冒頭記事・旅行記インデックス  旅行関係

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アンソロジー『志に死す』  書籍関係

[書籍紹介]

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縄田一男・編による時代小説アンソロジー。
対になっているアンソロジーに「絆を紡ぐ」がある。
「志に死す」は、男の死にざまを描くが、
「絆を紡ぐ」は、女性の生きざまを描く。
縄田は解説で、

時代小説において、
男の覚悟は<死>と対峙する時に、
女のそれは<生を貫くときに決まる。


と書いている。

藤沢周平「木綿触れ」

薄給の足軽、結城友助は、
実家の法事に帰る妻のはなえのために
無理をして絹の布地を買ってやる。
三月で病死した赤子の悲しみを癒してやるつもりだった。
はなえは嬉々として着物に仕立てる。
しかし、法事の直前、財政が厳しい藩の倹約令で、
その着物は着られなくなった。
実家に帰る時、見せるためだけに持っていくことを勧め、
はなえはそれに従った。
実家から戻って3日目にはなえは入水自殺をしてしまう。
実家に問い合わせると、はなえは法事で絹の着物を着、
それを代官手代の中台八十郎に見とがめられたらしい。
妻の自死の理由を知った友助はある行動を起こす・・・

行間から友助とはなえの睦まじさ、
姿形まで匂い立つような描写が続く。
まさに短編小説のお手本のような一篇。

笹沢左保「生国は地獄にござんす」

笹沢の代表作、木枯し紋次郎シリーズの一篇。

三州街道を行く二人の渡世人。
紋次郎と忠七。
お互いに三宅島送りだったことを知った二人は
珍しく道連れになる。
やがて分かって来たのは、
忠七は伊那の唐木で起こった殺人事件で、
村の安泰のために下手人に仕立て上げられ、
17年間島送りになり、
最近放免された結果、
意趣返しをされるのではないかと、
唐木の町が恐慌に陥っているのだということだった。
そして、唐木で待っていたのは、
今は村を仕切る助造一家だった。
そこで、忠七が唐木を訪れた理由が明らかになるが・・・

「あっしには関わりのねえことでござんす」
は紋次郎の決め台詞だが、
それに反して、関わってしまう、珍しい一篇。
だが、作りが少々雑で、因縁話めくのは、いかがなものか。

菊池寛「敵討順逆かまわず」

相楽半之丞は、
朋友の三角市郎右衛門と望まぬ果たし合いになり、
三角を斬ってしまう。
切腹も考えたが、赦してくれた殿の好意を無にするわけにもいかず、
そこで考えたのが、
三角の伜の大市郎が大きくなるまで待って討たれてやろう、
という決心で、公言する。

他藩に移った相楽は、
7年たち、成人した大市郎が現れるのを待つが、
大市郎は一向に現れない。
敵討ちに出発したという情報は得るものの、やって来ない。
「返り討ちにせよ」と言う人もいたが、
「そうはいかん。約束したことだ」
と相楽の決意は固い。
大市郎が江戸にいると聞いた相楽は、
江戸に移り、高札に「討たれてやるから来い」と書く。
返り討ちを恐れて相楽のところに来ることが
出来なかった大市郎が
ようやく相楽の家を訪ねた時、
相楽は病魔におかされていた・・・

菊池寛らしさが横溢した作品。

山本周五郎「城中の霜」

安政大獄で3人の志士が斬首された。
橋本佐内は遠島のはずだったが、
井伊直弼の裁定により死罪となった。
その処刑の様を「立派な死にようだった」と報告を受けた
井伊直弼は不快になる。

処刑に立ち会った町奉行因幡守のもとを
橋本佐内ゆかりの者だという娘・香苗が訪ねて来る。
佐内のまた従姉妹だという香苗は、
因幡守に佐内の最後の様子を訊いた。
井伊直弼に報告したと同じ内容を伝えると、
香苗は納得しない風だった。

やがて、佐内の関係者に別な事実が伝わってきた。
斬首前に佐内が泣いたというのだ。
その内容を聞いた香苗は・・・

佐内の辞世(城中の霜)が余韻を呼ぶ。                         
                                     
池波正太郎「看板」

盗賊・夜兎の角右衛門には、3つの戒律があった。
一、盗まれて難儀するものへは、手を出すまじきこと。
一、つとめをするとき、人を殺傷せぬこと。
一、女を手ごめにせぬこと。
その戒律を守ったせいか、
角右衛門は一度もお縄にかかったことがなく、
そろそろ引退を考えていた。

ある日、角右衛門は、
商家の手代が落とした大金を拾って返した女乞食を見、
うなぎをおごってやる。
おこうという女乞食は、
「拾ったものは必ず返す」という、
乞食の「看板」を口にする。
右腕がないおこうにわけを訪ねた角右衛門は、
昔、つとめていた紙問屋に泥棒が入った際、
その一人に斬られたのだという。
その話を聞いて、角右衛門は顔色を変える。

うなぎを生まれて始めて食べたおこうは、
「まるで極楽浄土の夢を見ているような」と言い、
「この心もちのまんまで、
あの世に行ってしまいたい。
どうせ、これから生き残っていても、
二度と、あんな思いは出来まいから」
と言って、
首をくくって死んでしまう。
この話、江戸随筆にも書かれた実話だそうだ。

「鬼平犯科帳」より前に
鬼平(長谷川平蔵)が登場する2編のうちの1編。

どの作品を読んでも、
本を置いて余韻を味わう、
短編の名作集である。


ドラマ「キングダム」と「セルフメイドウーマン」  映画関係

映画ファンに受難の時代が来た。
緊急事態宣言の発令で、
映画館が閉館になったからだ。
換気がよく、
誰もしゃべらないので良いような気もするが、
仕方ない。

最近のテレビは本当につまらないので、
観る気がしない。
衛星放送とCSはまだましだが、
番組を探すのが大変。

我が家ではプライムビデオNetflixがあるので、
まだましだ。

既にNetflix連続ドラマの「60日間の大統領」と
「愛の不時着」の紹介をしたが、
最近観た二つのドラマを紹介しよう。


「キングダム」

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韓国製ゾンビ映画

16世紀終わりの韓国。
王が急病で倒れる。
妊娠中の王妃以外は面会謝絶が続き、
国には不穏なムードが漂う 

王の跡継ぎ候補の世人は、王妃が妊娠しているため、
後継者の立場が危うくなっていた。
世人の母は召使いだったので、
正妻の子が男児であれば
王の後を継ぐことができず、
命も危うくなるのだ。

片田舎にある医療所の名医が王の治療のため訪れる。
連れの弟子は御簾の中に引きずり込まれ、不慮の死をとげる。
引き取られた亡骸を
医療所の男が飢えた人々のために
料理してみんなに食べさせてしまう。
その夜、亡骸を食べた医療所の人たちは死んでしまう。

医療所にあった大量の死体は街に運ばれる。
医療所で生き延びた女医ソビは街に急ぎ、警告する。
死体はまだ死んでおらず夜になると動き出すというのだ。
誰も信じないが、
夜になり死体が甦ると、
あっという間に町は壊滅してしまう。
翌朝、世子がやってきて現場を取り仕切り、
襲って来るゾンビと闘う。

一方、王朝では身寄りのない妊婦が集められる。
その陰には、王妃の秘密の計画が進行していた。

というわけで、
王位継承を巡る陰謀と、
民衆をゾンビから守るための世子の闘いが描かれる。

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このゾンビの描写がすさまじい。
噛みつかれたらゾンビ化してしまうという
「国際ルール」はそのままだが、
韓国版のゾンビ、
ものすごく早く走り、襲って来る。
よたよた歩く外国版より恐怖が倍加する。
加えて、昼間は太陽の光を避けて眠り、
夜になると動き出すという「ドラキュラ・ルール」も適用されている。
(実は、これが過ちだと、ある時点で判明する)
ゾンビを絶命させるには頭部を破壊するか首を切断するしかない。
しかし、超スピードで、集団で襲って来るゾンビにはかなわない。

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ゾンビが誕生したのには背景があり、
王宮での権力争いで、
存命中に王妃に子をもうけるために、
死んだ王をながらえさせる必要があり、
王妃の父親であるチョ氏により、ある薬草が調合され・・・
というのが後になって明かされる。

つまり、権力争いとゾンビが二枚重ねの鏡のようになっているのだ。

特筆すべきは、壮大なスケールで、
王宮や要塞、町並みなど、
セットの造形が素晴らしい。
その上、撮影技法が巧みで、
撮り方が本当にうまい。
ゾンビたちもよく訓練された動きをする。

監督はキム・ソンフン。                             
脚本はキム・ウニ(女性)。
世子にチュ・ジフン

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女医にペ・ドゥナ

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観て心地よい映画ではなく、
韓国映画独特の悪趣味だが、
作品としてのクオリティは大変高い

シリーズ1・2合わせて10話構成。
全部で9時間35分。
シリーズ3の継続を伺わせる。

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/Pr88m59s49E                              

          
「セルフメイドウーマン」

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セルフメイドウーマンとは「自力で道を切り拓いた女性たち」のこと。
その一人、マダム・C・J・ウォーカーこと
サラ・ブリードラヴ(1867〜1919)の半生を描く。
洗濯婦から身を起こし、
髪を直毛にする方法を開発して大儲けし、
黒人女性のための美容、ヘア製品のマーケティングを行い、
アメリカ合衆国で最初に大富豪になった女性とされている。

1908年のセントルイス。
サラは、洗濯婦として働いていたが、生活は厳しく、
暴力的な夫と仕事のストレスから髪が抜け始め、
人生に絶望し、どん底だった。
そんな時、サラの自宅にアディーが訪ねてくる。
アディーは、自ら開発した育毛剤をサラに勧めた。
アディーの育毛剤を使用したサラの髪は、
数ヶ月で元通りになり、感動したサラは
アディに自分も訪問販売をしたいと申し出る。
アディは黒人であるサラには無理だと聞く耳を持たなかった。
そこで、サラは自らも育毛剤を開発することを決意した。
失敗を繰り返しながら育毛剤を作り上げたサラは、
製品を必死で売り込み、
彼女の熱意と人柄から徐々に客足が増え、
事業がようやく軌道に乗り始めた。

その後、アディの妨害、娘レリアの夫ジョンによって起こされる火災、
夫の浮気、ジョンの裏切り、トップ営業社員の引き抜き、
工場を建てる資金難の突破などと話が進む。

根底にあるのは、黒人差別女性蔑視との闘い。
サラの事業欲は、
貧しさに苦しむ黒人女性たちを救ってあげたい一心で、
次第に黒人女性の権利向上の運動に変わっていく。

感動的なストーリーのはずだが、
何だか話に無理を感ずるのは、
サラを演ずるオクタヴィア・スペンサー
商才があると思えない印象が付きまとう。

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1908年に事業を始め、
亡くなったのが1919年。
たった11年で社員1万人を雇うまでに成長したのは、
相当な商才があったものと思われるが、
オクタヴィアの風貌からは、それを伺えない。
いつまでたっても、洗濯女のイメージだ。
いかにアカデミー賞女優といえども、
合わない役柄には苦戦したようだ。

加えて脚本が弱く、
ところどころ差し挟まれる
サラの幻想のミュージカルシーンも違和感を払拭できない。

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Netflix リミテッドシリーズとして3月20日から配信開始。
4話構成で、全部観ても3時間9分。
手頃なので、
ドラマの最初としてはお勧め。

予告編は↓をクリック。

https://youtu.be/SJvvuPtyCMU

タグ: 映画

台湾の体制  政治関係

緊急事態宣言が今夕発令され、
官報掲示によって、深夜から施行されるという。
出さなければ出さないで批判され、
出したら出したで批判される。
マスゴミの論調は、
まるで緊急事態宣言自体を目的とするような印象。
強制力がない施策の有効性が問題だが、
国のトップが決めたことだ。
ここは、国民が一致協力して、
コロナを封じ込めていくしかない。
潜伏期間2週間を段階的に抑えていくしかなく、
1カ月は我慢するべきだろう。

ちなみに、うちの娘は、先週から在宅だ。
休業補償がある企業でよかった。

団地のゴミ集積所に行くと、
いつもより雑誌やダンボールが多い。
みんな家ですることがなくて、
断捨離に着手しているのだろうか。


新型コロナウイルスへの対応の速さで、
台湾政府は世界的に評価を高めている。
事態の悪化に先んじる迅速な決定、
次々と打ち出される合理的できめ細やかな措置、
厳格な防疫態勢、マスクの配給システムや
国民への積極的な情報公開、
さらに中小企業やアーティストへの支援策まで、
台湾の新型コロナウイルス禍への対応は
スピード感にあふれている。

その秘密は、
担当政府高官の人材にある。

まず、陳時中氏(67)。
衛生福利部部長(厚労大臣に相当)として、
獅子奮迅の活躍をしている。

(台湾の内閣には、内政部、外交部、国防部、財政部、教育部、
法務部、経済部、交通部、文化部、衛生福利部、労働部、科技部の
12部(日本の省に相当)が存在する。
責任者(日本で言う大臣)は部長と呼ばれる。
また、国会議員は「立法委員」と呼ばれる。)

次に、沈栄津経済部部長(経産大臣に相当)。
マスクの増産体制などを整え、
マスク不足問題の解決に活躍した。
構築に3カ月から半年かかるといわれた
マスク製造ラインを、わずか1カ月で完成させた。

次に、唐鳳政務委員(無任所大臣、IT担当大臣)。
政府の情報を国民に効率よく伝えるために活躍した。

副総統の陳建仁。
公衆衛生学のアメリカの大学で博士号を取得している。

これらの各氏の共通点は何か。
国会議員(立法委員)でないという点だ。
というよりも、
台湾の内閣には国会議員がいない。
現在の第2次蘇貞昌内閣には、
行政院長(首相)を除くと
大臣クラスの閣僚が21名(部長12名、政務委員9名)いるが、
その中で国会議員経験者は3名だけ。
それ以外は、官僚及び地方公務員から9名、
学者専門家から6名、弁護士出身1名、医師出身1名、
そして中学中退の天才プログラマー1名(唐鳳IT担当大臣)。

台湾では国民の直接選挙で選ばれる総統が行政院長(首相に相当)を決め、
その行政院長が中心となって閣僚を任命する。
最大の特徴は、「大臣」に相当する人々が
誰ひとり「国会議員」ではないという点だ。
国会議員でなくても、
担当分野について完全なプロフェッショナルで、
有能で実力のある人材であれば、
学歴も性別も経歴も政治家としての経験も関係なく登用するのが、
台湾の政治だ。
従って、閣僚全員が担当分野の専門知識を有しており、
十分に能力と実力を吟味された上で
「大臣」のポストに就任するという仕組みが、
台湾の内閣なのだ。

対して日本はどうか。
大臣の過半数を国会議員から選ぶことが、
憲法で定められている。
半分以下を民間人から登用することが可能だが、
それは、むしろ特殊なケースだ。
そこで、次の現象が生ずる。
国会議員の目標は、
総理大臣になれないまでも、
何らかの大臣になること。
しかも任命にあたっては、
政権与党の派閥力学や論功行賞が重要な上、
年功序列も働く。
内閣改造の時期になると、
沢山の「順番待ち」の人が
期待して任命を待つのは、
よく知られている。
その結果、素人大臣が生まれる。
大臣になって、何をする、ではなく、
大臣になりたいだけなのだ。
それを「大臣病患者」と呼ぶ。

台湾の人に言わせると、こうだ。
「立法府の人間が行政府を兼任して、
どうして正しい監督監査ができるのか」

行政府(内閣)は、国家の行政運営をつかさどるところ。
一方の立法府(国会)は、
国家管理に必要な法律の制定と、
行政院がつくる予算の審議、
そして行政活動の監督と会計監査をするところ。

役割が違うのだ。
何も兼任しなければできないものではない。
いや、むしろ、国会議員でなく、
その道のプロフェッショナルがすればいい。

私は以前から、
「大臣はプロフェッショナルであるべきだ」
と主張しているが、
実情はそうならない。
年功序列、論功行賞、派閥力学で決められるからだ。
だから、パソコンを触ったことのないIT担当大臣が生まれる。
従う官僚も大臣を軽視し、
「どうせまた代わるんだ」と期待しない。

台湾では、まず名称から違う。
「部長」だ。
「大臣」ではない。
機能優先の名称で、地位ではない
この「大臣」という、律令制時代からの遺物について、
誰一人疑問を呈さないのが不思議だ。
「大臣」という名称に呪術的魅力があるのだろう。
むしろ、機能を重視して、
「省長」とでもしたらどうか。

担当省庁における指揮監督が本務であるはずの大臣が、
必要以上に国会への出席や答弁に縛られているのもおかしな話だ。
欠席すれば非難され、
自分とは関係のない議題を聞くために、ただ座っているばかり。
こんな非効率なことが許されているのもおかしい。
その上、野党議員の質問は、
スキャンダルやゴシップなどの揚げ足取りばかりで、
政権の印象を悪くすることだけに腐心する。
国を良くするための提案など皆無ではないか。

コロナ対策でも、
台湾では、一人の人を責任者に立てて、
全権委任して対処している。
だから、迅速な判断、決定ができる。
多数の人間が関わると、
決定が遅れ、
更に平凡な結論になる。
平時ならそれでいいが、
非常時には適さない。
(30万円の給付も、
制度の複雑さを見ると、
多数の人が関わって実効性のないものになった痕跡が伺える。
ああいうのは、「鶴の一声」でやればいいのに)

1995年の阪神・淡路大震災の発生の時、
小里貞利議員を閣内異動により
北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官の職を離れて
専任の震災対策担当大臣に任命し、
復旧・復興の陣頭指揮にあたらせた。
あの時は、その体制が機能した。

9年前の東日本大震災の時の失敗は、
そのシステムを取らなかったことにある。
あの時、東京から、被災地、たとえば仙台に陣頭指揮の拠点を作り、
そこに全権委任した人物を置き、
被災地の声を吸い上げ、
対応を命令すれば、随分事態は変わっていただろう。
そもそも、遠隔地の東京から指揮したのが間違いだった。

今回の新型コロナにしても、
台湾のように、一人の人物に全権委任し、
対処させていたら、
事態は変わっていただろう。

しかし、ここで、はた、と考える。
では、誰に?
人がいない
本来厚生労働大臣だが、任にあらず。

結局、安倍首相一人の肩に重圧がかかる。
総合的判断の立場にいる安倍総理が、
視野の低いマスコミの批判にさらされることになる。
安倍首相が嫌いな人、
足を引っ張りたい人の標的になる。

日本は今回の新型コロナウイルスへの対応を反省し、
現行の政治運営のあり方や、
「制度疲労」あるいは「制度崩壊」とさえ言いたくなる
今の政治制度の限界を、
今こそ冷静に見つめ直すべきではないだろうか。

(この稿は、
藤 重太(ふじ・じゅうた)アジア市場開発・富吉国際企業顧問有限公司 代表
の論文を参考に再構築しました。)



『死ぬときに人はどうなる 10の質問』  

[書籍紹介]

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10の質問とは、次のようなもの。

1 死を語るあなたは何者ですか?
2 死ぬときに人はどうなりますか?
3 人はどんな風に思って死んでいくのでしょうか?
4 人は死期を悟るのでしょうか?
5 健康に気をつかっていれば死ににくいですか?
6 なぜ死を見つめることが必要なのですか?
7 死後の世界について言い切らないのはなぜですか?
8 孤独死は不幸でしょうか?
9 死とは不幸ですか?
10 死をも左右する力を手に入れた人間は、本当に偉いのでしょうか?

著者の大津秀一氏は、
ホスピスで主に高度進行期・終末期がん患者の心身の苦痛を和らげる
「緩和医療」を行っている現役医師。
これまで2千人以上の患者を看取ってきた経験から
書いたのがこの本。
「死ぬときに後悔すること25」の続編に当たる。

人は誰もが死ぬ。
どんな業績のある方も、
素晴らしい会社を経営し、
大きな社会的影響を果たした人も、
最後は衰え、死を迎える。
死を免れた人は、歴史上、誰もいない。

事故死など不慮の死に方をした以外は、
病気で、医者の手にかかる。
その死に方を大別して3種に分類する。

1つ目は、最後の2か月くらいで急速に機能が低下するタイプ。
代表例はがん。
2つ目は、悪くなったり、戻ったりをくり返しながら
徐々に機能が低下し、
最後は比較的急な経過をたどるタイプ。
代表例は心疾患や肺疾患の末期。
3つ目は、機能が低下した状態が長く続き、
ゆっくりと衰えていくタイプ。
代表例は認知症や老衰。

特に、がんで死ぬ場合は、
急激に悪くなるので、
その衝撃は大きい。

残りの余命が数週間になった時、
人はどうなるか。
全身倦怠感。つまりだるさ。
やがて歩けなくなる。
これが患者にとっては一番辛い。

だからこそ、人は動けるうちに、
いろいろなことをしておかなければいけないと思う。
                                                     
と筆者は書く。

その段階でも、

頑張れ、歩けるようにならなくちゃと叱咤激励する
家族・医療者も少なくなく、
「希望」ということについて考えさせられる。
実現不可能なことを可能だと表現し、
あるいはそれに向かうように励ますより、
上手に現状を受け止められるように動くのも
大切なしごとなのだと思えてならない。
本当に難しいことである。


やがて、余命が週から日の単位に進むと、
寝ている時間が増えて来る。
体力が低下するので、そうなる。

むしろはっきり起きていると、
身の置きどころのなさを感じる場合もあるので、
眠っているのは
患者さんにとってそれほど苦痛ではないようだ。


余命が数日になると、
会話や応答の障害があらわれてくる。
寝たきりとなり、
ほとんど排尿、排便も困難となり、
おむつ等のお世話にならなければならなくなる。
見舞いに来た家族も、患者が寝っぱなしなので、
張り合いがなくなるが、
それでも家族はいた方がいいのだという。

たとえ患者の反応が一見なくとも、
家族が傍らにいることはとても大切だ。
反応がなくても、
患者は家族の存在を感じ取っているのではないか、
そう思える事例はたくさんある。
辛くても、なるべく患者のそばに足を運び、
そっと語りかけ、あるいは触れてあげてほしいのだ。


死の直前は、意外や苦痛は少ないという。

死の直前は、一般的に苦しくないと言っていいようだ。
自然に苦痛を自覚する感覚は失われ、
眠っているような状態となることで、
苦痛を回避しているものと思われる。
永久に眠る「永眠」の前段階の眠り、というところだろう。


死ぬ時は、苦しくない
というのは、大変救われた思いがする。
私見だが、私は死ぬ時は、
苦痛を和らげるような物質が脳から出て、
夢を見るような状態になるのだろうと思っている。
何億年もかけて進化した生物だ、
それくらいの装置は作り上げているだろう。

医者が死を宣告するタイミングが難しい、
と筆者は書かれている。

ご家族が患者の死をまだ受け入れられない間は、
「頑張れ」「死ぬな」「行かないで」「しっかり息をしろ」
などと呼びかける。
しかし、部屋の空気が変わる瞬間がある。
「よく頑張った」「もう頑張らなくていいよ」
「今までありがとう」「あとは僕たちがしっかりやるから大丈夫」
と声かけの内容が変化するのだという。

こどもたちを残してしななければならない時、
「私が病気になって死ぬのは、
決してあなたたちのせいじゃないのよ」
と告げることが必要だという。
残された者は、
たとえば母親の死に、
「自分のせいで死んだ」と思いがちだからという。

死がタブー視されるようになったのは、
まだ日が浅く、
昔は死は身近なものとして容認されていた、
という説には目を見張らされた。
西洋の医者は、次のように書く。

「死をなじみ深く、身近で、和やかで、
大して重要でないものとする昔の態度は、
死がひどく恐ろしいもので、
その名をあえて口にすることもさしひかえるよになっている
われわれの態度とは、
あまりに反対です」
「親戚、友人、隣人たちが立ち会うことが必要とされていました。
子供たちが連れてこられました。
死に関する物事から子供たちを遠ざけようとする
今日みられる配慮とは何と異なることでしょうか!」


死がタブー視されるようになったのは、
20世紀初頭からだという。

山岡鉄舟の話が興味深い。
昔から胃痛が持病であった山岡は、
一時危篤になった。
その2年後の1988年(鉄舟53歳)の時、
病状が悪化し、胃癌、肝硬変と診断され、死期を感じ取った。
それに際し、鉄舟は死装束に着替え、見舞い客と応対した。
その一人、勝海舟との会話。

「いよいよご臨終と聞き及んだが、ご感懐はいかがかな」
「現世での用事が済んだので、
お先に参ることにいたす」
「さようか、ならば心静かに参られよ」


次のような記述も含蓄深い。

長く生きることは貴重であるが、
私はどのように生きるのか、
そのことのほうがずっと重要だと思えてならない。
いつの間にか、
生の目的が「ただ生きること」になっていないだろうか。
私は生とは目的ではなく、手段だと思えてならない。
我々は生があるからこそ、
経験することが出来る。
そして夢や希望や、生涯を通じて
追求するものに辿り着けることが出来る。


「夜と霧」を書いたフランクルは語っている。

「どれだけ長生きするかということは、
本質的にはまったくどうでもいいことだということが
はっきりするでしょう。
長生きしたからといって、
人生はそれだけでは
かならずしも意味のあるものにはならないのです。
また、短い生涯に終っても、
ずっと意味のある人生だったかもしれません」


このことについて、著者は次のように例える。

例えば東京から博多まで新幹線に乗っていっても、
ずっと眠っていれば
何も感動がない旅かもしれない。
けれど、名古屋まで乗ったとして、
途中右手に美しい富士山の姿を見たとする。
それはとても美しい経験と言えるのではないだろうか。


来世の存在について触れたところで、
世界で最も早く「あの世」を発明したのがエジプト人だった
というのには瞠目した。
なるほど、言われてみれば、そのとおり。
実は、イエス・キリストも仏陀も
来世については語っていなのだ。

それでも、世界の宗教は来世を強調する。
生前、良い行いをすれば極楽に行け、
悪行をすれば地獄に行く、
という話が、
どれほど人を善に導いたか。
十字架に磔になったキリシタンたちは、
来世のパライソ(天国)を思って極刑に耐えたのである。
私は殉教者が苦しみに耐えたのは、
あの時、快楽物質が脳から排出されたのだと思っている。
人間の脳は、そういう風に作られているのだ。

最後に前出のフランクルの次の言葉でしめくくろう。

「結局のところ、人生の意味など問うべきではなく、
自分自身がそれを問われているのだということに
気づくべきだ。
つまり一人ひとりが、
人生からその意味を問われているのであり、
自分自身の人生のすべてを引き受ける、
つまり責任ある生き方をすることによってのみ、
それに答えることができるのだ」


それもおおげさなものではない。
何も大きな業績を上げる必要はない。
ほとんどの人は無名のままで結構だ。
普通に育ち、青春を謳歌し、
結婚し、家庭を持ち、
社会で仕事をし、家族を養い、
次の世代に引き渡していく。
それで十分だ。
これほど人生をまっとうするものはない。





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