森岡は高校時代から前記のニッカードに出入りし、まず友人達のギターアンプなどの設計製作を始めた。
それらの技術を発展させ米国から取り寄せた電子オルガンの技術書を基に数年掛けて研究を続け
1957年(昭和32年)若干20才で電子オルガン第一号機を自力で完成させた。
開発のきっかけは購入したハモンドオルガンがピアノと同様簡単に運べない150kgの重量物であった。
ミュージシャンは色々な場所で演奏をする。ピアノのあるところは良いが無いところは困る。
何とか軽便に運べるキーボードが出来ないものかと試行錯誤。幸い大学2年生の夏休み、偶然米国の
電子オルガンの回路図を手に入れた。とにかく軽くてどこにでも運べる電子オルガンを完成させる夢をかなえ
たい一心であった。
しかし当時は、まだトランジスタもあまり普及していなかったのと性能も低く安定感がないので真空管で試作をする
ことにした。ハートレー発振を利用したマスターオッシレーターからフリップフロップ回路でステップダウンして
8オクターブの音源を作るのである。何しろ軽くしたいので重い電源回路部分、メインアンプ部分を独立させ結線の
多い鍵盤部分と発信機部分を一体化する方法で設計を開始した。
各部門は最高でも35kg程度の軽量を狙った。まず音源になる発音源の回路の製作に取り組んだ。
大阪日本橋の電気屋街に行き頑丈なアルミのシャーシを特注した。
そのシャーシにシャーシパンチで100個所の穴あけをした。整列させて開けるのには一週間ほど連日手作業で
行い、手のひらは血豆だらけでピアノも弾けなくなるほど指は痛いし大変な毎日であった。目的がなければ
出来る作業でないと思いながら歯を食いしばって作業を継続した。このようなことには親は資金を出してくれない
ので音楽喫茶やアメリカンクラブなどで演奏したアルバイト費用でまかなった。そしてボツボツとパーツを買い
発信器の製作に取りかかった。
まず真空管のソケットを買いシャーシに取り付け、配線を開始した。一音だけ主発振器を発音させ無事発振した。
次にはステップダウン回路で1オクターブ下がった音を取り出してみた。これも無事に作動した。
ここまでくると後は同じ回路の連続で同一配線を、そのシャーシ内に作ればよいので簡単だが、あまりにも
単純過ぎて飽きが来そうであった。それでも何とか一ヶ月掛かって組み上げた。
電子オルガンの製作は山之内家の離れで作業していたが、養父に突然見つかり叱られるかなと思った
ところ意外にビックリした様子で反対に「すごいな」その調子で薬学の勉強もしているならば、たいしたものだと
誉められた。養父には電子工学も化学も同じ理科系なので、まさか電子オルガンを試作しているなどとは
思わなかったのである。
さて全部の発振回路の配線が終わり真空管100本を仕入れる費用を稼がなくてはならない。
半月ほどプロのバンドのエキストラに入れてもらい稼ぎ出した。この作業に入ってからまる5ヶ月経過した。
いよいよソケットに真空管を差込み通電した。真空管の発信音が全体的にシャーノイズで聞こえてきた時は
鳴っていると感じがした。まず主発振器の音程調整から開始したが大変だった。
最初はビートで調律しようとしたが音程が高すぎて不可能であった。結局ステップダウン回路で全部出力した
中から440Hzを中心とした12音で調整した。各音の出力に検針を当てたとき正確に音が出ているのには
感激した。これが出来れば、しめたものと思ったが、それからのほうがもっと大変になる事は予測もしなかった。
その頃から養父の会社を訪問すると会社の業績が上がり出したこともあったので、今までとは違って
当時としては法外な小遣いをくれるようになった。
そしてお前はコンピュータと言うものに興味はあるかと聞かれた。森岡は電子オルガンの事は言わずに
今試作している回路はフリップフロップ回路でコンピューターの原理と一緒だと説明したため軍資金として
出してくれたと思った。その後、養父はコンピュータも会社経営には必要な時代が来るなどと言い出した。
そのため開発費の小遣い稼ぎをしなくて良くなった。発音源発振器が完成した直後にリードオルガンの中古を
2台買い込み分解して鍵盤だけを使用することにした。全部で122の鍵盤にスプリングを取り付けた。
そしてジャンク屋で仕入れてきたシーメンススイッチを分解して配列する作業は途中で作業内容の変更もあり
2ヶ月も掛かってしまった。この作業が終われば完成と思ったのは大間違いである。
いよいよ配線して演奏しようとしたが、折角取り付けた接点は一般のスイッチで微弱電圧のON OFFでは
ガリガリ音がするだけで全く使い物にならないことが判った。
とにかく再度分解して貴金属メッキを施してもらうためメッキ会社を探し見つけた。貴金属メッキだから高い
のではないかと心配したが、その会社の社長様が森岡のやっていることに理解を示され特別安くして
下さった。春休みの終わりには、音がまともに出だしたが、その音は発振音のみで全く音楽にならない。
発振音は矩形波では直接音楽には出来ない。その後この矩形波を合成し階段波、フィルターを通して鋸波
サイン波を作り出すことに成功した。主発振器に低周波でビブラートを効果として作動させいよいよ音楽的に
演奏が出来る状況になったのは、秋の甲南大学音楽祭の時で丸々1年2ヶ月費やした。
友達は手で持って歩けるポータブル電子オルガンを絶賛してくれた。将来、楽器開発に携わる自信を付ける
一歩となった。当時ヤマハエレクトーンなどが商品化していない時代であった。