2010/10/26

4年の歳月を経て書き直された『里の秋』  童謡唱歌こぼればなし
『里の秋』の原型となる『星月夜』と題された詩は、昭和16年12月、太平洋戦争開戦の2週間後に書かれました。東北の寒村で囲炉裏を囲みながら父の帰りを待ち続けている様子を、戦地への父親に手紙とし綴っている少年の心情が描かれています。歌詞の1番と2番は『里の秋』と同じですが、3番と4番は違っていました。この『星月夜』は4年の歳月を経て『里の秋』と書き直され発表されたのです。

現在歌われている『里の秋』
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 千葉県の成東の小学校教師をしながら童謡の詩を書き続けていた斎藤信夫氏は、雑誌『遊戯と唱歌』の新人作曲家の投稿欄に海沼実氏の名をよくみかけていました。海沼氏の作品に作曲家としての将来性を感じていた斎藤氏は海沼氏を訪ね親交を結び、新しい詩ができるたびに、それを送り続けました。『星月夜』(里の秋の原型の詩)もその中の一つでした。

『里の秋』の原型の詩『星月夜』
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 一方詩を送られた海沼は、興味を抱きながらも曲をつけずにいました。前線にいる兵士たちの士気をそぐような感傷的な歌は、発売禁止という処分を受けることを察していたようです。

 昭和20年8月に戦争は終り、その年の暮れ12月24日午後1時45分、NHKから『外地引き揚げ同胞激励の午後』という特別番組が浦賀港埠頭から生放送さることになりました。この番組の選曲を一任された海沼氏は斎藤氏の『星月夜』を思い出し、戦時色が強い四番の詩を削り、三番の詩を書きかえるように依頼し、題名も、海沼氏の意見で『里の秋』と改められました。完成した『里の秋』の詩は、作詞者自身の手で放送直前にNHKへ届けられ、ラジオの電波を通して全国に放送されました。当時11歳の歌手、川田正子さんの熱唱が終わると「もう一度聴きたい」という電話が殺到したそうです。

全国各地にある『里の秋』の歌碑
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斎藤氏は自分の考えにしたがって、昭和26年 1月17日に『里の秋』の3番を削除し、1番と2番の歌詞を引き伸ばし、3番まである別の『里の秋』の歌詞を作りました 平和になった昭和の普通の家庭の父の帰りを待つ母と子の様子になっています。しかし、『里の秋』がこの歌詞で歌われる事はありません

歌われる事のない『里の秋』の詩
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