2009/5/19
週末、親戚の不幸があった。
個人的なことなので詳しくは書かないが、ホスピスに
見舞った時に感じたこと。
ホスピスは痛みの緩和はするが積極的治療はしない。
治療法がもはやないということで、嫌な言い方だが
カウントダウンの声が聞こえる場所だ。
病院の他の病棟とは違い、明らかに空気が重い。
ホスピスでボランティアをしている人の話を前に
伺ったことがある。患者さんたちが手芸や絵や、
その他レクリエーションをする時間にお手伝い
しているというお話だった。
ホスピスに入ると痛みから解放されて、比較的気分の
いいときはそんな楽しみもある、というイメージで
いた。実際はそうではないということが今回わかった。
むしろホスピスに入った時からすべての希望を失って
気力も尽きてしまったように見えた。
見舞いに行っても、かける言葉も見つからず。
死の時計の針を見つめている人に、何を言っても
健常者の勝手なたわごとにしかならない。
むしろ行ってはいけないように感じた。
家族や友人が毎日のように見舞ったり、励ましのメールを
くれてはいても、死んでいく人は誰もが真に孤独だ。
死と向き合う重さは誰もシェアしてくれない。
カウンセラーだろうが、家族だろうが・・・・
宗教があれば神との対話もあろうが、多くの日本人は
それを持たないから、なすすべもない。
変な例えだが、死は地震と似ているような気がする。
関東地方を壊滅的な地震が襲う日は近いと言われてる。
食料や水を備蓄したところで、地震が起こったその時に
自分がどこにいるかはわからない。
生き残れるかもわからない。
手の打ちようがないから、日常の中では忘れたことに
しておく。
映画「余命一年の花嫁」の主人公の言葉に、
「みなさんに明日が来るというのは奇跡です」とある。
本当だ。明日は今日の続きである保障は本当はない。
それでも明日や将来に囚われて憂いてみたりする。
人間の一生は宇宙の時間の中ではほこり一粒にも満たない。
短い、つかの間の命だからこそ、無駄にしないで生きる。
泣いても笑っても憎んでも、金を儲けても貧乏になっても
有名でも無名でも、好かれても嫌われても、みんな平等に
肉体は宇宙の塵に帰る。魂は別です。
今回の葬儀には100人を越える参列者がいらした。
友達を大切にした故人の人生。
葬儀はその人を囲む人間関係が透けてみえる場でもある。
やがて渡る虹の橋。
もう少し娑婆で奮闘する私を雲の上から
「おーやってる、やってる」なんて
高みの見物してやって下さい。
一ヶ月半でちゅ。ママになってくれる人募集中でちゅ。
かわいがってくれる方、 yonemaru@nifty.comまで
ご連絡おまちしています


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投稿者:Oyata
ViViままさん、自分に何かできる
と思うほうが不遜な感じがしました。
良く生きるとか良く死ぬとか
答えは出ません。
自分がしっかり生きること、
月並みですがこれしかない
ように思えます・・・
投稿者:viviまま
うん うん・・・友人が昨年から 癌と戦っている・・いつ動けなくなるかという爆弾を抱えて・・・一日一日を過ごしている・・周りは何も出来ない・・ね