ブログ記事の索引  Information

 築地ヨーガ・シャーラ講師、青田潤一のブログです。下は主要記事の索引です。興味ある項目を見つけたら、ご一読下さい(タイトルをクリック!)。

〈主な記事〉
祖父グルジの誤った指導法(new !)
3.11とヨーガ・スートラ
シャラートのベルギー講演:ヤマ、ニヤマとアーサナの関係
シャラートのウッタラカシ講演(1)パラムパラについて
シャラートのウッタラカシ講演(2)ヨーガの八支則について
シャラートのウッタラカシ講演(3)質疑応答
マサラヨガ(混合なのか、混乱なのか?)
『ヨーガ・スートラ』解説
ヨーガはアーサナのみにあらず?
マハーサマディ(ヨーギの死)について
他者の生存を付託された者
新春覚え書
インド記1「インドなう」
インド記2「Rumor 流言飛語」
インド記3「家族の住む家」
インド記4「マイソールの子どもたち」
インド記5「Forget! 忘れろ」
インド記6「シャーラ 朝の賑わい」
インド記7「攻め倒す」
インド記8「サイババ」
インド記9「プール!プール!プール!」
インド記10「極彩色の金曜日」
インド記11「魂の経験」
インド記12「祝セカンド入り」
インド記13「クラウンチャ・アーサナ(青鷺のポーズ)」
インド記14「帰国しました」
痛みについて
ムーンデイについて
など


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2019/7/10

祖父グルジの誤った指導法  Translation

 アシュタンガヨガの現在の指導者シャラート・ジョイスが、彼の祖父であり、アシュタンガヨガの創始者であるパタビジョイス師の指導法について、その誤りを認め、被害を受けたかつての生徒たちに謝罪するコメントを、2019年7月10日、インスタグラムにアップしました。
https://www.instagram.com/p/BzuKYVRlUv9/?igshid=18lb65g89ijvf
 多少ショッキングな内容であり、発表直後から世界中のアシュタンガ練習生や指導者のあいだで話題になっています。日本語で読みたいという声もありましたので、私が翻訳したものを提供します。

                                      

シャラートジョイス、2019.7.10インスタグラムへの投稿より

 私は小さい頃から祖父母のすぐそばで育ちました。祖父からアーサナを習った頃のことを思い返すと、私は計り知れない苦痛に苛(さいな)まれます。祖父が間違ったアジャストメントをするのを、私もまた、この目で見てきたからです。私は(祖父のやることが)理解できず、無力感を覚えました。祖父の間違ったアジャストメントのために、幾人もの彼の生徒たちが苦痛を与えられたことを、私は遺憾に思います。あれから何年も経ちますが、今なお私は、かつて祖父がしたことに由来する痛みを感じています。

 私たちは、虐待的な指導やアジャストミス、不適切な仕方での生徒の身体への接触に対して、決して寛容であってはなりません。教師はいついかなるときも生徒をリスペクトすべきです。私たち全員が、指導のあり方をしっかり監督し、間違った指導から(自分や他の生徒の)身を守る責任を負っています。私は何度も不思議に思いました。ラクシュミプラムの道場にいる上級の練習生たちは、目の前で誤った指導が行なわれているのに、どうして他の練習生たちを助けてあげないのだろうかと――彼らは先へ進んで、世界的に有名な指導者になりましたが――。どうして彼らは、同門の練習生や同輩、自分の彼女や彼氏、妻や夫、友人たちを守るために行動し、祖父の間違った指導に抗議しなかったのでしょうか?

 私の祖父は私のグルです。私がアーサナについて知っていることは全部、祖父が教えてくれました。私は祖父が大好きです。ですが、このトラウマを抱える生徒たちに対しては、心から申し訳なく思うのです。私にはあなた方の痛みがよく分かります。傷を負った生徒のみなさんが、祖父のしたことを許してくださるよう、心から願っています。私が過去のあやまちを認めることによって、どうかあなた方がこの恐ろしい記憶から解放されますように。虐待的な指導が二度と行なわれないようにしてゆくこと、それが私の切なる願いです。

 ナマスカーラ





原文も載せておきます。

Growing up I was very close to my grandparents. When I recall learning asana from my grandfather it brings me immense pain that I also witnessed him giving improper adjustments. I did not understand and felt helpless. I am sorry that it caused pain for any of his students. After all these years I still feel the pain from my grandfather’s actions.
We must have zero tolerance towards abuse, mishandling, or touching students inappropriately. Teachers should respect students at all times.
We all have a responsibility to govern the teachings and protect against wrongs. Many times I have wondered why the senior students who were at the Lakshmipuram shala did not support the other students when they saw these things occur? They have moved on to become famous teachers worldwide. Why did they not act in support of their fellow students, peers, girlfriends, boyfriends, wives, husbands, friends and speak against this?
My grandfather was my guru. He taught me everything I know about Asana, and I loved him, but I'm extremely sorry for those students who are going through this trauma. I understand your pain. It is my humble request to all those students harmed to forgive him for his actions. By acknowledging the past wrongs I hope you will be relieved from this terrible burden. It is my sincere hope that we can prevent abuse from ever happening again.
Namaskara 🙏🙏🙏

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2018/3/19

新ホームページ  Information

築地ヨーガ・シャーラの新しいホームページが開設されました。

まずはこちらをご覧ください。

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よろしくお願いします。


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2018/3/16

3.11とヨーガ・スートラ  

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 先週末に、広島県廿日市にある“honohono”というヨガスタジオでワークショップをしてきました。二日間のプログラムの一部として、ヨーガ・スートラの解説講義を行ないました。偶然にもそれは3月11日、「震災の日」でした。よりによって、この日にスートラを講じるという奇妙な巡り合わせについて少し考えたことがあるので、それを文章にまとめてみます。

 僕は今でもはっきり覚えています。
 原発事故の直後、首都圏の人々は飛来する放射線物質に怯えていました。僕の住む東京では、被災地でもないのにパニックが起こりました。
 「プルトニウムに汚染されて東京は壊滅!」といった恐ろしい噂が、ネットを通じて拡散していました。近所の顔なじみのコンビニ店長はその情報を信じ込んで、「みんな死にます、もう終わりです!」と目に涙を浮かべながら僕に訴えました。
 大慌てで西日本へ移動した人、海外へ脱出した人もいました。僕の知る範囲では、ヨーガ関係者にこういう人が多かったですね。彼らは自分では「正しい情報」に基づいて、他の人々よりも賢明で迅速な行動をとっていると思っていたでしょうが、その心理状態はコンビニの店長さんとあまり変わりないものでした。
 オイルショックの教訓も忘れ、食料や日用品の買い占めに走る人が続出しました。東京の物流は正常時ほどではないにしろ、まともに機能していたというのに、買い占めのせいでコンビニやスーパーの棚からは商品が消えました。節電のために昼間も薄暗い店内はいっそう荒(すさ)んだ様子になって、人々をさらに暗い気持ちにさせました。
 数日間、断続的な余震が続きました。余震が収まった後も、体の中にまだ揺れているような感覚が残りました。人々は放射能汚染に関する情報を四六時中チェックしていました。小さい子どものいる親は特にナーヴァスでした。しかし、情報の真偽を確かめるすべもなく、情報を求めるほどに混乱と不安は増してゆくのでした。放射能のリスクがなかった西の人には想像しにくいでしょう。あの頃、日本の東エリアでは、誰もが「正気」でいることが難しかったのです。

 東京で起きたあのパニックを、僕はしっかり覚えておこうと思うのです。繰り返しますが、東京は直接の被災地ではありませんでした。東京の人はいつもちょっとしたことでパニックを起こします。パニックのきっかけとなったもの(台風、大雪、害虫、ウィルス、放射能)よりも、パニックを引き起こす人々の心の方がよほど恐ろしいのです。
 それから、普段は「冷静さ」や「心の平安」を説いているヨーガ関係者たちがあの時に見せた、あられもない混乱ぶりや例外的事態に対する弱さのことも、長く記憶にとどめておきましょう……自分の鏡として。ヨーガの経験や知識は、かならずしも「生きる」ことの役には立たないようです。むしろヨーガをすることで、必要以上の神経過敏さや不安体質を作ってしまうのかもしれません。広い意味で「霊性」に関わる人、アーティストも含め、そういう人は「見えないもの」への感受性を発達させているので、目に見えない放射能に対して過剰に反応してしまうのではないでしょうか。その種の人々が共通に抱える弱点ですね。

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 3月11日にヨーガ・スートラを読む――これは一種のアイロニー(皮肉)です。ヨーガとは心の動きを鎮める修練を重ね、真我独存の境地を目指すものであると、スートラは説きます。しかし、そのような悟りの境地が災害時に何の役に立つでしょうか。周囲がパニックに陥る中で、ヨーガの修行者は冷静さを保ち、的確な行動をとることができる……などということは決してありません。震災後の混乱の中で僕が見たことから言えば、ヨーガ経験の有無には関係なく、たんに例外的事態に強いタイプの人と弱いタイプの人がいるだけです。言ってしまえば、性格でしょうか。
 3月11日は僕にとって、ヨーガ講師がしばしば口にする「冷静さ」「落ち着き」「心の平安」といった言葉の薄っぺらさを噛みしめる日です。スートラを読むには絶好の日です。もちろん、こうした皮肉な意味だけではなく、その反対側には素直にポジティブな意味もあります。
 この日は人間にとって「幸せ」とは何かを考える日でもあります。地位や名声やお金よりも大切なものがあることを、日本人は震災・原発事故の経験から学びました。みんなが一時は「正気」に戻りました。けれども、その時期は長くは続きませんでした。せめてこの日だけでも、あの時の「正気」を思い出そう。そう考える人が僕の周りには少なからずいます。スートラは人間にとって「幸せ」とは何かを説いています。無知から生じる幻想を打ち払い、「正気」に戻る方法を教えています。ですから、3月11日にスートラを読むことは、ストレートに意味深い経験であると言えるでしょう。(→詳しいスートラ解説はこちらへ)
 実際、“honohono”で行なわれた解説講義において、僕らはこの日ならではのスートラの読み方ができたと思います。廿日市では同じ時間帯に近隣で被災者支援イベントが開催されており、“honohono”はスタジオとして義援金集めに協力していました。講義に参加した人たちの心にはそれぞれ震災に関する思いがありました(原爆の記憶を継承する広島の人は、震災の死者やその遺族への思いがとても深いという印象を受けます)。こんな雰囲気の中でスートラを読むなんて、まあ滅多にない特別な経験でした。でも、僕らはすぐにそれを忘れるでしょう。そして、また何かの機会に思い出すでしょう。人の経験はそうやって少しずつ熟してゆくものです。

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2018/2/23

シャラートのベルギー講演  Translation

 今回はシャラートがベルギーで行なった講演を翻訳しました。
 この講演ではヤマ、ニヤマとアーサナ練習との関係が詳しく語られています。アシュタンガヨガの練習生にとって、これはとても気になるテーマ。ご一読ください。

(注1)出典はベルギーのヨーガスタジオ“Ashtanga Yoga Institute”のWebサイトに掲載されていたテキストです(http://yoga-ashtanga.net/en/about-ashtanga-yoga-teacher-workshop/)。
(注2)僕はこのスタジオをよく知りません。またいつの講演なのかも未確認です。なので、テキストの信頼性を保証できません。しかし内容を読んで、シャラートの発言が正確に再現されたものと判断し、公開することにしました。
(注3)元が講演ですから、聴衆との関係性や場の雰囲気をふまえなければ、発言の意味やニュアンスを取り違えてしまう恐れがあります。特に他の流派に対して批判的な言及をしている箇所については、そこをわきまえて読んで下さい。



アシュタンガヨガ・ティーチャーワークショップについて

シャラート(グルジの孫)からのメッセージ

現代世界では全てがインスタント(即席)です。誰も忍耐強さを持っていません。誰もができるだけはやく(何でも)手に入れたいと願います。ヨーガの世界もそうです。あなたはいろんな場所へ行って、15日か1ヶ月そこらでサーティファイ(教授資格授与)してもらえます。インドに来る人はいつもこう思っています。「ひと月もここにいて勉強したんだから、当然サーティファイしてもらえるだろう」と。

私たちのところにはたくさん電話がかかってきます。先週も三回電話をもらいました。ひとつはデリから。ひとつはイングランドから。もうひとつはアメリカからです。彼らは単刀直入にこう言いました。「そちらではティーチャーズ・トレーニングをやっていますか?」と。

ヨーガは規模が大きくなりましたが、分別を欠いたもの(crazy)にもなりました。ヨーガが無分別なのではありません。人々がヨーガを無分別なものにしているのです。彼らはヨーガの意味も、ヨーガの純粋さも理解していません。ヨーガの先生たる者は、つねに練習(practice)の純粋さを保たねばなりません。

私が子どもの頃は、中国人や日本人を見るといつも、あの人は空手が使えると思ったものでした。決して近づこうとはしませんでした。その人は空手の達人だと思い込んでいましたから。それ以前にブルース・リーの映画『ドラゴンへの道』を観ていたのです。その当時はテレビも何もなくて、唯一の娯楽は劇場へ行って映画を観ることでした。そういうわけで、『ドラゴンへの道』を観た私たちは、中国人や日本人はみんな格闘技ができると思い込んだのです。近づいたらぶっ飛ばされるぞ、離れていろ!とね。……ヨーガの世界でも、いま同じようなことが起こっています。サフランやルンギ(南インドの伝統衣装)を着て、インド人のような格好をしていれば、誰でもヨーギー(ヨーガ行者)になってしまう。たくさんのヨーギーが雨後の筍のように、あっちこっちに出現しています。なぜこんなことを言うかというと、ヨーガの練習生にとって、先生を選ぶことは非常に大切なことだからです。先生とは、あなたを正しく導ける人のことです。ヨーガを熟知し、長年練習を積み、一つの系譜(a lineage)につながっている人が先生です。このことがとても重要です。

バガヴァッド・ギーターにはこう書かれています。

「私はこの不滅のヨーガを太陽神ヴァスヴァットに教えたが、彼はそれを人類の祖マヌに教え、さらにマヌが大王イクシュヴァークに教えたのである。ヨーガは師弟継承の鎖(parampara)によって伝えられ、先王たちはこれをよく会得してきたのだが、久しい時を経てそれは失われてしまった」(第4章、詩句1,2)。

バガヴァッド・ギーターはとても偉大で美しい書物です。それは18の章を通じて、つねにヨーガの実践について説いています。パラムパラを通じてヨーガを学ぶにはどうすればよいのでしょう。パラムパラとは一つの系譜に連なりながら学ぶことです。クリシュナマチャリヤがラーマモハン・ブラマチャリから学び、パタビ・ジョイスがクリシュナマチャリヤから学んだように。それが系譜ということですね。それはこの辺にある、誰でもドアを開けられる電話ボックスとは訳が違います(屋外を指さしながら)。電話ボックスなら、どの通りにもありますが。……正しいサーダカ(修行者)であること、正しいサーダナ(修行)をすること、これは先生から生徒への伝達が行なわれる上でとても大切なことです。先生が自分の生徒に知識を伝えるためには、まず先生自身が何年もかけてそれを修得しなければなりません。内的な経験を積まなければなりません。そのときだけ生徒に正しい方法を伝えることが可能になるのです。

今日ではYou-tubeでたくさんの動画を観ることができますが、それはサーカスなのか、ヨーガなのか、それとも何なのかを見分けるのは非常に困難です。どれもこれもがクレイジーなヨーガです。多種多彩なる馬鹿げたヨーガです。そういうものが全部ヨーガになってしまいます。「裸のヨガ」ですって! いったいそれはどういうナンセンスなのでしょう? 「クークーヨガ」に「ホットヨガ」。「ホットヨガ」って何ですか? 「絶叫ヨガ」に「温熱ヨガ」に「炸裂ヨガ」……こういうクレイジーなものが何でもヨーガに数えられてしまう。

それはさておき、私たちが果たすべき務めは、ヨーガの実修者(practitioner)であることです。教えをやっている人もここにはいるでしょうね。いずれにせよ純粋さを保つことが大切です。もし自分の内に純粋さを保たなければ、10年か15年も経てば、あなたが行なっているヨーガは意味の違ったものになってしまうでしょう。

ヨーガはいろんな仕方で言い表すことができます。

1. 結合(union)。個の魂(jivatma)が至高の魂とつながり、結びつくことをヨーガという。
2. あるいはヨーガとはモークシャ(解脱)へと至る手段である。
3. 解脱(liberation)それ自体をヨーガという。

このようにヨーガの説明の仕方はいろいろあります。ヨーガはさまざまな方法で経験することができます。あなたがすべてのものとひとつになれば、それがヨーガなのです。その経験を「結合」といいます。

ですからヨーガに関しては、ヨーガを実践すること、すなわちサーダナ(修行)がすごく大切なのです。一年、二年、三年と練習を続けても、あなたはヨーガの深みへは至らないでしょう。たとえそう望んだとしても。……あなたは船に乗り、海の上をどこまでも行きますが、その旅に終着点はありません。あなたはそのうちに飽きてきます。退屈のあまり、もう何も学びたくないと思うでしょう。でも、ひとたび海の中へ飛び込んでみたらどうでしょう。海の深くへ潜っていけば、あなたは海の美しさを目にすることができます。ヨーガの練習でも、深いところへ向かって進めば、じつに多くの素晴らしい経験を得ることができます。練習が私たちに与えてくれる恩恵はさまざまありますが、それを経験できるのは、私たちが帰依(devotion)、献身(dedication)、規律(discipline)、決意(determination)という4つのDを身につけているときだけです。これらはすべてヨーガの練習においてとても大切な要素です。ご存知のように、ヨーギーは規律ある生活をするものです。なぜ規律ある生活をするのでしょう? 自分の心が「カンカラ」にならないようにするためです。

「カンカラ」とは、散漫という意味です。もし私が夜遅くまでパーティに行って……念のために言っておきますが、これは例えばのお話ですよ。私は毎日午前1時に起きて練習していますからね。……ある日、私は退屈を持て余し、パーティに出かけます。そこで誰かと言い争いになって、私の心はすっかり乱れてしまいます。明くる日、「どうしてあんなことしちゃったんだろう?」と私は考えます。人は自分が何かをするように急き立てられる状況をわざわざ自分で創り出そうとは望まないものですが……でも、15日後にはまた案の定、私は「どうしてあんなことしちゃったんだろう」と考え込んでいるのです。これに対して、ヨーギーの心はどうでしょう。来る日も来る日も練習することによって、あなたの内側ではヨーガが強く育ってゆきます。あなたの心は音も立てず停滞しているのではなく、「ヨーガとは何か?」について思考するでしょう。その種の考えがあなたの中に生じます。アヒムサー(非暴力)とは何か? サティヤ(真実)とは何か? といった考えが、アーサナ(ポーズ)の練習をしているとき、あなたの中に芽生えます。

ヨーガの練習中、あなたの中にこの種の考えが去来します。それは自ずとやって来るのです。あなたは「アヒムサーとは」と考え始めるでしょう。練習をしているときに「非暴力」が心に浮かんだら、それに従いましょう。そうやって非暴力に従えば、争いはなくなってゆきます。それと同じように、ヤマとニヤマ――その下には10個の項目が含まれます――のひとつひとつが、私たちの内部で強く育ってゆきます。それが強く育っていくほどに、私たちは自分がしている練習の意味がより良く理解できるようになります。もし何も考えずに練習を続けているだけなら、この種の考えは得られず、練習はジムのトレーニング、例えばウェートリフティングみたいなものになるでしょう。そんなものがいったい何の役に立つでしょう。善良な心根(good heart)を持っていないとすれば、美しいボディが何の役に立つでしょう。善良な心根がなければ、よく考えることも無益です。

アーサナは私たちの霊的な修行の基礎をなすものです。霊的な建築物を建てるためには、まず基礎が正しくなければなりません。目の前の多くのものに心が惑わされなくなったとき、あなたが手にするのは、あなたの内なる純粋さのみです。そうなのです。あなたが練習に対する帰依と献身の姿勢を持ち、長く練習を続けていると、そういう変化が起こるのです。シュラッダーヴァム・ラバーテ・ジュニャーナム。「シュラッダ」とは帰依心を持ち、自分の練習に信を置く人のことですが、その人は知恵を得ることができます。その人は自分の練習の純粋さをはっきり悟ることができるのです。もしあなたが非常に無知無学な状態であるなら、25年、30年と練習をしても、それを悟ることはないでしょう。練習はただフィジカルなものになります。ですが、ひとたびそれを悟ったとたん、あなたの内部で準備された変化が顕在化し、あなたは練習の美しい意味を理解するでしょう。成長はゆっくりと起こります。生まれたとき、私たちはどうやってこのからだを形成していきますか。ゆっくりと育てていきますよね。赤ん坊の頃は知らないことだらけ。子どもの頃はあらゆるものが空想的でした。そう、子ども時代にはすべてがファンタジーなのです。ヨーガもまたそんなふうに始まります。しかし、練習の中で齢を重ね、より賢くなってゆくにつれ、練習の意味もまた変化してゆきます。ヨーガの練習を始めたばかりの頃は、私たちはまだ十分に賢くはありませんでした。

あなたが深く進んでゆくほどに、練習はより深いものになります。土に生える植物のように、それを育てるには正しく栄養を与えねばなりません。正しく栄養を与えれば、植物は成長して花を咲かせるでしょう。もし根に栄養を与えなければ、植物は花を咲かせることはありません。それと全く同じように、アーサナの練習にとって、ヤマとニヤマは私たちの心に必要な栄養なのです。栄養をあげれば、ヨーガは成長し、私たちの内で開花するでしょう。しかし、そのことは簡単には起こりません。何かを得るためには何かを失わなければなりません。ここであなたは悪しきものすべてを失います。多くのことを犠牲にしなければなりません。……そのことを私は学びました。誰からですって? 私に影響を与えたのは祖父(グルジ)です。祖父は毎日3時30分に起きてチャンティングを行ない、4時にはクラスを教える準備ができていました。長年、祖父のやりようを見、祖父のアシスタントを務めながら、私は学んできました。師と弟子の関係は、父親と息子の関係に似ています。クリシュナマチャリヤとパタビ・ジョイスのあいだにも、そしてもう一人の弟子マハーデーヴァ・バート(グルジの兄弟弟子)とのあいだにも同じ関係がありました。グルジは毎日、朝のうちに練習をすませ、12時からは(クリシュナマチャリヤと一緒に)理論の研究をしました。そのようにして知識は弟子に伝えられるのです。今日のインスタントな世界では、忍耐強さを維持している人はいません。人々はみんな紙切れ(資格取得証明書)を欲しがります。そんな紙切れが何の役に立つでしょう。役立ちはしません。本物のヨーガ練習生であるなら、サーティファイされるかどうかを気にしたりしません。その人の内部ではヨーガが起こり続けています。その人の内部でヨーガはどんどん強いものになってゆきます。こんなことを話すのは、多くの人がヨーガについてさまざまに違った意見やイメージを抱いているからです。ジャンプバックを正確に飛べることがヨーギーの証明! ハンドスタンドができたら偉大なヨーギー……等々。私たちは自分の知識を、つまりヨーガの知識や霊的な知識を高めなければなりません。それらを自分の内部で高めてゆくとき、私たちは少しずつヨーギーへの道を進んでいるのです。近頃は「ヨーギー、ヨーギニーのみなさん、パーティするから集まって」などと(SNSに)書き込む人が多いですね。しかし、ヨーギーもヨーギニーも決してパーティなどには行きません。彼らが望むのは、静けさの内に坐り、平穏な心で修行することです。私たちはまだ、ヨーギーへの道、ヨーギニーへの道の途上にあるのです。

私たちはその方向を目指して歩み続けています。しかし、まだゴールには達していません。ずっと遠くまで進んだ人もいれば、少し前を行く人もいます。いずれ啓示の光に照らされるとき、私たちはゴールに到達します。今生の所業は来生に持ち越されてゆくのです。

R. Sharath Jois

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