惠です
本日10月31日未明、沖縄のシンボル「首里城」が全焼しました。拙宅はその近隣にあるため、猛火に包まれる首里城が手に取るように見えました。
私は県民として再建を希望しますがここで疑問に思う点を率直に申し上げます。戦前、昭和8年、首里城正殿は国宝に指定されました。名称は「沖縄神社拝殿」です。ご祭神として琉球王の始祖とされる源為朝公、その子の舜天王、以下歴代王をまつったのであります。
ところが戦後これらご祭神は約1km離れた公園に所在する小さな祠に移され、最近は首里城正殿前広場(御庭)では例年、中国冊封使による琉球王冊封儀式を再現するようになっておりました。
このイベントで琉球王に扮する役者が「三跪九叩の礼」を演出するのです(現在は簡略化されて叩頭は省略)。しかし場内アナウンスはこれを「中国最高の儀礼」と強調します。県民の心の故郷であります首里城正殿前でこういうことをするため県民は中国に対する警戒心を持たなくなるです。
今後、首里城が再建されるなら、本来の姿、為朝公などのご祭神にお戻り頂いて、日本人の原点に首里城の空間を戻すべきと思いました。ちなみに戦前戦後、旧家の長男の名前に「朝」の字が使われておりました。これは為朝公にあやかろうとする県民願望の帰結でありました。 (以上)
以下はネット上の「まとめ」ブログより転載させていただきました。
●沖縄県を代表する観光地「首里城」
首里城は1429年から1879年までの約450年間、
琉球王国の中心的な城で、政治と文化の中心だった。
出典
戦前は正殿などが旧国宝に指定されていたが、
1945年(昭和20年)の沖縄戦と戦後の
琉球大学建設により完全に破壊され、
わずかに城壁や建物の基礎などの一部が残っている
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2000年12月には首里城跡が「琉球王国のグスク
及び関連遺産群」として、日本で11番目の世界遺産に登録された。
出典
現在では、国内外から年間250万人以上が訪れる沖縄県の観光地として知られています。
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●首里城の大手門といわれる「守礼門」は、二千円札に登場
守礼門(しゅれいもん)は、沖縄県那覇市首里にある首里城歓会門の外、
首里を東西に貫く大通りである「綾門大道」の東側に位置する
牌楼型の門(楼門)である。日本城郭でいう首里城の大手門に値する
出典
(沖縄サミット)と西暦2000年(ミレニアム)をきっかけとして、
1999年(平成11年)に当時の小渕恵三内閣総理大臣の発案で、
2000年(平成12年)7月19日に森内閣の元で発行された
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●10月31日未明、首里城跡に復元された「首里城」で火災が発生
31日未明、那覇市にある「世界遺産」の首里城跡に
復元された「首里城」から火が出て、城の中心的な建物
の「正殿」などが全焼
出典
31日午前2時41分に警備会社から「首里城正殿の
自動火災報知設備から信号を受信し、確認したところ煙が見える」
という通報があったということです。
出典
【首里城火災】 真っ赤な炎が「沖縄のシンボル」をのみ込み
煙が激しく噴き上がった。 「ものすごい勢いで火が上がり、
正殿の骨組みが崩れて隣の建物に火が移っていった」
近所に住む女性はパトカーのサイレン音で跳び起き、
マンションの最上階に上がって消火活動を見守った。 sankei.com/affairs/news/1… pic.twitter.com/reDyAqXWFH