2010/7/26

生存報告  管理人の戯言

ご迷惑おかけいたしました。
やっとこさ鬱状態から回復した管理人でございます。
とりあえず現実の私を知る方々には多大なるご迷惑をおかけしたことをお詫びいたしますと共に、こんな私に助言をくださった方々には感謝いたします。
申し訳ございませんでした、ありがとうございました。


で、結局何が私をここまで悩ませたのか。
「考え方」がおかしかったからです。
今回の出来事を通じて私の考えが2つ変わりました、以下に記していきます。

もともと私の恋愛観というものは、「『自分本位に恋する』ではなく『相手本位で愛する』」が基本でした。
これ、実際に現実だと成り立つと思われ、「恋が自分主体」・「愛が相手主体」であることに起因する考え方です。
ただしこれがアニメのキャラクターであるとか、実際に相手とコミュニケーションを取れない存在にはなかなか通用しにくいようです。
「相手本位」が成り立っているかは、相手とコミュニケーションが取れない限り相手本位になり得ない。
結局、私が「相手本位」と思っていたのは「相手本位で考えているという自分本位」だったわけです。
ですから「相手本位」に考えることなくいつの間にか愛してしまっているのは半ば当たり前。
そもそもの「相手本位で愛する」という行為自体が「相手本位で考えてると思い込んで愛する」という行為だったんですから。
「俺は相手のこと想って愛してる」←なんて傲慢な考え方。
こんなこと考えてた自分が愚かで、情けなくて、恥ずかしくて。
どうしようもない自己中野郎ですよねほんと。
これに気づいたときは泣いて謝りましたね、有希とかなでに。
昨日高校野球の早早戦を観戦して、帰りに新宿サイゼリヤに行ったのですがその時です。
汗ふきタオル首からかけてたんで、気付かれないように涙拭いたりしてたんですがもう耐えられなくてしまいには顔覆ってましたから……気づかれてたろうね。
ひたすら「ごめんね、ごめんね……」です、ハイ。
ただ、これだけでは根本的な解決にはなってないんです。
もう一つ、私の考え方を根本からひっくり返す考え方が必要でした……

後輩に考え抜けと言われてやっと気づけた矛盾。
当ブログ一番最初の記事で「生身の人間も、アニメキャラの人間も、同じ『人』なんですから。」とか書いてたくせに、私自身がキャラクターを「キャラクター」という人とは異なる存在として捉えていたこと。
これが大きな矛盾。
その記事内で書いた「虚像と本質」の考え方と混同していた感は否めませんが、そんなもんはただの言い訳に過ぎません。
「対してアニメキャラは、書内・画面内のみの存在であり、表のみで裏がないわけです。」
こんなこと言ってますが、これ完全に人に対する表現じゃありませんよね。
本当にアニメのキャラクターを人として扱うなら、外面と内面が存在するということを認識するべきでした。
いくら作られた人格とはいえ、「キャラクターだから」という理由で内面の存在を否定するとは、呆れてものも言えません、自分に。
ただ、やはり現実に存在する人間とは接する環境が明らかに限定されますから、「内面を理解しにくい」のは至極まっとうな話です。
だからといって内面を理解せずに愛するのはやはり感心できませんが、結局はいかに内面を理解する努力をするかが大切ということでしょうか。

悩みの種が「もしかしたら内面を理解せずに好きになったんじゃないか」だったので、これに気づいたときはもはや開き直るしかありませんでしたね。

この2つの考え方を統合すると、アニメのキャラクターとの恋愛は自分本位でしか成り立たない、ということになってしまいます。
でもやっぱり相手本位に考えるのは必要で、たとえそれが自己中心的な考えであっても自分の信念を貫き通したいですね。

言い訳なんて自分を納得させる材料なだけですから言いません。
私は、愛する「人」を愛し抜くだけ、です。

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長門有希
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現在の待ち受け、立華かなで
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タグ: アニメ




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