エクセレントを始めた25歳頃には兄が作曲の仕事をしていた。兄は学生時代に、(故)ティーブかまやつ氏にジャズボーカルを習ったり、現代音楽の作曲家でビクターレコード会社顧問をしていた(故)内田氏に作曲を学んだりしていた。そして兄はトローチ(ノドの薬)のテレビCMソングなどを作曲していた為、自分も兄のレコーディングを手伝ったりしていた。その後、時は流れ自分がクラシックギターを学んだ小原安正先生も亡くなり没後10年メモリアルコンサートが開かれた。小原聖子先生から声をかけていただき小原安正先生の直弟子グループで演奏した。エレキギターやジャズ理論を指導し始めてからは しばらくクラシックギター業界から離れていたがメモリアルコンサート出演から数年後に小原聖子先生より文部科学省が公認している社団法人日本ギター連盟に戻る事を薦めていただいた。以前、小原安正ギター教室で学んでいたときに(社)日本ギター連盟の認定証を取得していたが、(社)日本ギター連盟に戻るには理事の先生2人以上の推薦が必要なので小原聖子先生を始めとする理事の先生方に推薦していただき正会員に成った。(社)日本ギター連盟はクラッシックギタリスト中心の団体なのでエレキギター奏者(勿論、自分はクラシックギターも弾きます)の正会員は我が国においても片手で数えられる程の人数しか存在しないと言われている。また、世界的に知られている東京国際ギターコンクールでは野田暉行氏(芸大副学長)を初めとするゲスト審査員と(社)日本ギター連盟正会員が審査員を務める事になっており正会員の称号を手にするのは年々困難に成っている。
注)小原聖子先生はクラシックギター界の巨匠であり(社)日本ギター連盟副会長。
日本にギターと言う楽器を広めた(故)小原安正先生のご子息でもある。

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