「あなたねぇ・・・!」
そう言い放つと、医者は椅子を座り変え、私に面と向かい延々としゃべり始めた。
どれもこれも耳の痛いことばかりであるが、いちいちごもっともだから反論のしようがない。
2004年2月、体の変調を覚えた私は近所の総合病院で検査を受けたのである。
「お酒はお飲みになります?」
「はい、多少・・・」
「どのくらい?」
「先ず、ビール350mlを一本と・・・ビールが美味いのは最初の一杯だけすよね」
「余計なことはいいから」
「あ、はい・・・ワインを一本・・・」
「いっぽん!?」
「はい、一本」
「・・・一本って一本?」
「一本って一本」
「・・・毎晩?」
「毎晩」
「休肝日は?」
「ない」
「全然?」
「全然」
「・・・」
先生の口はぽかんと開いたままだ。気にせず私は続けた。
「それから・・・」
「まだあるの!!??」
「焼酎、ロックで二、三杯ぐらいかな・・・」
「あなたねぇ・・・!」
散々叱られた。
その日、血液検査と尿検査が行なわれた。結果は一週間後に出るそうだ。
「楽しみにお待ちください・・・」
そう言うと、先生はにやりと笑った。
その後の一週間は、さすがに禁酒した。
ひょっとしたら、「余命、持っても、三年でしょう」なんて言われるかもしれない。
毎日が針のむしろだった。
一週間後、再び私は病院を訪れる。
先生が色んな数値が書かれてある表をじっと見つめながら、やけに深刻な顔をしている。
三年持たないかも・・・
「検査の結果ですが・・・」
「はい」
「治田さんの肝臓は・・・」
「はい?」
「・・・」
先生は再び表を凝視する。私は声を上げた。
「せんせえ!」
すると、先生は残念そうに答える。
「異常なし」
「へ?」
「鉄の肝臓だぁ!」
そう言い放つと、まるで試合に負けた監督のように先生は頭を抱えた。
それから三年、調子に乗った私は、また元の木阿弥に戻ってしまう。
休肝日など全くなし。自慢するわけじゃないが、「マイ・フェア・レディ」の初日に風邪を引いて、10日抜いたぐらいだ。
おまけに、去年の暮れなど、毎晩のように大宴会・・・
昼間から飲む日もあるから始末に終えない。
「軽度の(アルコール)依存症ですか?」
ご近所のミセス・ショーシャンクにその話をしたら、心配そうにそうおっしゃる。
「いいえ」
私はきっぱり答えた。
「重度でしょう」
「・・・」
すると、さすがの“アイアン・レバー”も今年に入って変調を訴え始めた。
体がだるい。やたら喉が渇く。ものすごい寝汗・・・
糖尿!?
2007年2月23日、私は再び病院を訪ねることになる。
前回とは違う先生だが、反応は全く同じだった。
「あなたねぇ・・・!」
病院で血液を採取されたが、注射針を通して管の中に入る液体は、どう贔屓目に見ても赤ではない。
はっきり言って、黒い。
ワイン色というよりは「すき焼きの割り下」色だった。
「結果は2月28日に出ます」
先生はにやりと笑う。
どうして、医者なんてのは人の不幸がそんなに嬉しいのだろう!
私は再び禁酒し、運命のその日を待った。
そして、五日後、シャワーを浴び、身を清めた私は、愛車;ナショナルの電動自転車;エクセレント・ビビをまたぐと、決闘の会場へ・・・いや、病院へと向かうのであった・・・
(続く)
「おらも禁食しますだ!」


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