2010/5/5
川は流れるもの?行くもの? 童謡唱歌こぼればなし
春の小川
春の小川は現在の歌詞になるまで2回の改定が行われています。改定の理由は高学年で教えていたこの歌が低学年に移行する際に、『文語体の歌詞では低学年には理解し難い』と判断されたからだと云われています。その後の改定でも一部は元の歌詞に戻りましたが、大部分の歌詞はオリジナルに戻ることはありませんでした。オリジナルの歌詞と改定された現在の歌詞には情景や詩情の微妙な変化があり、作曲家・中田喜直氏や言語学者・金田一晴彦氏も詩情を損なう勝手な改定を批判していたとのことです。また、天皇陛下が『川は流れるものであって行くものでないのでは?』と言ったとも云われています。元の歌詞を読み返してみると、詩情を損なう勝手な改定とする批判も理解できますが、皆さんはどう思いますか?

大正元年(1912年)に『尋常小学唱歌』(第4学年用)として登場した当時の歌詞は3番までありました。
春の小川
作詞 高野辰之
作曲 岡野貞一
1.春の小川は さらさら流る
岸のすみれや れんげの花に
匂いめでたく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやく如く
2.春の小川は さらさら流る
蝦(えび)やめだかや 小鮒の群れに
今日も一日 ひなたに出でて
遊べ遊べと ささやく如く
3.春の小川は さらさら流る
歌の上手よ いとしき子ども
声をそろえて 小川の歌を
歌え歌えと ささやく如く
昭和16年(1941年)の学制改革で小学校が国民学校と組織が替ったときに最初の改作が行われた。それまで4年生で教えていたこの歌が3年生に移行され、「低学年では文語体では難しい」との判断から歌詞の一部が林柳波の手によって替えられ3番は削除されました。

1.春の小川は さらさら行くよ
岸のすみれや れんげの花に
すがたやさしく 色うつくしく
咲いているねと ささやきながら
2.春の小川は さらさら行くよ
蝦(えび)やめだかや 小鮒の群れに
今日も一日 ひなたでおよぎ
遊べ遊べと ささやきながら
昭和22年(1947年)には歌詞の一部を元の歌詞に戻し現在の歌詞となりましたが、3番の歌詞の復活はなりませんでした。

1.春の小川は さらさら行くよ
岸のすみれや れんげの花に
すがたやさしく 色うつくしく
咲けよさけよと ささやきながら
2.春の小川は さらさら行くよ
蝦(えび)やめだかや 小鮒の群れに
今日も一日 ひなたでおよぎ
遊べ遊べと ささやきながら
批判の対象になっている個所の例
@小川は流れるものであり行くものではない
A『におい』と『姿』は別なもの
B『ささやく如く』はせせらぎがささやいているように聞こえるという比喩である
春の小川の舞台は、この歌の作詞者高野辰之が当時住んでいた東京府豊多摩郡代々幡村(現在の代々木3丁目)を流れていた宇田川の支流のひとつである河骨川とされています。昭和39年(1964年)に暗渠化されましたが、小田急線の代々木八幡駅近くの線路沿いには歌碑が建てられています。
春の小川は現在の歌詞になるまで2回の改定が行われています。改定の理由は高学年で教えていたこの歌が低学年に移行する際に、『文語体の歌詞では低学年には理解し難い』と判断されたからだと云われています。その後の改定でも一部は元の歌詞に戻りましたが、大部分の歌詞はオリジナルに戻ることはありませんでした。オリジナルの歌詞と改定された現在の歌詞には情景や詩情の微妙な変化があり、作曲家・中田喜直氏や言語学者・金田一晴彦氏も詩情を損なう勝手な改定を批判していたとのことです。また、天皇陛下が『川は流れるものであって行くものでないのでは?』と言ったとも云われています。元の歌詞を読み返してみると、詩情を損なう勝手な改定とする批判も理解できますが、皆さんはどう思いますか?

大正元年(1912年)に『尋常小学唱歌』(第4学年用)として登場した当時の歌詞は3番までありました。
春の小川
作詞 高野辰之
作曲 岡野貞一
1.春の小川は さらさら流る
岸のすみれや れんげの花に
匂いめでたく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやく如く
2.春の小川は さらさら流る
蝦(えび)やめだかや 小鮒の群れに
今日も一日 ひなたに出でて
遊べ遊べと ささやく如く
3.春の小川は さらさら流る
歌の上手よ いとしき子ども
声をそろえて 小川の歌を
歌え歌えと ささやく如く
昭和16年(1941年)の学制改革で小学校が国民学校と組織が替ったときに最初の改作が行われた。それまで4年生で教えていたこの歌が3年生に移行され、「低学年では文語体では難しい」との判断から歌詞の一部が林柳波の手によって替えられ3番は削除されました。

1.春の小川は さらさら行くよ
岸のすみれや れんげの花に
すがたやさしく 色うつくしく
咲いているねと ささやきながら
2.春の小川は さらさら行くよ
蝦(えび)やめだかや 小鮒の群れに
今日も一日 ひなたでおよぎ
遊べ遊べと ささやきながら
昭和22年(1947年)には歌詞の一部を元の歌詞に戻し現在の歌詞となりましたが、3番の歌詞の復活はなりませんでした。

1.春の小川は さらさら行くよ
岸のすみれや れんげの花に
すがたやさしく 色うつくしく
咲けよさけよと ささやきながら
2.春の小川は さらさら行くよ
蝦(えび)やめだかや 小鮒の群れに
今日も一日 ひなたでおよぎ
遊べ遊べと ささやきながら
批判の対象になっている個所の例
@小川は流れるものであり行くものではない
A『におい』と『姿』は別なもの
B『ささやく如く』はせせらぎがささやいているように聞こえるという比喩である
春の小川の舞台は、この歌の作詞者高野辰之が当時住んでいた東京府豊多摩郡代々幡村(現在の代々木3丁目)を流れていた宇田川の支流のひとつである河骨川とされています。昭和39年(1964年)に暗渠化されましたが、小田急線の代々木八幡駅近くの線路沿いには歌碑が建てられています。
http://blogs.yahoo.co.jp/kotoyo_sakiyama/62949088.html