どうもツバサ選手のマスクデザインならセレッソモデルより牙付きモデルの方が好き、大魔神どすえ。
昨日の興奮覚めやらぬ、そして先週の激動過ぎる一週間を乗り切った代償としてカラダボロボロなので1日身体を休めてました。
今は夜職なんですがね(苦笑)
寝てはケータイ弄ってまた寝るの繰り返し。夜職までの間休養日に充てました。
でケータイを弄って昨日のツバサ興行のリサーチをば。
あの広い会場で一人何役すんねん!と言う位の業務をして走り回った結果革靴の中に血マメがいっぱい出来て寝室からトイレに行くのも嫌になる位の全力投球。
一昨日のWARDOG旗揚げ戦にしてもツバサ興行にしても何でそこまでやるのか?
それは共に主催者さんがより良いモノをお客さんに提供しようと言う熱い気持ちと向上心があるからそれに応えたい気持ちからだけが私のモチベーションなんです。
特にツバサさんとは長い付き合いの中で思い入れの強い選手の一人ですから尚更。
最初は地元京都に出来たしかも自分が一番好きなルチャリブレ団体CMLL JAPANの日本人エースとして帰国した時は純粋にファンとして観てました。
その後私がこの業界に入り、独立をしてまだただのチケットブローカーだった2005年、かつての仲間達と所属していた会社が休眠状態に陥って彼らの活動基盤の一環になれればと思いグッズショップを展開する事になったものの取り扱い商品はリッキーマルビンとGammaさんとペッキーのTシャツにノアと全日本プロレスのチケットだけと言う寂しいラインナップだけの時でイステリアをパイプにメキシコ製マスクの輸入を始めた矢先の事でした。
ちょうど同じ頃、大阪プロレスで怪我をして長期欠場中に将来の事を考えて理学療養師の勉強を始めてフリーになったツバサさんの生活費の足しにと言う事でペッキーの紹介でウチにてツバサさんの試合用マスクを販売する事になりました。
ツバサさんも今までマスクに関しては販売業者や間を取り持つ人間達と金銭トラブルや約束を守らないいい加減なマスク業界の体質にウンザリしていた頃でペッキーからお金にキッチリしているからと言う理由で私を紹介してくれたのであった。
ツバサさんに取ってはそれまでの販売店が利益の大半を持って行き、選手が搾取されていた割合を逆転させた販売価格とツバサさんへの仕入れ価格のバランスが他の業者より破格に好条件だった事と私にとっても取り扱い商品の目玉が出来た事でトントン拍子で話が進み、現在の独占販売契約に辿り着く訳です。
今でこそ弊社は大阪プロレス、沖縄プロレス、道頓堀プロレスの大半の選手マスクを販売する業者として成長しましたがその足掛かりとなったのはツバサさんからの紹介で繋がった縁ばかりなんです。
その後もツバサさんと共にビジネスにカタい者同士でトラブルや自分の悪事をごまかす為に我々の絆を壊そうと画策する者を排除する為に現在私が取り入れているマスク職人を通さない選手から直接仕入れて販売するシステムや過去モデルから最新モデルまで今まで販売した全てのモデルやカラーバリエーションを受注生産と言う形で注文を受け付けるスタイルを編み出して実践してきました。
その2人で編み出したビジネスモデルのお陰で他の選手ともトラブル無く全て円滑に商売出来て色んな選手と良い信頼関係を築く事が出来ているのもツバサさんとあれこれ試行錯誤した賜物なんです。
その後もツバサTシャツやDVDや応援用マスクを弊社で販売したり、アステカ食堂に食べに来てくれたり、ツバサさんが主催するBBQ大会にツバサさんのリクエストでタコスの皮(トルティーヤ)を調達したりと良い関係を築き上げていきました。
我々の信頼関係がだんだん大きくなるのと反比例してツバサさんは大阪プロレスでも限定参戦になり、次第にメインカードから外れて行き、興行の添え物みたいな扱いに憤りを感じるようになりました。
確かな技術と安定した試合運び。ベテランになっても常に上を目指しなかなかその日の試合内容に満足しない向上心。せんな高いレベルの選手がこのままプロレス業界の速すぎる流れに飲み込まれていくのが黙って見過ごす訳には行かないと強く思うようになりました。
だからその後大阪プロレス以外の興行(VKFや大阪サプライズ)で仕事が一緒になったり自分がブッキング権を持つ興行(岸和田興行やど真ん中プロレス)などに招聘したりして少しでも活躍の場が増え、ツバサさんの知名度が上がる事のお手伝いをしました。
だけどこだわりが強く、いい加減な事には手を出さない堅実なツバサさんはmixiやTwitterなど外部に発信する手段に関して一切やらなかったのもあってなかなかツバサさんの良さが伝わらないもどかしい時期がありました。
そんな折の去年の夏、ツバサさんに呼ばれて某所にて話し合い。
なんと一年後のデビュー20周年に記念大会を自主興行として開催する事をうち明けられた時はとても驚きました。
しかも一年かけて宣伝する為にTwitterやFacebookにも手をつけるだと!
びっくりすると共に大変嬉しくなり二つ返事でバックアップを名乗り出ました。その当時は私は設営業者と裏方の統括責任者として確固たるポジションを築きつつある時で最初にツバサさんから依頼されたのは当日券受付としてのオファーでした。
これでツバサさんの実力や人柄がもっともっと世に出て真っ当な評価を受ける事が出来、脚光を浴びるチャンスが来た!と興奮したのが昨日の事のように思い浮かびますo(^-^)o
その後はプレ20周年として毎月何かしらの企画を発表して試合用マスクセールやロゴマーク、特設サイト開設などツバサさんと二人三脚でアイデアを出し合いどうすればよりインパクトがあるかを必死に知恵を出し合い提供してきました。
ロゴやグッズ、特設サイトなどは旧知のデザイナーさんにツバサさんが依頼し、対戦カードや選手ブッキングは全てツバサさん、それ以外のディレクションや営業戦略は私と言う三権分立で盛り上げていく事にしました。
そうこうして行く内に大阪プロレスの所属選手がいなくなり興行活動継続に赤信号が灯った時、大阪プロレスさんからのオファーもあったけど色んな噂や人間関係を考慮してオファーを受けるかどうか悩んで色んな人から情報収集していた時にいち早くツバサさんが大阪プロレスに協力表明を名乗り出たのを知り、私も大阪プロレスと言う看板を消えさしたく無い気持ちでツバサさんと同調して裏方業務の請負を引き受けました。
その後の活動は皆さんご存知の通りいたるところにおいてツバサさんの思い入れややりたい事を出来る限り実現できる様に走りつづけてきました。
何に対してもこだわりぬいて妥協を許さないツバサさんと演出や媒体を使っての告知戦略については告知時期や告知量、内容まで今までの経験に基づいたより効果的かつ合理的な戦略を組む私とがお互いの主張を曲げずにぶつけ合う事も多々ありましたがより良いモノ、よりツバサさんの思いがファンに届くように真剣に考えてようやく大会当日まで辿り着くのでした。
最後の1ヶ月はほぼ毎日の様にラインやメールで打ち合わせ。
今まで興行を主催した選手や関係者の側にいてプロデューサーの苦悩や精神状態を見て来て皆同じ道を辿るのでその時期時期に合わせたフォローをしてきて無事開催まで漕ぎ着けました。
その結果が昨日の温かくもキッチリしたどこか懐かしいツバサさんの人柄が色濃く表現出来た素晴らしい大会になったんだと思います。
確かにあれだけのこだわりやアトラクション、憎い演出をあの広い会場で独りで切り盛りするのは不可能に近く、他のスタッフは素人ボランティアと限りなく心許ない陣容で細かい不具合も多発して途中からはツバサさんの体調不良もあり独りで対応するので大変でしたが対お客さんと言う部分では吉野レフリー&宮尾リングアナと言う名コンビが豊かな経験値とコンビネーションで上手く場を繋いでくれたのと、完全に許容量を越えて物理的に無理な部分が出ている自分を見かねてペッキーやエイサー8が裏で動いてくれたおかげで大きなトラブルも無く興行を終える事が出来ました。
それもこれもひとえにツバサさんの興行を盛り上げたいと参加した選手、関係者、ボランティアスタッフ、観客の皆さん全員が同じ気持ちになったからだと思います。
確かに汗だくなったし足の裏は血マメだらけになって細かいアクシデントは多発したけどなんか清々しい気持ちになれたのはみんなの思いが伝わったからでしょうね。
あんなに清らかで清々しい興行は滅多に無いしそんな素晴らしい興行に携われたのは有り難き幸せです。
今日は燃え尽き症候群で何も出来ませんでしたがツバサさんとの関係は昨日でピリオドでは無く、昨日の大会で気づいた新たな目標に向けてまた協力しながら前進して行きたいと思います。
私のこの業界で数少ない同志と呼べるツバサさんと。
この業界がもっともっと上に行けるように。
追伸、ツバサさん次の興行はいつにしましょうか?(笑)
今日の画像はツバサデビュー20周年記念大会のポスター

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