2006/1/4
intoxicate vol.59 MusicDiary
intoxicate vol.59
--intoxicate 〜を酔わせる、熱狂させる
タワーレコードのフリーマガジン、Vol.59(2005.12発行)は「日本とジャズ」が特集。なんといっても僕のProfileに書いた好きなアーチストのうち三人が登場するのだ。なくなっては困るという事で昨年末に急いでタワーレコードに取りにいった(タワーレコードさん、すみません、CD買っていません)。しかし、フリーマガジンとは思えぬほど読み応えがある。
冒頭に ウェインショーターと菊地成孔の対談。これは圧巻である。やっぱりショーターは超人的である。宇宙人とさえも思えてくる。今回の対談では菊地成孔も引き立て役である。以下、Wayne Shorter氏の発言。
「作曲の勉強をしたことがないように作曲する」※実に、痛快である。僕もミュージックインプロビゼーションで自己を表現したいが、常に研澄まされたアイディアを生み出すのは非常に難しい。皮肉な事に練習すればするほどテクニックは上達するがその分、新しい発想は減っていくのだ。
「コード進行とメロディが書いてある楽譜なのですか?」→「ノー」※やはり、という気もするが、じゃあ、何を拠り所にあの演奏を成立させているのだろうか?いわゆる、フリージャズでもないし、、、うーん、謎だ!
大友良英のインタビュー
大友良英/大谷能生/小沼純一の対談。
※小沼純一氏の著作「サウンド・エシックス―これからの「音楽文化論」入門
」は読んだ事がある→当時の感想はこちら
ともに、歌、とジャズの距離についてが話題になっておりとても面白い。
大友さんはジャズを
・歌をアドリブで自分達の表現で置き換える
・歌からどこまでも離れていく(デレク・ベイリーなど)
・その中間で引き裂かれている存在(エリック・ドルフィーなど)
の3つの視点で捉えているようで興味深い。三番目の概念が難しいのだけど、なんとなく判らないでもない(説明は出来ませんが。。)。
また、三者の対談では、
・ジャズと日本と歌謡曲が乖離しているようで実は繋がっている
的な解釈がされ、うん、納得!
ちなみに、大谷さんの
「スピーカーの向こう側からどんどん送られてくる音楽について行く回路っていうものを作る作業に取り組みはじめると、その情報処理に追われて、あらたな回路を毎回作るっていう感受性が磨り減ってしまうんですね」
っていう表現がなんだか現代の音楽環境を表しているようだ。
それにしても、あの高柳昌行さんがテレビ番組「11PM」の頭と終わりに演奏していたなんて、昭和という時代はなんて贅沢な時代だったんだろう。
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--intoxicate 〜を酔わせる、熱狂させる
タワーレコードのフリーマガジン、Vol.59(2005.12発行)は「日本とジャズ」が特集。なんといっても僕のProfileに書いた好きなアーチストのうち三人が登場するのだ。なくなっては困るという事で昨年末に急いでタワーレコードに取りにいった(タワーレコードさん、すみません、CD買っていません)。しかし、フリーマガジンとは思えぬほど読み応えがある。
冒頭に ウェインショーターと菊地成孔の対談。これは圧巻である。やっぱりショーターは超人的である。宇宙人とさえも思えてくる。今回の対談では菊地成孔も引き立て役である。以下、Wayne Shorter氏の発言。
「作曲の勉強をしたことがないように作曲する」※実に、痛快である。僕もミュージックインプロビゼーションで自己を表現したいが、常に研澄まされたアイディアを生み出すのは非常に難しい。皮肉な事に練習すればするほどテクニックは上達するがその分、新しい発想は減っていくのだ。
「コード進行とメロディが書いてある楽譜なのですか?」→「ノー」※やはり、という気もするが、じゃあ、何を拠り所にあの演奏を成立させているのだろうか?いわゆる、フリージャズでもないし、、、うーん、謎だ!
大友良英のインタビュー
大友良英/大谷能生/小沼純一の対談。
※小沼純一氏の著作「サウンド・エシックス―これからの「音楽文化論」入門
ともに、歌、とジャズの距離についてが話題になっておりとても面白い。
大友さんはジャズを
・歌をアドリブで自分達の表現で置き換える
・歌からどこまでも離れていく(デレク・ベイリーなど)
・その中間で引き裂かれている存在(エリック・ドルフィーなど)
の3つの視点で捉えているようで興味深い。三番目の概念が難しいのだけど、なんとなく判らないでもない(説明は出来ませんが。。)。
また、三者の対談では、
・ジャズと日本と歌謡曲が乖離しているようで実は繋がっている
的な解釈がされ、うん、納得!
ちなみに、大谷さんの
「スピーカーの向こう側からどんどん送られてくる音楽について行く回路っていうものを作る作業に取り組みはじめると、その情報処理に追われて、あらたな回路を毎回作るっていう感受性が磨り減ってしまうんですね」
っていう表現がなんだか現代の音楽環境を表しているようだ。
それにしても、あの高柳昌行さんがテレビ番組「11PM」の頭と終わりに演奏していたなんて、昭和という時代はなんて贅沢な時代だったんだろう。
