2010/7/28

われは海の子 −戦後教科書から消えた4番以降の詩−  童謡唱歌こぼればなし
『われは海の子』は、明治43年(1910年)『尋常小学読本唱歌(六)』に掲載されました。『尋常小学読本唱歌』は、国語の読本『尋常小学読本』に掲載された詩に曲を付けた、文部省が編纂した初めての唱歌の教科書です。当時は7番まで掲載されていましたが、軍国主義的表現があるとして4番以降の歌詞が戦後(太平洋戦争)に教科書から消えました。

『我は海の子』の歌碑 歌詞は3番までしかありません(鹿児島市祇園之洲公園)
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 作者不詳とされていた『われは海の子』の詩が宮原晃一郎(本名/知久)と判明したのは、宮原の長女が所有していた2通の手紙からでした。 宮原晃一郎は、新聞記者(小樽新聞:現在の北海道新聞)をしていた明治41年、文部省が行った新体詩懸賞募集に『海の子』と題した詩で入選しました。長女が所有していた手紙の一通は、このときの入選の通知で、もう一通は著作権譲渡依頼書だったのです。

宮原の長女が所有していた『海の子』の入選通知書(上)と著作権譲渡依頼書(下)
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 『われは海の子』は海辺で育つ少年が「たくましく成長し、やがては海洋国日本のために尽くそう」という内容です。歌詞の内容から、戦後一時期音楽の教科書から姿を消しました。その後、共通教材として復活したとき、四番以降が割愛されてしました。さらに、昭和55年(1980年)には『苫屋:とまや』『浴:ゆあみ』『不断の花』『いみじき楽』などの言葉が難解さから、共通教材からも除外されましたが、平成元年(1989年)に文部省が発表した新学習指導要領で共通教材に復活しました。

平成10年(1998年)7月6日発売された『われは海の子』の切手
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              われは海の子
                      作詞 宮原晃一郎
                      作曲 不   詳

          1.我(われ)は海の子 白浪(しらなみ)の
           騒ぐ磯辺の 松原に
           煙たなびく 苫屋(とまや)こそ
           我が懐かしき 住家(すみか)なれ

          2.生れて潮(しお)に 浴み(ゆあみ)して
           浪を子守の 歌と聞き
           千里(せんり)寄せくる 海の気(き)を
           吸いて童と なりにけり

          3.高く鼻つく 磯の香(か)に
           不断(ふだん)の花の 香りあり
           渚の松に 吹く風を
           いみじき楽(がく)と 我は聞く

           −戦後教科書から消えた歌詞−

          4.丈余(じょうよ)の櫓櫂(ろかい) 操(あやつ)りて
           行手(ゆくて)定めぬ 浪(なみ)まくら
           百尋千尋(ももひろちひろ) 海の底
           遊びなれたる 庭広し       

          5.幾年(いくとせ)此處(ここ)に 鍛へ(きたえ)たる
           鉄より堅(かた)き 腕(かいな)あり
           吹く塩風に 黒みたる 
           肌は赤銅(しゃくどう) さながらに

          6.浪にただよう 氷山も
           来(きた)らば来(きた)れ 恐れんや
           海まき上(あ)ぐる
           たつまきも 起(おこ)らば起(おこ)れ 驚(おどろ)かじ

          7.いで大船(おおぶね)を 乗り出して
           我は拾わん 海の富(とみ)
           いで軍艦(ぐんかん)に 乗組みて
           我は護(まも)らん 海の国


『苫屋:とまや』
苫(とま)で屋根を葺いた(粗末な)家。
苫(とま)というのは菅(すげ)・茅(ちがや)などで編んだ、菰(こも)のようなもの云い、小屋や舟を覆って雨露をしのぐのに用います。

苫屋のイメージ
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『不断の花:ふだんのはな』
不断草。アカザ科の一年草または越年草。高さ約1メートル。葉は大きく細長い卵形で、縁が波形にうねっています。6月ごろ、多数の黄緑色の小花をつける。若葉は食用として利用されます。ホウレンソウに似ていますが比較的季節に関係なく利用できるので『不断草』と呼ばれ恭菜とか唐萵苣(とうぢさ)とも呼ばれています。

『いみじき』
形容詞で“著しい”とか“重大な”とかいう意味。副詞“いみじくも”と同様、“巧みな”とか“素晴らしい”とかの意味で使われています。

『丈余(じょうよ)のろかい』
丈余は、一丈あまり。一丈は十尺で、約3メートル。『ろかい』は『櫓櫂』で、和船を漕ぐ道具。

『百尋千尋:ももひろちひろ』
『尋:ひろ』は、水の深さ、縄などの長さの単位。一尋は六尺(約1.8メートル)で、左右に広げ延ばした両手先の間の長さです。『百尋千尋は』、“とっても深い”という意味です。

『腕:かいな』
腕そのものを云います。

『赤銅:しゃくどう』
銅に金3〜5%を加えた合金で象嵌(ぞうがん)細工などの日本の工芸用に使われます。赤銅色:日焼けした皮膚の色。

『いで』
感嘆詞で「さあ」とか「いざ」とかいうのと同じ意味です。




 私の感覚では1番から5番までの詩は、海の原風景と海に生きようとする様が良く表現されていると思います。したがって4番と5番も残しても良かったのではないかと思っています。6番以降の歌詞を見ると、当時の海に生きる男の心意気と夢を表したものとは思われますが、愛国心の高揚を、強く意識して書かれたような気がします。
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2015/6/11  23:20

投稿者:崎山言世
すでにごぞんじかもしれませんが、とりあえず金田一春彦・安西愛子編『日本の唱歌 明治篇』(講談社)です。しかし私は金田一氏の記述をまったく信頼していません。そもそも尋常小学唱歌が合議でつくられたという事実があり、作詞者作曲者を特定しても意味がないといっているのです。芳賀矢一が読本編纂の責任者である以上、宮原原案に手を加えなかったということは考えにくいでしょう。何が間違っていて何が正しいか。論議はされなくても、これを避けるわけにはいけませんよ。唱歌を愛する人はこれから否が応でもこの重大問題と向き合わねばなりません。名作唱歌はすべて高野岡野の作品だというような俗説を見直し、いったん白紙に戻すときにきているのです。この我は海の子の問題も実はその延長上にあります。浜辺の歌しかり、朧月夜しかり、故郷しかり。唱歌を歌ってその旋律や歌詞を楽しむだけならかまいませんが、安易に作詞者作曲者を特定して記述することはやめるべきです。近代音楽史のキーパーソンである吉丸一昌先生はそうおっしゃっています。吉丸先生の声に耳を傾けてください。

http://blogs.yahoo.co.jp/kotoyo_sakiyama

2015/6/10  19:25

投稿者:蜂 吾郎
崎山言世 様

 私は動揺・唱歌について専門的に研究しているわけではありません。動揺・唱歌について私は、『何が正しく何が間違っている』と論議するつもりは毛頭ありません。ただ私たちが歌い続けてきた歌にまつわる話を知ることで、その歌により愛着を感じることができるのではないかと思い、知り得た情報を紹介したに過ぎません。

 『我は海の子』に芳賀矢一の推敲が入っている可能性が強いと見られているというのも、情報の一つと思います。この情報に関しては私も興味がありますので、詳細を教えていただければありがたいです。

2015/6/4  23:00

投稿者:崎山言世
尋常小学唱歌は合議で作られました。作詞者作曲者を特定してはいけない歌として誕生したわけで、その事情をよく知らない人が推理ゲームをしているにすぎません。とくにこの我は海の子は芳賀矢一の推敲が入っている可能性が強いと見られているため、渡部董之介の手紙の存在があるにしても、それを證據に「宮原晃一郎作詞」と記載することは安易であり、学術的には正しくありません。

http://blogs.yahoo.co.jp/kotoyo_sakiyama

2015/1/30  0:55

投稿者:蜂 吾郎
なはんちゅさん コメントありがとうございました。歌は時代を写す鏡です。良いことであれ悪いことであれ、歌の持つ意味を探ることは歴史の研究(探求)とも云えるでしょう。しかし、最も大切なことは、楽しく歌う、そして、歌い続けることではないでしょうか。

2015/1/29  20:59

投稿者:なはんちゅ
この歌詞は時代にそぐわないから歌わない、難しいから歌わない・・・ではないですよね。
今とは違うけど、こういう時代もあったという事を思う、考える事が大事ですよね。
そりゃなかったことにする方が楽ですけどね。

2014/6/29  19:58

投稿者:蜂 吾郎
山ちゃん 様
コメントありがとうございます。童謡・唱歌には日本の原風景が沢山あります。時の流れとともに原風景もどんどん失われてゆく中、せめて歌だけは残しておきたいと思っています。しかし、そんな歌も学校の教科書から次第に姿を消しています。残念なことです。

http://star.ap.teacup.com/hayami/

2014/6/27  22:49

投稿者:山ちゃん
小学校の教員にとってとても参考になる資料となりました。また私は海が大好きで,この曲が大好きなのでとても興味をもって読ませていただきました。5番までは今の子ども達にとってものあってもいいように思いますが,ちょっと言葉が難しいかもしれませんね。

2014/5/22  23:30

投稿者:蜂 吾郎
海馬 様

 コメントいただきありがとうございました。私も海馬 様とほぼ同意見です。四節・五節は子供の印象より17〜18歳の少年の印象のように思います。作詞者宮原晃一郎は子供の様を現している一節・二節から、いきなり少年の姿を現している四節に移ることに不自然さを感じていたのかも知れません。そこで三節をつなぎとして入れたのではないでしょうか。海馬 様のご意見通り、六節で終ってしまうと確かに据わりが悪くなります。取ってつけたような歌詞(作詞者はそんなつもりで書いたのではないと思いますが)でも七節を入れることで詩の完了にふさわしくなっているといえるでしょう。

 何れにしても『われは海の子』は名曲であることは間違いありません。私たちがあれこれ言うことが出来るのも名曲であるからこそではないでしょうか。いつまでも歌い継がれて行って欲しいと思います。


http://star.ap.teacup.com/hayami/

2014/5/18  2:22

投稿者:海馬
私見ですが、全七節のうち、第三節が最も劣り、第四節がスケールにおいても格調においても、ずば抜けて優れているので、カットするならむしろ三節を削り、四節を残した方がはるかによかったと思われます。五節、六節は何らミリタリズムは感ぜられず、悪くないのですがが、いずれの末尾も、七節を切ってここで終わると据わりが悪くなるため、いっしょにカットせざるを得なかったのでしょうね。

2014/3/9  20:25

投稿者:蜂 吾郎
To:tetujin 様

『我は海の子』へのコメントありがとうございます。6番の歌詞は海の子供が果敢に海に挑戦しようとする心意気を詩ったものと思われます。先日バリ島でダイバーの遭難事故がありましたが、くれぐれも海をあなどることの無いようにしましょう。tetujin様はもう分かりきっており失礼とは思いますが、念のため申し添えておきます。


http://star.ap.teacup.com/hayami/

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