音楽活劇「アンタッチャブル」いよいよ、今日初日です。
この1ヶ月の間、いろいろ試行錯誤しましたが、とにかく精一杯稽古してきました。
まだ「腑に落ちてない」部分もあるのですが、おかしなもので、自分では腑に落ちていても、お客さんから見れば奈落に落ちちゃってることがあります。(笑)
自分で稽古していて、「ああ、今の良かったな!」なんて思ったのが、後で録音したのを聞くと赤面するぐらい陳腐だったり、逆に、集中できなくて失敗だと思ったのが、シンプルで意外に良かったりする。
そんな繰り返しをこの一ヶ月、ずっと部屋に篭ってやってきました。
後は自分を信じ、リラックスして、楽しんでやろうと思います。
稽古を通じ、今、浅利先生の戒めを痛感しております。
「フンイキでやるな!」
瞬間瞬間の気持ちを大切にするのはとても大事なことですが、なんとなく泣きたい気分、笑いたい気分とかでやられたら相手役はたまったものじゃありません。
なんのための一ヶ月だったの!?
ってことになりますよね。
「共演者」同士で築き上げてきたものが一瞬のうちに崩れてしまう。
相手役に伝えるのはその時のフンイキではなく、絶対台本に書いてあることです。
言葉に思いを乗せて精一杯伝えようとすれば、かってに感情は生まれてきます。それを例えば泣きたいってだけのフンイキでやられると、泣けるのは役者だけで、えてして客は笑っちゃう。淋しいです・・・気持ちいいのは自分だけで、「あんた勝手にやってれば」なんてお客さんに思われてたら。
ユッケ事件起こした社長の絶叫「申し訳ありません!」より、避難しているおばあちゃんのつぶやく「帰りたい、家へ・・・」の方が心にずっと響きます。
感動って実はとてもシンプルなのかもしれません。
なぜなら、シンプルな「帰りたい」には深い思いが幾重にも折れているからです。
時間がかかってるんです、その一言に到達するまでには。
浅い思いを一重に折って「申し訳ありません!」じゃ、響かないわけです。
もし、あの事件が福島の誠実で地道な酪農家が起こしたものであったら、もっと深くシンプルな「申し訳ありません・・・」になったでしょう。
そのセリフに達するまでにどんな時間が経過しているのか・・・
これからも少しずつ丁寧に思いを折っていくつもりです。
さあ、いよいよ初日。
シンプルに、楽しんでやってきます!
アル・カポネ;
「こいつがカポネ!?笑わせるな!!」


18