どうも、セーターならタートルネックより丸首の方が好き、大魔神どすえ!
今日も続けて振り返ってみましょう!
☆第2位…【京都カス野郎プロレス旗揚げ】
brother YASSHIパイセンとはもう長い付き合いですね。2003年からエル・ラティーノのK端さんの紹介で知り合ってからは腐れ縁でよく一緒に悪さしてました。
それが突然の休業宣言で家業を継ぐために石工の学校に入り音信不通の時期もありました。それが紆余曲折ありプロレス界に復帰してくれる事になり、健介オフィスのリングに上がった翌日に連絡くれたのを覚えています。
それから暫くしてパイセンから京都カス野郎プロレス開催の相談がありました。休業前からそんな話は常にしていましたが二人に取ってまだまだ絵空事の夢の域を脱しなかったのですがパイセンが休業中に私も色々キャリアアップしてきて今なら出来そうだと思い、彼のデビュー15周年記念大会を機に京都カス野郎プロレスを立ち上げる事にして早速京都カス野郎プロレス実行委員会を作りました。
その後はミーティングと試行錯誤を重ねて1月にフェススタイル興行を京都KBSホールにて開催。当日は大雪警報が出て東京組を急遽前乗りで新幹線移動してもらったり、雪で交通網がストップして当日キャンセルが相次ぎ、余りの寒さに選手やスタッフが次々と負傷したり体調崩したりとアクシデントだらけでフラフラになりました。
座席レイアウトから何から何まで従来の興行とは毛色がガラリと異なる斬新過ぎる大会でそれだけに反省点や逆に「これイケるじゃん」と言う収穫まで沢山ありました。自分にとってしんどかったけどパイセンの理想をあの時点で出来る限り実現させてあげれたのでかなりの自信に繋がりました。
しかしあくまで満足してないし、改善案が沢山出たので来年のKYOTO BANG BANG FESTIVALにはより良い大会にしたいと今必死のパッチで動いております。
その後も7月に京都FANJさんにてクラブスタイル興行初開催。こちらも大会1ヶ月前に急遽決まった行き当たりばったり興行でしたがカス野郎プロレス二つ目の興行スタイルの足場が出来た大会で思い出深い大会になりましたね。
そして他の十大ニュースでも書いた元立誠小学校でのカス野郎プロレス三つ目の興行スタイル「プロモスタイル」。これは明治2年の開校以来初のプロレスイベント開催と言う歴史的快挙。あの木屋町のど真ん中でカス野郎を叫んだシーンは感涙ものでしたね。これで一気に京都カス野郎プロレスが地元京都で定着できる素地が産まれたような気がします。
そして立誠小学校大会から中2週間で開催した第4弾興行は再び京都FANJにてクラブスタイル興行。こちらは神戸カス野郎の結果を受けてまさかの主役が第1試合と言う結果的に無謀なカードになりましたがその無難に執り行うのでは無くて「何が起こるかわからない」破天荒な興行がアピール出来たのでは無いでしょうか?
確かにどの大会も収支は取れてないし、改善点も反省点も多々あるけど、思ったより早く京都カス野郎プロレスのビジネスポリシーと方向性が定まったし、閉鎖的と呼ばれる京都で予想以上の協力者さんが増えてきているので来年はこの京都カス野郎プロレスを採算取れるようにしていくのと姉妹イベントの神戸カス野郎プロレスにもディレクション参入してカス野郎プロレス全体の中身を濃くしていきたいですね!
そしていつの日かカス野郎達と全国ツアーに出たいです。
今日の画像はbrother YASSHIパイセン@高瀬川に佇む

0