「砂漠でサーモンフィッシング」っていう、なんかよく分かんないコンセプトの映画を観た。
中東のイエメンに人口の川を作って鮭を放流し、遡上させようという話だ。
これって、文科省推奨の教育映画では決してない。
れっきとした娯楽映画だ、それも、イギリスの・・・
「ハリーポッター」もそうだが、イギリス映画って、ハリウッドのそれとは決して違うある独特のムードを持ってる。
その大きな要因が米語ではない「英語」;クイーンズ・イングリッシュだということは、だれしも認めるところであろう。
米語が高低差のないモノトーンで単調なリズムの、マシンガン喋りだとすると、英語はあたかも歌っているかのような、高低音入り混じる、抑揚のはっきりした、変拍子3オクターブ言語だ。
株式ニュースを読むNHKアナウンサーの喋りを米語とするなら、英語はスローテンポのジャパネットたかた喋りなのだ。
ことほど左様に英語って抑揚のはっきりした喋りで、しかも、それをちょっと上から目線で喋るものだから、ある種、生真面目で、硬い、スノブな印象を受ける。
およそユーモアとは程遠い言語に思えるが、ところがどうして、この生真面目さゆえのユーモアはヤンキーのジョークとは一線を引く、ある種独特な魅力に満ちている、それも、かなりブラックな。
例えばこんな感じ。
港の関税に立派なオウムを肩に乗せた黒人がやってきた。
関税管が、
「立派だねぇ、どこで捕まえたんだい?」
と、聞くと、オウムが答えた。
「アフリカだよ」
中東にシャケを放流って話も、はっきり言って全然興味をそそるコンセプトじゃなかったのだが、いざ、見始めると、捨てがたい、離れがたい魅力に満ちている。
退屈すれすれの生真面目さ、罪悪すれすれのブラックさが妙におかしいのだ。
「ヒッチコック」に至っては名優アンソニーホプキンスの「ものすごく心は動いているのに一切それを表情に出さない」クールさが、たまらない魅力になってる。
で、突然、ふと、思いだした。
「機関車トーマス」振付師、宮崎先生が、最後の通し稽古で私におっしゃった一言だ。
「登場人物の中でただ一人、燕尾服を着ている、その意味をよく考えてごらん」
宮崎先生って、このカンパニーで誰よりも深く本を読みこんでらっしゃり、そのキャラクターの掘り下げには私も一目置いている。役創りの面で随分参考にさせていただいた。
「燕尾服の意味」・・・
ふと、トップハムハット卿がクイーンズイングリッシュを喋る姿を想像した。
とても姿勢よく、ちょいとあごを上げ、嫌みすれすれでスノブに喋っている・・・でも・・・なんかお茶目・・・
イギリス人で、太ってて、禿げてて、ちょっと・・・ブラック。
そうか・・・
ブラックか・・・!
次は5月6日、五反田ユーポート。
後、3週間、せっかく病に倒れて生死の境をさまよったんだし(なにを大袈裟な・・・)ハット卿のブラックを追及してみるか・・・
宮崎先生、ぜひ観に来てください!


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