グル・シークレットホワイト 作詩
千億祥也 現代語訳

「天空」 2010年10月2日 千億祥也/撮影
人は、本来 仏陀であり、
穏やかな気温(地球環境)の変化によって、
水のなかで 凍っている氷のようなものだ。
もともと 水がそこになければ、氷は出来ない。
しかし、融けてゆく 氷がなければ、そこに 水も在り得ない。
こうした 水と氷の関係のように、
人と仏陀は その本質において、異なるものではない。
自らが 仏陀である真実を知らず、
人々が どこか遠くに 悟りを求めていくのは 虚しいことだ。
たとえば、水のなかで 凍っている氷が、
「水を得られない」 と言って、
渇き 叫んでいるようなものであり、
富豪の家の子が 貧しい里に迷って、
物乞いをしているようなものだ。
貧しい里(苦しみの世界)は、
愚かな自我(自分勝手な念い)が 造り出す
無明(むみょう)の道の 行き先である。
闇路の中から、さらに 闇路に踏み込んで、
一体、いつ 生死の苦しみを 超えるのか?
訊(き)け、偉大なヨーガの教えは、
思いを尽くし、言葉を尽くしても、讃えきれない。
貧しい者(苦しみの世界の住人)への施しや、
規律正しい 信徒としての生活などの
もろもろの 菩薩行をはじめ、
仏陀を念じて瞑想したり、また、懺悔したり、
祭祀や供養の儀礼を司ったり、
それら、多くの善い行ないによる 福徳のすべては、
ただ ひとつのヨーガを 成就させるためのものなのだ。
たった一度の ヨーガの取り組みでも、
積み重ねてきた 無量の罪が 滅び去る。
苦しみの世界は どこにも 見出せないし、
最早、浄らかで 悩みのない
永遠に平安な 境地は 遠くない。
この法(みのり)を 有り難く 拝受して、
はじめて 仏陀の教えを聞いたとき、
褒め称えて 歓びの思いに溢れる者の 得るところの幸せは、
真(まこと)に 測り知れない。
まして、自ら ヨーガを実践して、
速やかに、自己の本質を悟るならば、
その存在に 実体はなく、
已(すで)に 世俗のあらゆる 仮想の域を離れている。
太初(始まりにして終わり)の扉が 開いて、
ただ一筋の 真実の道が 啓(ひら)かれるのだ。
実体のない世界に安住しながら、
さらに、どこかに赴き、あるいは、辿り着いたとしても、
その実(じつ)は、常に この実体のない世界に存在している。
ついに、すべての存在には 実体がないと云う
正しい見識に とどまるならば、
歌っていても、踊っていても、
一切如来の 聖なる事業となって、
悉く 天則の理に 適っている。
ヨーガによって、大宇宙に障り無く、
その智慧の光明は、遍(あまね)く 世界を照らすだろう。
この時、何ひとつとして 欲したり、
求めねばならぬものなど無く、
人の煩悩は、寂滅の徴(しるし)が現れて、
現世は、蓮華に荘厳された 仏国土となる。
そして、その身は 即ち 仏陀である。

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