冒頭記事・旅行記インデックス  旅行関係

旅行記のインデックスは、↓こちら。(2012年6月以降のもののみ)

ヨーロッパ編
アメリカ編
アジア編
アフリカ・中東・南米編
日本編


小説『チームV』  書籍関係

[書籍紹介]

クリックすると元のサイズで表示します

「チーム」「ヒート」「チームU」と続く、
堂場瞬一の駅伝・マラソン小説第4作。
「チームU」の最後に参加したはずの
五輪記念マラソンの結果は全く出てこない。
どうも、なかったことにしてしまったらしい。

「チーム」の学連選抜チームの時から、
既に17年が経過。
35歳の山城悟はとうの昔に引退し、
故郷の瀬戸内海の大崎上島で、
レモン農家を営む実家の手伝いをし、
世捨て人のような生活をしている。

しかし、走るのをやめたわけではなく、
毎日20キロ走って、体型は変わっていない。

そんな山城に、個人コーチの話が舞い込む。
東京オリッピックのマラソンでメダルを狙えるランナー、
日向誠が極度のスランプに陥っているのだ。
初マラソン歴代2位の成績を残し、
(初マラソン1位の最高記録は山城)
次の北海道マラソンでも歴代2位の成績で優勝した後、
次の福岡マラソンでは16位、
続く東京マラソンでは途中棄権。
フォームは安定しており、
技術的には何の問題もないのに、自信を失っている。

所属チームの監督広瀬(箱根駅伝で浦とトップ争いを演じた男)は、
自分の指導に限界を感じ、
「特S選手の能力をさらに高めるためには、
特Sのコーチが必要なんだ。
だからお前に頼んでる」
と、山城に個人コーチを依頼する。

徹底的な個人主義者の山城が受けるはずがなく、
コーチの経験も手法もないと断り続けるが、
今は城南大の監督として、駅伝3連勝中の策士・浦が
様々な手を使って、引き受けるように仕向ける。
決定打は学連選抜チームの監督だった吉池で、
その遺言ともいえる手紙には、
ただひと言「やれ」と書いてあった。

山城は日向のコーチを引き受け、
自分の島に引き取り、指導するが、
コーチ経験のない山城も手さぐりだ。
反発する日向。
ついに島を脱出するが、
臨んだMGCでは惨敗する。
再び山城のコーチに従うが、
山城は、日向の不振に、ある過去の出来事があると感じていた。
その原因とは・・・。
そして、東京オリンピックの選手になる最後の関門、
福岡マラソンに出場した日向は、
ある事態に驚く・・・

と、主役は一貫して山城で、
それを浦が助演する。
福岡マラソン当日、
浦や門脇、朝倉といった学連選抜チームが集結するのも懐かしい。

浦が山城の義弟に言う言葉が意味深い。

「もしかしたら山城は、
とんでもない人格者なんじゃないかな」
「あいつを見ると、面倒を見てやりたくなる・・・」
「性格も悪い、人づきあいも悪い、
でも周りの人はどうしても放っておけない──
そいう人もいるんじゃないかな」


山城の中にも次第に変化が見られるようになる。
コーチをしていた山城が、
日向がある時点に到達した時の述懐。

こういうことなのか──
山城は初めての感情に戸惑っていた。
浦が監督を続けている気持ちが少しだけ理解できた。
人に教えること、強くすること。
自分には一生関係ないだろうと思っていたのだが、
一人の若い選手が日に日に強くなっていく姿を目の当たりにするのは・・・
感動したと言っていい。
自分には、コーチなど絶対にできないだろうと思っていたからかもしれないが。
俺にもまだ、可能性があるということか。
一生走ることから離れられないなら、
自分が走る以外にも、
やれることがあるのかもしれない。
教わったのは俺の方だぞ、日向。


そして、ついに山城は、
福岡国際マラソンの当日、次の言葉を吐く。

「俺たちはチームだからな」

そして、次の記述もある。

山城は初めて、人のために走る意味を見出していた。

そして、最後は、こう言うのだ。

「襷はあいつに渡した。
いずれあいつも、誰かに襷を渡す。
それが、俺たちが生きている世界なんだ」


男を描く駅伝・マラソン小説。
自分には関係のない世界だが、
感動は深い。

なお、シリーズの紹介ブログは、それぞれ、↓をクリック。

「チーム」

「ヒート」

「チームU」


映画「靴ひも」  

[映画紹介]

クリックすると元のサイズで表示します

イスラエル映画
ヘブライ語でセリフが語られる。

ルーベンは従業員が自分を含めて二人という
小さな自動車整備工場を営んでいるが、
彼に一本の電話が入る。
30数年前に別れた元妻が事故で亡くなったというのだ。
葬儀にかけつけたルーベンは、
一人残された息子のガディと再会する。
38歳のガディは発達障害で、
普通の就職は出来ない、自称音楽家。
施設が空くまでの間、
ルーベンが引き取ることになる。
この障害者独特のこだわりの数々に戸惑うルーベンだが、
次第に二人の間に絆が生まれ始める。

クリックすると元のサイズで表示します

ルーベンには、罪意識がある。
生まれたガディが障害児だと分かった途端に、
酒に溺れ、家に帰ることが遅くなり、
ついには、妻と息子を棄てたのだ。
もはや中年になった息子の行く末を案ずることは、
自分の罪滅ぼしになると考えているようなところがあり、
少しでも良い施設に入れるように探しまくる。

そんなルーベンに末期の腎不全が発見された。
透析をしていては仕事に差し支えるし、
根治するには腎臓移植しかない。
提供を申し出る人の血液型は合わず、
利己主義者の弟からは、中国人の臓器を買えと言われる、
最終的にガディが提供を申し出るが、
「36年も無視してきた息子から
臓器なんかもらえない」
とルーベンは拒む。
その上、「被後見人は臓器提供ができない」という
法律の壁が立ちふさがる・・・

クリックすると元のサイズで表示します

35年も離ればなれに暮らした息子が
突然生活の中に侵入して来る。
その戸惑いは想像を越えるものだろう。
その上、かつて棄てたという罪意識に責めさいなまれる。
その父親像をドヴ・グリックマンが魅力的に演ずる。
本当にうまい。

クリックすると元のサイズで表示します

ガディを演ずるのは、ネヴォ・キムヒで、
生まれつきの障害を辛く思うのでもなく、
悲しむのでもなく、
受け入れて奔放に生きる姿を見事に演ずる。
彼にとっては、自分は
「特別な支援を必要としている人」というだけなのだ。
同じ冗談を口にし、
女性を見ると「恋人いる?」
と口説く明るさだ。

この二人に、ケースワーカーの女性や
近所の食堂のおかみなどが彩りを添える。

題名の「靴ひも」は、
ルーベンが審査官の前で、
靴ひもを結べるかどうかを試される行為を言う。
3回出て来て、3回とも違う結果を生む。

クリックすると元のサイズで表示します

障害者と離婚と臓器提供と、
かなり深刻な話だが、
終始、明るく、ユーモラスに描かれる。
このあたりが、まさに手練で、
監督はヤコブ・ゴールドヴァッサー。
自分自身も障害のある息子の父だ。
イスラエルで報道された
実在の父子の臓器移植にまつわるエピソードを基に描いた。

2018年イスラエル・アカデミー賞を席巻し、
ドヴ・グリックマンは助演男優賞を獲得した。

悲しい話なのだが、
「読後感」はすこぶる良く、
心が暖められる。

5段階評価の「4.5」

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/jTJnngIBEn8

渋谷のシアター・イメージフォーラムで上映中。


GO TO トラベルB 葛城北の丸・その2  旅行関係

さわやかに朝が来て、

クリックすると元のサイズで表示します

朝の露天風呂は最高。
結局、3つのお風呂を全て制覇。

またも長い廊下を通って、

クリックすると元のサイズで表示します

朝のレストランへ。

クリックすると元のサイズで表示します

広い庭が見渡せます。

クリックすると元のサイズで表示します

朝食は通常はビュッフェですが、
今のご時世なので、
このような三段重ねの容器に入った、

クリックすると元のサイズで表示します

和食の定食。

クリックすると元のサイズで表示します

日本の朝ご飯で、おいしくて、
三杯もお代わりしてしまいました。

おや、これは?

クリックすると元のサイズで表示します

スウェーデン製の芝刈り機

クリックすると元のサイズで表示します

センサーが付いていて、
庭の端で反転します。
夜中もライトをつけて働いていました。

クリックすると元のサイズで表示します

朝食の後は、バスの出発まで、庭を探検

クリックすると元のサイズで表示します

これは貸し傘。

クリックすると元のサイズで表示します

情緒ある番傘もあります。

クリックすると元のサイズで表示します

広大な庭を散策。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

正面の建物が、朝食をいただいたレストラン。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

プールもあります。(夏限定)

クリックすると元のサイズで表示します

更に奥に行くと、

クリックすると元のサイズで表示します

こんな標識が。

クリックすると元のサイズで表示します

残念ながら今はそうではありませんが、
花の季節には、花が咲き乱れます。

クリックすると元のサイズで表示します

下って行くと、

クリックすると元のサイズで表示します

吊り橋があります。

クリックすると元のサイズで表示します

かなり揺れます。

クリックすると元のサイズで表示します

橋の中央の景観。

クリックすると元のサイズで表示します

「むささし橋」というのだそうですが、
読めませんし、書けません。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

定員は10名。

クリックすると元のサイズで表示します

このあたりは、「花木園」と名前がついているくらいですから、

クリックすると元のサイズで表示します

春には、つつじが咲き乱れるのでしょう。

クリックすると元のサイズで表示します


この離れは、

クリックすると元のサイズで表示します

ヤマハの中興の祖の実家を移築した迎賓館。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

元の庭に戻って、
これが私たち一家が泊まった部屋を庭から見たところ。

クリックすると元のサイズで表示します

これは、昨夜のオーディオルームの建物。

クリックすると元のサイズで表示します

これも、古民家を移築したものです。

クリックすると元のサイズで表示します

バスの出発時間になり、この高級ホテルともお別れ。

クリックすると元のサイズで表示します

何だか天上から下界に降りて来たような心持ち。
それだけ素晴らしい非日常の空間でした。

掛川駅に戻り、

クリックすると元のサイズで表示します

東海道線に乗ります。

クリックすると元のサイズで表示します

乗るのは何年ぶりか。

クリックすると元のサイズで表示します

車中の様子。

クリックすると元のサイズで表示します

浜松に着きました。

クリックすると元のサイズで表示します



小説『風神雷神』上・下  書籍関係

[書籍紹介]

クリックすると元のサイズで表示します

原田マハによる、
俵屋宗達「風神雷神図屏風」」↓と

クリックすると元のサイズで表示します

天正遣欧少年使節団を巡る、
「歴史のif」の話。

まず、エピローグとして、
京都国立博物館研究員の望月彩を巡る話。
彩は、子供の時、
宗達の象の絵↓に魅せられてから、

クリックすると元のサイズで表示します

宗達の研究に没頭してきた。
その彩をマカオ博物館の学芸員、レイモンド・ウォンが訪ねて来る。
あるものを見てもらいたい、と要請を受けた彩は
マカオを訪ね、ある絵を見せられる。
遺跡調査の際に作業員が発掘して秘匿していた絵だという。
それは、ギリシャ神話の「ユピテルとアイオロス」すなわち、
風神と雷神を描いた西洋画だった。
しかも、宗達の描く風神雷神と共通点があった。
それは、通常赤鬼と青鬼で描かれる風神雷神が
風神が青い肌、雷神が白い肌に描かれていたのだ。
その上、絵には古文書が添えられており、
それは遣欧使節団の一人、原マルティノによって書かれたとされ、
日本語の文章の中に、「俵屋宗達」という文字が見出された。
原マルティノは、日本を追われて、
その生涯をマカオで送っている。

その絵画は何か。
何故俵屋宗達の名が記されているのか。
こうした謎を投げかけて、
物語は一挙に天正8年(1580年)に跳ぶ。

原マルティノはキリシタンの父親の影響で
幼くして洗礼を受け、
備前・有馬のセミナリオ(神学校)に入る。
そこで聖母マリアを描いた絵画を見て、心を奪われる。

ある日、一人の少年がマルティノの前に現れ、
絵師だといい、名前の宗達は
織田信長によって与えられたのだと言う。

ここで、話は宗達の話に移る。
扇屋の息子として生まれた宗達は、
子供ながら絵がうまく、
宗達の描いた扇子はよく売れた。
その扇子を見た一人の武士により、
信長の前に召し出された少年は、
「見たことのないものを描け」という信長の命令に従い、
象の姿を杉板の上に描く。
それは、キリシタンの南蛮寺で見たものだった。
感心した信長によって「宗達」という名前をもらう。

その後、信長の要請で「洛中洛外図屏風」↓を描かされる

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

狩野永徳の作画を手伝った宗達は、
その見事な手腕を見た信長により、
ある特命を与えられる。
それは、ローマに派遣される
4人の少年たちと共にローマに随行するように、という命令だった。
狩野永徳の描く「洛中洛外図屏風」は、
ローマ教皇への贈り物で、
それを届ける役割、
それと西欧の活版印刷の技術を習得する、
という表の役割と共に、
宗達は信長から、ある使命を与えられる
それは、ローマの隅々まで見聞し、
ローマの洛中洛外図を描くように、というものだった。
それは、ローマ全図を見渡して、
この都を攻め入るか否かを検討するためだという。

こうして、1582年(天正10年)2月20日、
伊東マンショ
千々石ミゲル
中浦ジュリアン
原マルティノ
の4人の少年使節団と
アゴスティーノという洗礼名風に名付けられた宗達は、
長崎を出発し、
マカオ、ゴヤを経由し、
喜望峰を周り、ポルトガルを通過して、
ローマへ向かう旅に向かった・・・

実際、天正遣欧使節には、
日本人が3名同行しており、
うち、アゴスティーノという名の日本人少年が同行したのは事実らしい。
詳細は不明だが、
この人物を俵屋宗達だったのでは、
というところがアイデアだろう。
俵屋宗達は、生年も没年も不明の謎の人物。
だからこそ、こんな「if」が考えられたのだろうが、
小説家の想像力はすごい。
しかも、日本画と西洋画の遭遇という大きなテーマも内包している。
原田マハの面目躍如。

航海での苦しみや
ポルトガルで西洋文化と接触しての少年たちの驚きなどは、やや平凡。

宗達は西洋画のある作品に接触する。
一人はレオナルド・ダ・ヴィンチ
フィレンツェのメディチ家の礼拝堂で
未完の聖母像を見た時、宗達は涙を流す。
そして、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂
教皇に謁見した時、

クリックすると元のサイズで表示します

その天井画や正面の最後の審判の絵を見て仰天する。
これを描いた絵師に会いたいと、宗達は切望するが、
作者は既に亡くなっていると告げられる。
作者とは、もちろんミケランジェロ

教皇に「洛中洛外図屏風」 を披露し、
教皇に感銘を与える。
そして、帰路、ミラノで、あの名画に出会う。
ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」である。

クリックすると元のサイズで表示します

そして、そこで、今は無名の少年画家に出会う。
それが後のカラヴァッジョ↓だった。

クリックすると元のサイズで表示します
カラヴァッジョ「エジプトへの逃避途上の休憩」

カラヴァッジョは、宗達が挙げた扇子に描かれた風神雷神の絵から、
独自の西洋画を宗達に贈る。
それが、プロローグに出て来た風神雷神の絵らしい。

と、物語は壮大で、
すさまじい「ホラ話」で、
面白かったが、
原田マハの文章は味がなく、
物語を読む喜びは感じられなかった。

そして、日本に帰国後の4人+1人の運命も描かれず仕舞い。
8年後の1590年7月1日に帰国した
彼らがローマに行っている間、
本能寺の変で信長は死んで、
秀吉の時代になっており、
やがて起こる禁教令で、
日本のキリシタンは弾圧を受け、
4人の少年使節のうち1人は病死し、
1人は殉教し、
1人は棄教(そうでないという資料もある)、
1人はマカオで死を迎える。
その「ローマを見て来た」少年たちのその後こそ、
本当のドラマがあるはずだが、
どうも原田マハは、それには関心がなかったようである。
まして、その後の宗達、
西洋画と日本画の両方を見た絵師の生涯こそ、
読者の興味であるはずなのだが。
西洋画が宗達のその後の作画に
どのような影響を及ぼしたかを
書かないのは、作者の手落ちと言えよう。


なお、エルサレム経由でローマに行った
ペトロ岐部については、↓をクリック。

http://star.ap.teacup.com/applet/shokuniku/20180120/archive





AutoPage最新お知らせ