今回は机上調査編という名の実質オマケです。
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天辻トンネルの「工事用道路」と名付けた廃道は実際に工事用道路だったのか?
まずは
こちらをご覧いただきたい。
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=187925
1983年に撮られた空中写真である。画面上が北であることに注意されたし。
画面下やや左から中央で右にクイッと曲がる道が現道のR168である。この90度曲がる場所に件の五新線宗川橋梁がある。そこで現R168と分岐し画面やや上へ伸びる道が旧R168−現奈良r49である。そして画面中央やや左上で分岐し右上に伸びる細い道が今回私が歩いた通行止め扱いの旧R168である。ちなみにこの分岐点の集落が立川渡となる。
立川渡の集落から右へ伸びる縞々は旧R168ではなく谷底の川である。その直上の白っぽい場所に天辻トンネルの五条側坑口がある。その坑口付近からヘアピンが連続する旧R168へ短絡する道が見える。この当時は既に使われていなかったと思われるが、工事用道路であることは明らかだろう。
違う年度の空中写真をご覧いただきたい。
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=962614
こちらは1976年のものである。先ほどと違いこちらは通常通り上が北である。
画面上部が立川渡の集落である。坑口ははっきりと見えないが、への字を描く縞々の川の場所から推測できる。
私は前回、谷底の木が若いと記したが、この画像を見れば坑口周辺が砂利っぽいグレーの色をしていることが分かる。即ち私が推測した、坑口前はズリ捨て場であったことは確かだと考えられる。
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西野トンネルの新宮側坑口の位置及び立川渡の駅予定地は?
先ほど一枚目−1983年の空中写真を再度確認していただきたい。
例の立川渡の集落下方に大きな工場らしき建物が見え、そのやや右側に意味深な上下方向に木の無い土地が見える。この空き地が五新線の予定地であり、これの下端の白っぽい部分が西野トンネル新宮側坑口であると考えられる。そこから下方にある宗川橋梁からのラインを延長すれば自ずと見えてくると思う(カーブしているようだが…)。
そして立川渡の駅予定地だが、件の上下の細い空き地の先の畑?のような土地であると考えられる。某サイトさんによれば、立川渡外れの工場も擬定地の一つと書かれてあったが、この写真を見る限りその可能性はほぼ無いと見られる。
(つーか駅予定地って狭くね? 交換設備は設けない計画だった?)
また、この写真を見る限り、ループするはずだった立川渡トンネルは全くの未着工であることが分かる。
以下、余談。
その工場の土地だが、
1976年の空中写真をご覧いただきたい。
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=961963
画面中央やや左に立川渡の集落、そしてその上方の広い空き地が件の工場の土地である。その工場のサイトによれば、この立川渡の地には1981年に工場を建設したとある。
ここからは私の推測だが、この1976年当時の空き地は天辻トンネル工事の飯場跡であった→西野トンネル建設に伴い飯場or工事の拠点が造られた→工事終了後、再度空き地となる→業者が買収し1981年に工場を建てた、…と思う。西野トンネルは五新線の遺構で最も新しい1980年竣工であり、時系列で考えれば特に矛盾は見られない(都合良く解釈しただけの可能性も高い)。この辺は実際に関係者から話を聞いていないので証明のしようがない。(笑)
しかしながら、そう考えればこの工場の土地も五新線とは強ち関係ないとも言いきれないのではないだろうか。
★さいごに
今回の探索において、ジャックポットを逃したのは私にとって不覚であった。もう少し装備をどうにかしておれば…と思っても後の祭りである。
次回(あるの?)は今回の反省を踏まえ、実際に天辻トンネルの五条側坑口を間近で見てみたいものである。
※
探索される方はくれぐれも自己責任でお願いします。何らかのトラブルが発生しても、弊運転所は一切の責任を負いません(免責)。
★参考サイト
・地図・空中写真閲覧サービス
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do
・富士製餡工業株式会社
http://www.f-an.co.jp/
〜完〜
私の拙いレポートにお付き合いいただきありがとうございました。