はるパパ、ブログ読んだよ。
「クリミア戦争の状況について・・・」
って、書いてあったけど、『情勢』じゃない?
「ミルク」をやる直前、共演者のアッコに言われた。
え!?おれ、そんなん書いとった?
読み返してみれば、確かに書いている。
トオルの名字といい、よほどあの日は動転していたんだろう。
しかたない、ほとんど寝ていなかったのだから・・・
我が家でただひとりの純血種、アメリカン・ショートヘアーのムギョちゃんは最長老、16才である。
小田急線沿線に越してきた治田家。
向ヶ丘遊園1年、相武台前11年、そして、今のところに4年、彼女だけが三つの家を知っている。
「20才まで長生きしようね」
ことあるたびに話していた。
その彼女が、突然倒れた。
つい先週まで、棚からボタボタ物を落としていた(ムギョちゃんのお腹がすいたの合図)のに、一切食べ物を受け付けない。
ぐったりして横になったままだ。
病院に連れて行けば、腎臓の具合が悪いらしく、貧血もあるらしい。
相当きついのだろう。歩くのもヨロヨロしている。
それなのにきちんとトイレまで行って用を足すからけなげだ。
「がんじろう基金」仲間のYさんが猫用ミルクを用意してくれた。
彼女は(お兄さんが宮崎で養蜂家をやっており)父親のプロポリスも手配してくれた。
ずっと世話になりっぱなしだ。
スポイトで鼻の下にたらし(ここから口の中に染み込んでいく)ちょっとでも、栄養を取ってもらう。
私はムギョちゃんと一緒に寝た。
何度も目が覚めて、なんだか冷たい彼女にドキッとし、お腹が動いているのを確認しては安心した。
病院の先生からは入院も提案されたが、それだけは断わった。
かつて、愛猫アミを病院で逝かせた苦い経験があるからだ。
点滴も用意し、ホメオパシー・レメディも注文した。
我が家でできることは何でもしようと思う。
私は舞台があるが、かみさんはキャットシッターを同僚のYさんに頼み24時間態勢看護に突入だ。
そんなとき、頼もしい看護師があらわれた。
ニコラス・ためおくんだ。
彼はがんじろう看護(こちらは今も引き続き行なわれている)の時、そばに寄り添い、がんじろうの頭をずっと舐めてくれていた。
猫救急看護隊隊長の次の仕事はムギョちゃんだ。
隊長は患者に添い寝し、冷えた体を温め、がんじろうのときと同じように舐めてあげる。
そのなんとも献身的な仕事ぶりには頭が下がる。
「ありがとう、隊長!」
そう言って、私はためおの右頬をかいてあげる。右脚のないためお隊長はここをかいてもらうとすごく気持ちいいのだ。
治田家総力をあげて、むぎょちゃん、そして、がんじろう看護態勢だ!
同じところに、同じ境遇の人間が三人。
本当に偶然なのだろうか。
「エリザベート」カンパニーに、私と同じく親がすい臓ガンを患っているひとが二人いた。
スタッフにひとり、キャストにひとりだ。
仮にSさん、Cさんとしよう。
ふたりともお母様がこの病魔と闘っている。
キャストのCさんは私と同じく稽古中に親の病気を知った。
心配させてはいけないから、ごく親しい人意外は誰にも話せない。
私もCさんもすぐ側にいながら、互いに悶々とした日々を送っていた。
休憩時間、私は何となくCさんに「玄米食」の話をした。
「突然どうしたの?」
と、Cさんは聞く。「いや、そろそろ健康のこと考えなきゃね」と、私は答えた。
最終通し稽古後に宮崎へ帰ること、私はスタッフのSさんに相談していた。
「後のことはいいから、終わったらさっさと行って」
Sさんは言ってくれた。
東京へ戻って、楽屋である方から二人の状況を聞き、私は驚いた。
「仲間」がいる!
初日が開いてしばらくして、わたしたちは互いの状況を打ち明けた。
同じカンパニーに、同じく親が、同じガンで、三人も!
奇妙な連帯感が三人を繋げた。
情報を交換し合う。そこで、SさんからAHCC(キノコの菌糸体から抽出した抗癌健康食品)の話を聞く。
AHCCは免疫力を高め、ガン細胞を殺し、そして、何より抗癌剤、放射線の副作用を抑えてくれるらしい。
Sさんのお母様はそれを抗癌剤と併用しながら3年半も生き続けている。
彼女は最近その闘病記を出版された。
早速、Sさんから本を買い求め、読むと、AHCもさることながら、お母様の「負けない!」という、強い前向きな姿勢に感銘を受けた。
そう、我々家族も負けちゃいけない。
私たちはまじめな顔で「エリザベート・すい臓ガン・友の会」;ESTを結成した。
ESTはフランス語で「居る」という意味の、英語で言うBE動詞変化だ。
(he,she)isの“is”に当たる。
(彼;父、彼女;母)はそこに「居る」、「生きている」のだ。
コメントを下さったチャーリー2号さん、あいあまさん、そしてご自身の、家族の体験をメールくださった方々、私たちは仲間です!
一緒にがんばりましょう!!
「ムギョさんは僕が守ります!」 BY ためお


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