趣味のネットワークではあまり言いたいことを言えない。
たちまちアラシ扱いになるのがオチだ。
まぁ、そのためにブログがあるようなものなのでここに書く。
最近、ホリエモンが騒いだおかげでインターネットの「受け手責任」という言葉がクローズアップされている。極端に言えば、インターネットでは情報は可能な限り無制限に発信されるのが理想的であって、その情報の善悪や価値判断は情報を受け取る側でなされるべき・・・というようなニュアンスだ。ホリエモンがメディアの報道姿勢について批判的なことを口走ったことから始まったように思う。
私はこの考え方は正しいと思う。しかし、正しいとは思うが実現することはできないとも思う。「受け手側」が情報の価値判断をできるほど成熟していないからだ。
版権画像、醜悪な画像、デマ情報、デモの扇動、・・・それらの価値判断は、ほとんどの場合自分の意思ではなく、関連情報の流れを掴むことでなされる。そこに人や趣味のつながりがあれば批判的な意見や版権無視の行動を咎めるものは嫌われ、情報の流れはたちまち偏向されて「無言の抗議」だけが取り残されていく。理性が求められる大人がネットで「無言の抗議」に気付くことなく無頓着に趣味を楽しむような思考停止状態は、今の時代、すでに少年少女ネットワーカー以下の幼児に成り下がってはいないだろうか。
「受け手責任」・・・インターネットでは「受け手」自身が「送り手」でもあるということを忘れちゃいけない。受け手責任と送り手の責任は実は表裏一体。送り手が「受け手責任」を放棄して無頓着だったり無神経だったり無責任を装ってはいけない。

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