は妻に一服盛られたという噂がある。
おふくは、頼まれて、内儀の家で働き、
その真相を探ろうとする。(秋の朝顔

これらの一連の話に、
「きまり屋」のおふくの父と双子の伯父の暮らし、
おふくの従兄弟の辰蔵の恋、
公事宿の主人で岡っ引きの権蔵などがからむ。
更に、別れた勇次が登場し、
金を着服した事情とその後の処置も明らかになる。
そうした経過を通じて、
おふくの勇次への未練も消えていく。

家政婦の派遣先での見聞を描く
「家政婦は見た」の江戸版。


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日本橋本石町にある弥三郎店(やさぶろうだな)に住む
住人たちの哀歓を描く。
口の悪い人は「やさぐれ長屋」と呼ぶ、
最下層の人々の暮らし。
特定の主人公はいない群像ドラマ。

夕刻の時を告げる鐘に聞き入る大工の鉄五郎と
たばこ屋で店番をする出戻り娘のおやすとの恋。(時の鐘
痴呆の始まった母親の介護の生活をするおすぎは、
隣家の男の勘違いで結婚すると思われ、
あらぬ疑いをかけられる。(みそはぎ
かざり職人の夫が外に女を作り、
胸の中に穴があいたおときが、
働く居酒屋の常連の番頭に
一緒に大阪に行こうと誘われ、
子どもを捨てて出発する直前に救われる話。(青物茹でて、お魚焼いて
ねずみが大嫌いなおやすの家にねずみが出た。
隣に住むようになった六助夫婦が手助けしてくれるが・・・。(嫁が君
芝居茶屋の跡取り息子がおすがの家に居候することになった。
実家の芝居茶屋の跡目争いに嫌気がさしたのだという。
父親も訪ねてくるが、らちがあかない。
長屋の者が総出で、息子の説得をするが・・・。(葺屋町の旦那
弥三郎店に店立て騒動が起こる。
隣家の医者に地所を売ったため、
全員出て行ってくれというのだ。
住民は戦々恐々として、移転先を考えるが・・・。(店立て騒動

二つの短編集に共通するのは、
江戸の市井の人々の生き生きとした息づかいだ。
夫婦の関係、親子の関係、近所との付き合い・・・
そうした生活の一つ一つの哀歓が見事に描かれる。
登場人物の一人一人が物語の中から立ち上がり、
いとおしく思える。
給金も少なく、蓄えもなく、
まさに、その日暮らしだが、
その生活には歓びがあふれている。

そうした人間像に触れることは、
読む人の心に豊かなものを残してくれる。
まさに、時代小説を読む歓びを与えてくれる好短編集。

著者の宇江佐真理は、
1949年生まれ。
短大卒業後、OL生活を経て、主婦となり、
1995年、「幻の声」でオール讀物新人賞を受賞してデビュー。
沢山のシリーズものと単発ものを書いたが、
中では、デビュー作を含む連作短編集「幻の声髪結い伊三次捕物余話」が
最も有名で、直木賞候補にもなり、
テレビドラマ化もされている。
2014年、著書の中で
乳癌が全身に転移していることを告白。
翌2015年11月7日、死去。
66歳没。
惜しい作家を亡くしたものだ。


映画『ノマドランド』  映画関係

[映画紹介]

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ノマドとは、遊牧民のこと。
特に、アメリカの車上生活で転々とする人々を指す。

ネバダ州のエンパイアという町で暮らしていた              
61歳の女性ファーンは、
リーマンショックによる企業の倒産で
住み慣れた家を失ってしまう。
家どころか、
企業城下町だったエンパイアは、
工場も放置され、社宅は閉鎖され、
人は離散し、
まるごと一つの町が消滅してしまったのだ。

ファーンはキャンピングカーに荷物を積み込み、
亡き夫の思い出の品を守って車上生活をしながら
日雇い的な労働の現場を渡り歩く。
いわばノマド初心者だ。
やがて、ノマドたちの年に一度の集会があることを知ったファーンは、
ほとんどが高齢者のノマドたちと交流し、
生活の知恵を得ていく・・・

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特別な出来事があるわけではなく、
ドラマチックな事件が起こるわけでもない。
回想などという安易な方法は取らず、
画面は、ノマドたちの生活を写し出していく。
まるでドキュメンタリーかと一瞬思ってしまうほどだ。
そのノマドたちの演技に、
うまい役者たちを揃えたものだ、
アメリカ演劇界の裾野は広いな、
と思っていたら、
エンドクレジットで仰天した。
ほんのわずかな俳優
(ファーンに想いを寄せるボブや
 姉や連れ合いたち)
を除き、
ほとんどのノマドたちが実名で登場しているのだ。
ドキュメンタリーかと思ったわけが分かった。
よくもまあ、監督はノマドたちから
あんな演技を引き出したものだ。
それだけでも感心する。
加えて、フランシス・マトドーマン
本物のノマドに混じって、
何の違和感も感じさせない、
その演技力にも感嘆する。

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ファーンは自由を得たくてノマドになったわけではない。
かつて愛した夫と暮らした土地があったのに、
もうそこでは生きていけずに、旅に出た。
一年を経て、
元のエンパイアに戻って、
その死んだ町と別れを告げることで、
映画は終幕を迎える。
ファーンは、
エンパイアの町での夫が生きた証、
というようなことを言うが、
もうそこには夫の痕跡などどこにもないのを確認したかのように。

ファーンも企業の倒産に遭わなければ、
夫が病死しなければ、
こんな生活に入ることもなかっただろう。
「ホームレスではなくハウスレス」
というセリフが出て来るが、
車が新しいハウスであり、
一人だからホームはない。
やはりホームレスが正しい。

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映画の中で、Amazonがクリスマスの繁忙期だけ
ノマドの人たちを雇う形態があることも驚きだった。
彼らのために駐車場と契約して、
車上生活者の環境を整備するというのだから、おそれいる。
ファーンは、まずアマゾンで働き、
一年後、またアマゾンに帰って来る。

また、車が故障して、修理するよりも新車を買った方がいい、
と言われても、ファーンは断固拒否する。
自分の生活が出来るように改造しているから、
この車でなければ駄目だというのだ。
このあたり、ファーンは徹底的に頑固である。

それにしても、
映画を観ている間、
強く寂寥感がつきまとうのは辛かった。
それはファーンが立ち向かった「孤独」だ。
「老人の仕事は孤独に耐えることである」
という言葉をどこかで聞いたが、
ファーンは同居を勧める姉の言葉も、
男友達の「君と一緒にいると楽しい。一緒に住まないか」
という言葉も拒絶して、
孤独の道を選ぶ。
その果てに待っているものは、
誰にも看取られない野垂れ死にであったとしても。

そして、映画の間、
「こんな生き方が自分に出来るか」
という問い掛けが向けられる。
もちろん、出来ない、という答が返って来る。
やはり、住む家があり、
取り巻く環境があるということの幸福をかみしめる。
その選択は誰にも非難されるべきなのではない。
普通の暮らしこそ、幸せの基礎だ。
だが一方で、
ノマドのような暮らしを選択した人たちもいる、という事実
打ちのめされるのだ。
いいとか悪いとかではなく、
その事実そのものに。

つまり、この映画は、
人間の生きる意味とは何なのか、
幸福とは何なのか

という本質的なテーマを観る者に突きつけて来るのだ。

ジェシカ・ブルーダーのノンフィクション
「ノマド:漂流する高齢労働者たち」を原作に、
オスカー女優フランシス・マクドーマンドが映画化権を買い取り、
「ザ・ライダー」で、中西部に生きる現代のカウボーイの姿を描いた
中国人女性監督クロエ・ジャオを起用して作り上げた作品。
フランシス・マクドーマンドの作品選択の炯眼に感服する。

第77回ベネチア国際映画祭コンペティション部門で金獅子賞を獲得。
今回のアカデミー賞作品賞の最有力とされている。

5段階評価の「4. 5」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/89a0cFJypww

拡大公開中。


タグ: 映画




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