「がんじろう基金」へのご協力、心から感謝いたします!
2008年1月から始めたこの基金、たくさんの方々のご賛同、ご支持を得てまいりました。
http://harupapa.net/ganjiroukikin.html
知らないうちに口座に振り込んでいただいたり、直接手渡していただいたり、皆様方の温かさに支えられて、私たちは保護猫活動を続けることが出来ます。
この場を借りてお礼を申し上げます。
ありがとうございました!
一昨日、老人ホーム慰問の際、MR.スッシーの運転する車はあざみ野経由で目的地まで参りました。
あざみ野・・・
私にとって、ここは特別な場所です。
劇団四季の稽古場があることも勿論ですが、がんじろうと初めてあった場所がここだったのです。
あいつは本当に面白い猫でした。
初めて会うのに、十年来の友のような、親しみの塊みたいな猫でした。
イカフライを盗ませたら天下一品で、
「おまえだろ、食ったのは!」
と、問いただすと、
「おらじゃねえですだ!」
と、反論しながら、口の周りは油べっとりで、何をやらかしても憎めない子でした。
特筆すべきはそのふところの深さで、どんなすさんだ猫の心も癒すのです。
ためおは交通事故で右脚をなくし、クロードはほぼ2年間虐待を受け、完全に心を閉ざしていました。
そんな二匹の心を開かせたのががんじろうだったのです。
時々、自分がイスラム教徒じゃないかと思うことがあります。
例の「目には目を」です。
以前、諫早湾の干拓事業で有明海が汚され、漁民が「宝の海を返せ!」と怒ったことがありましたが、あのときは本気で、死んだムツゴロウや腐った貝のヘドロが(映画「十戒」のように)巨大な竜巻になって、こんな馬鹿な計画をした役人や政治家の家に降り落ちたらいいって思っていました。
「右の頬をぶたれたら、左の頬をぶちかえせ」
そんな男だったのです。
年を取って、少しは抑える術を学びましたが、基本的にはあまり変わっていないようです。
ただこの「目には目を」の原理があるとするなら、同時に、救いの「手には手を」、「心には心を」もあるのです。
「右の頬を撫でられたら、左の頬を撫で返せ」です。
安易に腹も立てますが、安易にほろっともくるのです。
これは除去不能のDNAでしょう。
このDNA、とある猫との出会いから、より強固になっていくのです。
「このホーム慰問のこと、もし、皆さんに知られて、『私も、私も』ってお願いされたら、ご迷惑じゃないですか?」
MERさんが恐縮しておっしゃってくださいましたが、私にしてみたら意外にどうってことないんですよ。
時間さえ合えば、やる気茶屋の店員じゃないけれど「喜んで!」って快諾するでしょう。
だからと言って、私は決して聖人君子ではありません。
絵に描いたような瞬間湯沸かし器で、すぐにプッツンします。
「竹を割ったような性格」ってありますが、「ゴムの木を切ったような性格」で、ネチネチいつまでも覚えてたりします。
ただ、ちょっと変わった猫を飼っていたのです。
「手には手を」
がんじろうはそんな猫でした。
あいつの温かさには猫も人も癒されました。
「訳あり猫」たちはこぞって彼を慕ったのです。
ためおやクロードは今、まるで十二使徒のように彼の優しさを他の猫に伝えています。
がんじろうは腹膜炎が原因で天国へ行きました。
これにかかると動物病院では治す術がありません。
あのシマモッチもテレサの愛する猫たちもこの病に犯され、天国へ行ってしまいました。
なんとか救う方法はないものかと、ようやく辿り着いたのがスーパーアイです。うちの猫はみんなこの酵素水で腹膜炎の予防をしています。
メルくんもこれを飲み、苦しみから開放されているようです。
もっと早く見つけていたら、がんじろうも救えたかもしれません。でもがんじろうを失ったからこそ、愛する猫を失ったからこそ、テレサが見つけてくれたのだと思うのです。
「汝の敵を愛せよ」
そんな立派な精神、我が家にはありません。
なにせ偽イスラム教徒です。
攻撃こそしませんが、関心も持たない主義です。
でも、
「汝の友とイカフライは山ほど愛せよ!」
その精神は、きっと、これからも受け継いでいくんだと思うのですよ・・・

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