ノスタルジィというバラを近所の花屋で買った。
黄白色に赤の縁取りがある妖艶な花だ。
2980円が500円という大バーゲンセールだった。
先日載せたラ・カンパネラといいジャンヌ・ダルクといい、どうもバラを定価で買うという概念が私にはないらしい。
ま、それはそれ、このバラ、見た目の美しさもさることながら、その名前にかなり惹かれるものがあった。
「ノスタルジィ」、言うまでもなく「郷愁」だ。
郷愁は悪い思い出より、うっとりするような「いい思い出」に浸るものである。
「また、あの頃に戻りたい・・・」そんな願望が「ノスタルジィ」には見え隠れする。
しかし、ノスタルジィに浸るという状況は、とりもなおさず「現在」が(いずれ振り返るときが来ても)決して「ノスタルジィなんて甘ったるい感傷には浸れそうにもない状況」・・・早い話が「しんどい時」なのだ。
現在取り組み続けている、安崎求先生直伝「ジラーレ」、「エリザベート」の発声にももちろん応用してみている。
この「ジラーレ」、簡単に言うと、前へ強く出すのではなく、後ろに引いて柔らかく響かせるという発声法だ。
グリュンネ伯爵にもコーラス部分でこれを要求される箇所がある。
目からうろこで、かなり楽に音がでる。
で、注意してまわりの俳優を観察すると、かなりの方たちがこれを使っている。
その最たる人が祐さんだ。
そんな耳で聴いてみれば、ソフトに、静かに語り歌うときは、実に美しいこの「ジラーレ」ではないか!
昨日からオケ合わせが始まった。
「レベッカ」のときは端にいたオーケストラだが、今回は端から端まで全部がオーケストラだ。
この贅沢なオーケストラをトート閣下は静かに妖しく包み込んでいる。
私は目を皿のようにして見、耳を清流のようにすませ聞いていた・・・
歌唱指導のアキラさんと音楽監督の甲斐先生にほんのちょっぴり褒められた。
「その方向で行ってほしい」
取り組んできた「奥を広げる」発声が小さな、小さな実を結ぼうとしている。
「今までの十年でベストだったよ」
わたしの小さなソロを初演からずっと聞いてきたアキラさんに言われた。
たった4小節に・・・十年もかかった・・・
でも、私は誇りに思う。
できなくてしんどいとき、投げずに、とにかく稽古したことを。
祐さんのレベルとは比べものにもならないが、たとえ小さくても進歩を得た。
「レベッカ」千秋楽、ぼろくそにけなされたあのコメント。
余韻に浸るはずの楽日翌日が地に落ちた。
だが、私はあのひとに心から感謝している。
芝居に関しては(私の技量に改善の余地はあるとしても)アプローチに関してなんの後悔もない。
私と演出家の山田さんと話し合いながら丁寧に作り上げたものだからだ。
だが、こと、発声に関しては大いに思い知った。
生来の怠け者だから、追い詰められないと動こうとしない。
自分の声は聞けない。必ず誰か判断してくれる人の指導を仰ごうと思っている。
これからもずっと歌の稽古は続けていくし、いかなければならない。
いつかこの日々が、がんじろうを膝に乗せ、大好きな赤ワインを飲みつつ、「おれも青かったよなぁ」と・・・ノスタルジィになることを夢見て・・・
つぼみのノスタルジィ。


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